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愛知から上京して一人暮らししようと思ってんだけど [無断転載禁止]©2ch.net
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0001774号室の住人さん
垢版 |
2017/09/17(日) 21:54:39.11ID:WMggQJIM
一人暮らしってどうなの?
0112774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:18:46.31ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
c
0113774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:18:51.12ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#c
0114774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:19:06.47ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
d
0115774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:19:10.47ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#d
0116774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:19:25.66ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
e
0117774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:19:29.55ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#e
0118774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:19:44.74ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
f
0119774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:19:49.21ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#f
0120774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:20:04.34ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#120
0121774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:20:09.04ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#121
0122774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:20:24.41ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
1a2
0123774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:20:29.17ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#123
0124774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:20:47.58ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
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0125774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:20:53.12ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#125
0126774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:21:08.33ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
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0127774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:21:13.27ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#127
0128774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:21:28.50ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
128
0129774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:21:33.76ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#129
0130774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:21:48.94ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#130
0131774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:21:53.73ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#131
0132774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:22:08.86ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
132
0133774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:22:14.11ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#1a3
0134774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:22:29.11ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
134
0135774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:22:34.71ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#135
0136774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:22:50.16ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
136
0137774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:22:55.15ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#137
0138774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:23:11.40ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
138
0139774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:23:16.61ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#139
0140774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:23:31.61ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#140
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2018/12/15(土) 13:23:36.70ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#141
0142774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:23:52.17ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
142
0143774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:23:57.75ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#143
0144774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:24:13.06ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
1a4
0145774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:24:18.11ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#145
0146774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:24:33.82ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
146
0147774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:25:14.86ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
147
0148774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:25:20.00ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#148
0149774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:25:35.24ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#149
0150774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:25:40.30ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#150
0151774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:25:55.81ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
151
0152774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:26:00.99ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#152
0153774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:26:16.23ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
153
0154774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:26:21.60ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#154
0155774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:26:36.76ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
1a5
0156774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:26:42.02ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#156
0157774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:26:57.36ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
157
0158774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:27:02.45ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#158
0159774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:27:17.69ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#159
0160774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:27:22.29ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#160
0161774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:27:37.63ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
161
0162774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:27:42.28ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#162
0163774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:27:57.44ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
163
0164774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:28:02.31ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#164
0165774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:28:17.53ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
165
0166774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:28:26.12ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#1a6
0167774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:28:41.69ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
167
0168774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:28:46.38ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#168
0169774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:29:01.64ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#169
0170774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:29:06.55ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#170
0171774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:29:21.90ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
171
0172774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:29:26.87ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#172
0173774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:29:55.58ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
173
0174774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:30:00.74ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#174
0175774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:30:39.50ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
175a
0176774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:30:44.37ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#176
0177774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:30:59.58ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
1a7
0178774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:31:04.77ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#178
0179774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:31:20.06ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#179
0180774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:31:24.98ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#180
0181774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:31:40.43ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
181
0182774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:31:44.83ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#182
0183774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:32:01.21ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
183
0184774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:32:05.76ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#184
0185774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:32:21.02ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
185
0186774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:32:27.89ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#186
0187774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:32:43.14ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
187
0188774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:32:48.94ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#1a8
0189774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:33:04.30ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#189
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2018/12/15(土) 13:33:09.44ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#190
0191774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:33:27.19ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
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0192774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:33:33.53ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
#192
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2018/12/15(土) 13:33:48.80ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
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0194774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:33:57.82ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
194
0195774号室の住人さん
垢版 |
2018/12/15(土) 13:34:13.05ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
195
0196774号室の住人さん
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2018/12/15(土) 13:34:18.32ID:xxhtpx0u
大阪桐蔭の根尾昂を1位指名した4球団のうち、抽選箱に最初に右手を差し込んだのは中日の与田剛監督だった。
よく言われる「残り福」ではなくまさに引き当てたのだ。何枚かの封筒をまさぐった末につかみ取った金の卵との「交渉権」。
その右手を高々と挙げた瞬間から、与田監督に問われているのは、根尾をいかに育てるかというマネジメント術である。
根尾の才能はどんなポジションにも対応可能だということだ。ただし、この起用問題に関してはすでに結論が出されている。
根尾本人の「ショート1本で勝負したい。投手に未練はありません」という要望を球団も承諾。プロ入り後は遊撃手としてスタートを切る。
新監督のマネジメント術が問われるのはその先である。背番号7をつけ、颯爽とゴロをさばき、矢のような送球でアウトにする。
高卒であっても期待は即戦力。そんな根尾の姿を想像するファンも多いことだろう。そして、ふと気づく。
「京田はどうなるの?」そこなのである。根尾を使うにしても、使わないにしても日本中の注目が集まるのは間違いない。
「プロ野球なんだから実力の世界でしょ」
★というのはもっともな意見だが、ことはそう簡単ではない。
鳴り物入りの野手が入団したときに、現場を預かる監督はどう動いたか。中日には根尾と同じ遊撃手で2つの事例がある。
まずは1988年に入団した立浪和義(PL学園)だ。甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。
ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。
立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。
つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。
打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。このときの監督も星野だった。
前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。
星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。
巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。
入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。
人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。
「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦を本塁打0、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(遊撃手として13)の守備力は懸案だった。
勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。
そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。
宇野、久慈ともに30歳を迎えるシーズンでの転機だった。来季で25歳となる京田とは実績や評価はまた違うかもしれない。
しかし、根尾を使うという決断は、今季全試合出場した京田のコンバートに直結する。
予想されるのは京田が二塁、二塁の高橋が三塁へという布陣だが、これまでの野球人生をほぼ遊撃一筋で過ごしてきた京田にとって、
すべての動きが逆になる二塁守備に適応するにはそれなりの時間が必要だ。かといって根尾のプレーを見る前に動き始めるということもあり得ない。
根尾を使うのか、使わないのか。使うのならいつ、どんな方法でチームを動かすのか。決めるのは与田監督だ。
恩師でもある星野監督が見せた一流のマネジメント術。立浪を抜擢した1988年も、福留を使った1999年もチームを優勝に導いている。
そろって名球会入りしており、育成と勝利の二兎を得た。新監督もその道に続けるのか。
リーダーの決断に注目だ。
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