精神障害2級・生活保護受給者の一人暮らしへの道
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友人がとにかく不憫なのでスレたててみた。
興味があったらみてくれ。 ことの発端はDVと交通事故と離婚裁判が立て続けにおこったこと。
家を新築したあたりから、旦那の言動がおかしかったそうだ。
共働きで日勤夜勤ですれ違いなのに、家事は一切やらず、出来ないとキレて暴言を吐き
暴力もあったらしい。
ある日のバイク出勤時、や●ざの下っ端2人組に自転車で突っ込まれ惨事にはならなかったものの
椎間板がズレ、鎖骨骨折、脊髄の膜に穴が空き、脳脊髄液が漏れて高次脳機能障害になりほぼ寝たきり。
それなのに「お前が家事をやらないから、俺は実家に帰る」と言い、一人出て行った。 そして、「離婚しろ」と矢のような催促。
とうとうDVと男性恐怖症・PTSD・パニック障害等で神経科を受診。
弁護士を立てての話し合いなら応じるといっているのに理解せず何度も脅しをかけてくる。
何度か警察のお世話にもなった。
出て行った旦那の部屋を捜索したところ、風俗のおねぇちゃんと仲良く写っている写真を発見。
直筆の手紙もあった。
そのほかにも、性病に2回かかっていたことなどいろんな情報をかき集め離婚裁判。
旦那には会いたくなく弁護士に任せていたがせいで時間がかかったが離婚成立。
しかし、事故の後遺症で頭痛・めまい・吐き気・耳鳴り・不眠等でまともに起きていられない状態。
働く事が困難になり退職。
その状態で、住宅ローンや固定資産税等払えるわけもなく、家は競売に。
実家に帰ろうと家電を先に送ったら姉に売り飛ばされ、今帰省したら確実に姉を刺すか殴るかすると言うので
父に落ち着くまで帰ってくるなと言われ、世を儚んで家に火を付けて一緒に死のうとか考えてたらしい。
精神科の医師に福祉の世話になりなさいと言われ、生活保護と障害者の認定を受けるが、
生活保護の審査員がぐだぐだ言うので、役所でぶち切れ
「働きたくても病気で働けない人間は死ねばいいんですよね?」となんども繰り返し
ストレス過多なのを薬で底上げして家の退去期限2週間前になんとか受理される。
そして物件探し。だが、制約が多すぎてろくな物件がない。
やっとみつけて、アパートの鍵を受け取ったのが退去1週間前。
生活保護者が引っ越すには3社から見積もりを得てその中で一番安い業者に頼むらしいのだが
サカイとアリとアートに頼んだところ、アートは見積もり書を3日後に持ってきた。
アリは見積もりすると段ボール箱をくれるとあったのにくれない、
サカイは毎日電話攻勢。
ろくな業者がいないとこぼしていたが、結局値段の安いサカイで引っ越し。 サカイに決まってから引っ越しまで2日。
手伝いに行くと、家一軒丸々汚部屋と化していた…。
病気+世を儚んで2年ほど引きこもっていとそうだが、
玄関から足の踏み場がない。服とペットボトルと賞味期限の切れた食品の山。
冷蔵庫には2010年の牛乳…。実家から送ってきた柿と思われるものが溶けた段ボール。
服をよけるとゴ●●リと糞と卵…。
よく生きていたもんだと感心した。
働かざる者、食うべからず
働けざる者、生きるべからず 裏庭はジャングルと化していたのを必死で刈り込む。
あきらかに不要と思われるものをとにかくごみ袋へ。
服はまとめて、家具を運び出す道を作る。
かろうじて人が通れる足場を確保したところでサカイ到着。
しかし、頼んでいた内容が現場の人間に伝わっていない様子。
担当者となんども電話で確認ののち作業開始。
そこでまた問題が勃発。
事前に持ってきたダンボールではたりないので残りは自力でもってこいときたもんだ。
どれだけケチってるんだ、サカイ。
>>10
だから役所で「死んだらいいんですよね?」ってなんどもいいましたよ。 サカイの話に戻ろう。
とにかく必要物を詰めて、トラックに積み込む。
新居に運び込んでぐったりしながら、まだ自宅に戻ると
搬出の際に外された部屋のドアがそのままであった。
さらに洗濯機は実家の父が取りにくるので玄関ぎりぎりに運んでおいてほしいとたのんだのに
コンクリートの屋外に放置されていた。
新居の方では本棚に傷をつけられ、棚の設置もせずに置き去りであった。
安いプランだろうが高いプランだろうが、客が望んでそれを了承したのであれば
最後まできちんとやり通すのがプロではないのか?
報告・連絡・相談も出来ないでなにがマイスターの技なのか。
次回引っ越すことがあれば確実にサカイは排除と心に決めたのだった。
新居では、湯船の排水溝にお湯を流すと喉を刺激するガスが上がってきたり
室内・エアコン清掃されていなかったりでいきなり大家ともめる。
オートロックだというが、インターフォンが各部屋の前にしかなく、
まず最初のドアがあけられない謎物件。
部屋は灼熱、窓は転落ギリギリ。
ここはいつでも死ねそうだと言っていた。
とにかく友人の無事を祈りたい。
ナマポ関連ならその日暮らし板のほうがいいと思うよ
http://uni.2ch.net/okiraku/
それに責任もって1000まで埋められるのかい?
読む限り教えてgooのほうが向いてる というか1はその友人をどうしたいのかさっぱりわからん 史上最大の屁理屈で不正の悪だくみ
俺はエセメンヘラーで生活保護不正受給だがポジティブか?!
http://com.nicovideo.jp/community/co1683368
http://twitcasting.tv/sen7538
スカID→sen2012
鹿児島県奄美市?志布志市? 42歳で詐病の柴田二郎 精神科病院のアルバイトで患者から悪知恵を身に付け現在に至る
家×2+山×2+畑があるにもかかわらず生活保護を不正受給!
漫画や小説もどきを書いて裏で色々やってるのに不正申告しまくり!
毎日一日中 薬物ハーブ、アルコール、072しまくりのお気楽生活! 都合の悪いコメがあるとNGに入れるから捨て垢を複数用意推奨!
確信に迫る質問には「どうだろうねぇ」で逃げるからすぐに分かる
悪行履歴=http://690.jp/3c
諸君!河本に続きこんなクズの存在に対して然らべく訴えよう!!
厚労省=https://www-secure.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html
片山さつき=http://690.jp/bk 管轄の役所=http://690.jp/bE >>18
確かに読んだけど俺もわからん
>>15で
>とにかく友人の無事を祈りたい。
って出てるし結論出てね?ナマポ受理されたんだし
ただ吐き出したかっただけか それは、友人でなく、自分のたいけんやろ。詳しすぎる。全く自分の反省がない。 いろいろ大変だったんだろうが汚部屋住人にろくなやつはいない
二年も汚物やゴキブリの中で暮らせるなんて尋常じゃないわ
メンヘラばっかり ●NHK Eテレ
8月6日(月)20:00
ハートネットTV
「シリーズ 貧困拡大社会(1) 若者に広がる生活保護」
生活保護受給者の実態
なんちゃって欝の20代ナマポ登場「働いたら損」「趣味はネットやゲーム」
8月7日(火)20:00
ハートネットTV
「シリーズ 貧困拡大社会(2) 孤立する生活保護受給者」
生活保護受給者の苦悩
パチンコ通いをする西成のジジイ。孤立だの寂しいだの愚痴を垂れる。
8月8日(水)20:00
ハートネットTV
「シリーズ 貧困拡大社会 生活保護世帯の子どもたち」
DQN家族登場。ボッシー「支援が足りない、たった30万じゃ貧しくて子供が可哀想」
8月9日(木)20:00
ハートネットTV
「シリーズ 貧困拡大社会 “貧困の連鎖”を断ち切れるか」
子供への連鎖を防ぐ
ナマポ出身のDQN登場。「俺が中卒なのは国が悪い」
人格障害女が、家事もせずに家はゴミ屋敷。
夫から愛想をつかされ、離婚寸前の家庭内別居状。(DVはよくあるバツイチ女の脳内)
交通事故があったけど、入院もせずにすむ軽症。
あいかわらず家でゴロゴロしているのに、夫がついにキレて離婚を切り出す。
人格障害女、キレまくる。夫に嫌がらせ。
離婚成立後は、ひきこもって家をゴミ屋敷にする。
妄想で、家族すら攻撃するようになる。
役所で死ぬ死ぬ詐欺をする。「死ねばいいんでしょ!」と脅す人間に死ぬ気なんぞない。
人殺ししてでも生き残るだろう。
キチガイパフォーマンスでナマポゲット!やったね!
引越し代はすべて税金から出ているのに、運送会社にも大家にも文句タラタラ。
手厚いサービスと高級マンションじゃないことに腹を立てる。
不正受給ですね。
>>12
おまえどう見ても友人じゃなく本人だろw
優しい言葉かけてもらいたくてこんなスレたてたんだろうが叩かれるだけだって
まあストレス過多なのを薬で底上げしてまで粘った甲斐があってよかったね ほぼ主観での描写だし引越しのくだりとか詳しすぎるしな
スレタイからこれから受給を目指すスレかと思った
1はどういうレスが欲しかったんだろ
大変な思いしたな、お役所はひどいな、まぁなんとか生き残れ
とか?
そう言いたくならない何かがあるんだけどなんでだろうな ああ、>>23も書いてるが自分のほうにも責任があるという気持ちが
ちょっとでもあるように見えないからか
事故は不運だが、夫は自分で選んだはずだ
そして感謝の心は全くなく文句ばかり
これじゃあ同情票は得られないと思う…
同じ境遇でも、
こんな部屋しか与えられなかったがとりあえず雨風はしのげる、ありがたい
みたいな書き込みだったら反応はずいぶん違ったと思うな 勝手に家電を売り払う実家がDQN
関わらない方がいいとオモ ニュース見たか?
補正予算案不成立で生活保護の支給遅延の可能性アリだって。
今後満額支給されなかったら、どうする? 【ナマポの特徴】
・なまくら、甘ったれ。
…仕事探す気ゼロのくせ、こうなったのは環境のせいと決めつけてる。
・性格ブスが顔に滲み出た、カビ臭いド底辺クソ女。
…人の善意を悪意にしか取らず、ひたすら相手の悪口のオンパレード。
・逆ギレ、開き直り。
…相手に逆ギレし、現実逃避するしか手立てが無い。
・低学歴で無能。
…高校中退してしまうから、最低学歴中卒のままでろくな就職先も無し。
・目糞、鼻糞で歪み合い。
…40超えても勤労義務を放棄した糞野郎としか、喧嘩の相手もいない。
・自分は弱者、被害妄想。
…「精神障害者」は、どんな違法行為でも作業所理事が擁護してくれる。
「作業所/大人の幼稚園」で、一生「被害妄想」ごっこの自称弱者。
そうよ、それは私の今の偽らざる現実の姿なのよね。
お国の公金・助成金を使って、ひたすら怠け者、廃人、犯罪者を養成。
メンヘルナマポと、精神の作業所は、全て廃止すべきだわ。
こんな「大人の幼稚園」に大いなる税金の無駄遣いをするぐらいなら、
本当に困っている保育・老人介護の分野に、全額公金シフトすべきよ。 ああ俺も似たような立場だから分かるわ
広汎性発達障害の二次障害で社会不安障害併発してて労働の場に出れる自身が無い
一応支援施設に相談に行ったり訓練もしてるが、それは全くプレッシャーのかからない状況でしかないし
無収入だからガテン系の弟に疎まれてる上に家には母親の彼氏がいてすごく折り合い悪いし
15年社会に出てたけど単純な作業がかろうじてやれてたくらいしか記憶に無いわ 事情があってすぐ
愛知県内の安物件に何とか引越して
すぐ生活保護申請して
年金とナマポで食いつなぎながらと計画してます。福祉が充実していてナマポは障害年金支給分が差し引かれず給付されるらしいので、愛知に引越そうと思ってます。すぐにそうしたいです。
なんとかして家族と共同生活の今の借家から抜け出して今すぐ自活していきたいです。とにかく今すぐ。
不可能ですか?何か方法ないでしょうか。本気で自立したいです。出来ないですか? ■黙殺された野村総研の『テレビを消せばエアコンの1.7倍節電』報告
http://www.news-postseven.com/archives/20110810_28053.html
「こまめに電灯を消そう」「エアコンの設定温度を28度に」
テレビのワイドショーでは、様々な節電方法が連日紹介されている。その一方で、黙殺され続けている
「一番効果的な節電方法」がある。それはズバリ「テレビを消すこと」だ。
興味深いデータがある。野村総合研究所が4月15日に発表した『家庭における節電対策の推進』なるレポート。
注目したいのは「主な節電対策を講じた場合の1軒あたりの期待節電量」という試算だ。
これによれば、エアコン1台を止めることで期待できる節電効果(1時間あたりの消費電力)は130ワット。
一方、液晶テレビを1台消すと220ワットとなる。単純に比較しても、テレビを消す節電効果は、エアコンの約1.7倍にもなるということだ。
この夏、エアコンを使わずに熱中症で亡くなる人が続出しているにもかかわらず
「テレビを消す」という選択肢を国民に知らせないテレビ局は社会の公器といえるのか。
自分たちにとって「不都合な真実」を隠しつつ、今日もテレビはつまらない番組を垂れ流し続けている。
■新聞購読を止めてみる?年間約5万円の節約に
なんとなくダラダラと購読し続けてしまう新聞・・・テレビ欄やスポーツ欄くらいは見るし、近くのお店の
チラシは入っているし、たまには興味のある特集記事が掲載されていたり・・・
「契約の更新のときも、なんとなくサインしてしまっていませんか?」
メジャーな全国紙を朝刊・夕刊のセットで購読すると「月額約4,000円、年間で5万円近い出費」となります。
また、毎日出る読み終わった新聞をまとめて捨てるのも意外と小さな手間に。さあ、思い切って新聞購読を止めてみませんか?
「浮いたお金と時間を、より有効的に活用」することで、人生が変わるかもしれません。 生活保護ってリスクもあって怖い。
精神障害の生活保護で暮らせたとしても一生じゃないし。
生活保護は車没収でもう所有出来ないんだろ?
車が無いと買い物行くのも不便、仕事も探せない場所だと積んでしまう。
急に役場から「○○さん働けそうですね、生活保護打ち切ります。」って通知されたら終わりだな。
貯金無いだろうし車買う金無いし、バスや電車だと職場探しの条件狭まるし。
精神障害2級で100%一生生活保護貰える可能性ないでしょ?よくやるよね。
>>1の友人の人へ伝えてほしい。
役所・役場の人間なんて信用してはいけない。
警察が人の死体を見慣れている用に、役場の職員は弱者の野垂れ死にには慣れている。 >>38
何やお前?
110万円も持ってるのに生活保護申請か?
不正やないか!
くたばれや! >1さんと同じ脳髄液減少症とPTSDで精神2級と生保です。脳髄液減少症の原因は元プロボクサーだった父からの虐待。
15歳で警察に助け出され擁護施設へ。就職するまでの三年半、実家に居た頃の様に食事を抜かれたり殴られたり自室に軟禁される事無く楽しい時間を過ごせました。
やりたい職業はあったけど、父から家業の運輸会社を継がない免罪符を得る為化粧品小売り会社の東京本部に就職。
五年近く働いてから本当の目標に向かうべく退職。なんとかまた五年後に目標の仕事で食べられるようになり仕事場も構え忙殺されながらも充実した日々を送っていました。
順風満帆と思えた生活に、一本の電話が亀裂を生じさせました。 父の末期ガン宣告と実家の会社の絶望的な傾きでした。重役達には仕事を辞めて実家に戻って父の介護をするよう懇願されましたが、断りました。
彼等は私が実家に居た頃からの古参ですから、私が父や継母にどんな扱いを受けていたか忘れた訳では無かろうと問うと全員黙り込み、その話は以後出なくなりました。
が、継母とも離婚し可愛がっていた犬にも死なれ、意気消沈した父は服薬自殺未遂と感電死未遂を図り、重役達も頭を抱えている状態でした。
暴君だった父は病気(ガンとは伝えていない)を境に今まで私や私の母(私が11歳の時離婚して出て行った)にして来た、精神的・肉体的暴力を思い出し後悔に今更苛まれて自殺を図ったらしいのです。 あの時、無用な情けを掛けなければ私は現在の>>1さんと同じ病に苦しんでも"不運だった"と自分を納得させられたかも知れません。"親子の呪縛"とは恐ろしい。
私は仕事の合間を縫って出来る限り介護を始めたのです。
自宅兼仕事場のある駒込から大田区上池上まで電車とバスで一時間半。その間膝の上で仕事をしたり足りない睡眠を補ったり。いざ入院・手術ともなれば枕持参で仕事を持ち込んで手術終了を待ったり。
そんな事の繰り返しの一年を過ぎた頃、私はふたつの仕事を抱え退院して自宅療養中の父の元に1ヶ月近く行けませんでした。その間には必ず電話で父と話したり、きちんと食べているかなど気には掛けていました。
いつもの様に電話をした時"とうとう不渡りを飛ばした"と云われ一瞬絶句したけれど"いっそ破産しちゃおう!んで、ウチの仕事場の近くに私名義でアパート借りてあげるから住みなよ!それぐらいの余裕有るから☆"
父は電話の向こうで"俺、乞食にならないで済むのか?"とのたまうので"そんな事になる訳がないじゃない!"と叱咤し、次行くまで何食べたいか考えといてと伝えて話を終えました。 それから一週間ほどして、ふと時計を見ると昼食時。親父ちゃんと食べてるかな…と思いつつ仕事に没頭する事二時間ほど、ふいに電話が鳴った。
出ると私が生まれた頃からの父の友人で手術や見舞いに足しげく来てくれている自動車修理工場の社長からだった。
"○ちゃん、今すぐ会社に来てくれ" "? 何かありましたか?" "いや、事故があってね。すぐ来れるかい" "……はい。今から行きます" 電話を切って思ったのは"死んだんだな"と、親父が。
着の身着のまま山手線に飛び乗り座席に着くと、色々な感情が押し寄せて来る。多分、もう向こうに着いたら泣けない。いや泣くものか。一時間半の間、私は静かに涙を流し続けた。
会社兼自宅兼社員寮の手前に会社の倉庫がある。その会社寄りのアスファルトが広範囲に水に濡れていた。嫌な予感を振り切りる。
そこを通りすぎ会社の二階、父の住まう2LDKと社長室があり、重役達及び役員でもある父の姉、つまり伯母も顔を揃えていた。
"○ちゃ…っ!" 泣いて悲しみでも分かち合いたかったのか目を潤ませご丁寧に口元までハンカチを持っていこうとした伯母に、あらん限りの殺意を込めた視線を送ると彼女は黙って項垂れた。その小狡さも忌々しかった。
まあ座りなさいと修理工場の社長が指し示したのは父の社長椅子だった。嫌だったが渋々座ると社長が切り出した。
"○ちゃんには事故って云ったけどね、お父さん、死んだんだ" "…はい。判ってます" その場の全員がぎょっとしたがそれは無視した。
"で、私はどうすれば"
重役が運転するクルマで所轄の警察署へ。年配のくたびれた、しかし人の良さそうな刑事が"すみませんねえ"と色々書類を抱えて来た。すまないのは此方なのだが。
父が飛び降りたのは会社に隣接する倉庫からだった。三階建ての社屋の非常階段の丁度二階部分、父の居室の前の手摺から飛び移ったらしい。足跡は父のものだけで他殺ではなく自殺と判断された。
"いやぁ、驚いておるんです" 刑事はひとりごちた。"お父さん、63歳でいらしたでしょう?階段の手摺から倉庫の屋上まで1メートルちょっとあるんですが、よく飛び越えましたな"
父は運動神経が優れていて柔道・剣道・空手の有段者で元プロボクサーだった事も付け加えて話した。ははぁと感心しながら刑事は調書に書き加えている。
一通りの手続きの為に身分証と実印はお持ちですかと尋ねられたので、パスポートと実印を胸ポケットから出すと刑事は目を丸くした。なんと準備のイイとでも思ったのだろう。
自宅で上着を着た時に恐らく必要になるかと持って来ていたのだ。様々な書類に目を通し捺印していく。一押し毎に私は覚悟を決め、感受性を遮断していった。
"じゃ…ご確認の方をお願い出来ますか"席を立ち大部屋を出ると廊下の椅子で重役達と伯母が紙のような顔色で待っていた。"こちらです" もうひとり刑事が付いて私達は署の裏の霊安室へ向かった。 セメントブロックだけで造られたその部屋に、解剖を終え白い布地にくるまれた父は横たわっていた。きっちり頭から墜ちたのだろう、頭部はフットボールを横にした様に潰れ鼻はめり込み歯は折れて数えられる程しか見えない。
伯母は父の名を呼びながら慟哭していた。が、私は自分の中にふつふつと沸き上がる怒りをどう押し殺したものかと考えあぐねながら佇立していた。次の瞬間
"意気地無し…っ!" そう吐き出すように口走っていた。
隣に居たもうひとりの刑事が驚いたのか私を素早く振り返った。
そうだろう。遺族は、しかも一人娘なら泣くか呆けるかするのだろう。親の遺体を罵るのはさぞ珍しかろう。
だが私にはその権利がある。傷害で前科二犯、彫り物を入れてボクサーをクビになった後はヤクザにその次は、右翼団体の幹部に。その為に私は物心付いた時からあらゆる差別を受けて来たのだ。
そんな極道な父親でも、最期ぐらいは畳の上で一人娘に死に水取られて往生させてやろうと私は覚悟を決めていたのに。為さぬ仲の父娘でも最期ぐらいはーーー。
最後の最後まで、この男は私を裏切るのか。13歳の夜、無理矢理私を犯したように。何度私を絶望させれば気が済むのか。 通夜・葬式は桐ヶ谷霊園で執り行う運びとなった。霊園の空き待ちの間に父に昔世話になったという葬儀会社の専務を名乗る人物が会社にやって来た。ヤクザ時代の舎弟と私は踏んだ。
とにかく安い式でと頼んだ。死に方が死に方だし死んだ事も知られたくなかったので箝口令をしいたが通夜だけで弔問客は500を超え、葬儀会社の専務は祭壇を立派なものに替え私をハラハラさせた。
専務は"大丈夫、最初の約束の50万でいいから" と笑ったが、あれは絶対200万は超えてると余計に胃が痛くなったが、右翼団体の隊長や幹部の方々もいらしてくれて頼もしかった。
式は恙無く終わり出棺となったが不渡りを飛ばした自宅兼会社に遺体を連れ帰れる筈も無く長いクラクションの後、桐ヶ谷霊園の前庭を一周して父の遺体は桐ヶ谷霊園内の焼き場に直行した。
本来なら初七日だか四十九日に行う精進おとしも骨揚げの後直ぐ近くの料亭で済ませた。
料亭に向かおうと桐ヶ谷霊園を出ようとして、門の近くに停められた白のセダンに気が付いた。ナンバーが警察車両だったからだ。右翼団体の御歴々も参列されたのだ。公安の車だとしか考えられない。
私は焼き上がったばかりの父の遺骨が納められた骨箱を抱き直した。骨はまだまだ熱く骨壷から骨箱を通して熱を伝えて来る。これが親父の最期のぬくもりなのか、随分と熱いや、とひとり苦笑いした。
公安が張るような葬式、娘に出させんなやとひとりごちながら、精進おとしの会場へ向かう坂を登った。 2億円の負債が残った。申し訳ないが相続放棄手続きをして銀行には泣いて貰った。だが、私も子供の頃からお世話になったり顔見知りだったりした方々からの個人的な負債は返さなければ義理が立たない。
会社(法人)宛に下りた死亡保険金と受取人が私宛の死亡保険金を合わせるとギリギリ返せる額だった。重役達と私で計9000万円を借りた個人毎の金額を持って散り、窓口が閉まった後のATMから振り込んだ。
月曜日には会社を空にしなくてはならない。社屋は曰く付きになってしまったが、社員の知り合いの社長で広い社屋を探している会社が入ってくれる事になったからだ。正直有り難かった。
重役及び社員達の再就職先も全員決まった。個人の借金をゲリラ的にではあったけど返した事が業界で認められたのもあったが、父の会社の社員は優秀と昔から評判で引く手あまただったのだ。
私は取引先各方面にかくかく然々と訳を説明して1ヶ月だけ仕事を休み事務処理に奔走した。その甲斐あって社屋の整理や社員達の行く末が決まった。義理は通しておくものだと痛感する。
私は一人娘として遣り切ったのだ。 だが、地獄はその先に待っていた。
相変わらず仕事に追われる日々の中、不思議な多幸感が私を包んでいた。父方の墓は北海道なので11月に死んだ父の遺骨は5月の雪解けを待たないと納骨出来ない。
ベッドの枕元に父の遺骨を置き春を待った。一時の多幸感が薄れると猛烈な後悔と自責の念がひっきりなしに襲って来た。父にもっとしてやれる事は無かっただろうか?我知らず父に心無い事を云ったりしなかったか?
寝ても覚めても夢の中でも、自罰的なかんがえしか思い浮かばなくなった。一番困ったのは仕事だった。父の遺体確認をする為に遮断した感受性が分厚い隔壁に阻まれて全く機能しなくなったのだ。
実は表現を生業としていた私にとって、これは致命的な問題だった。感受性を遮断する前までの引き出しに残っている題材はそこそこストックがあったが、遮断した後全く入って来ない。要するに貯金を食い潰すだけの状態になってしまったのだ。
表現する仕事をする者として、これ程心細く恐ろしく怖い事は無い。それでも二年半程は保っただろうか。たが出し尽くした刹那から私は全くのがらんどうに成り果てた。そして遂に仕事に穴を開けてしまう。
信用を失い感受性から途絶された時間の中で、私は少しずつ 私は少しずつ綻び、狂って行った。
自分の精神の病巣に気付き怖れた私は専門家に助けを求めた。そんな時出会ったのが齋藤 學氏の"アダルトチルドレンと家族"だった。15で児童擁護施設に入った後、私は一時脱け殻のようになった事がある。
「父」と云う牢獄と"いつか倒すべき敵" を保護される事で失い、今で云う"荷下ろし症候群" に陥ったのだ。家庭で迫害を受けていた分学校でハジケていたが、廃人のように呆けてしまい教師達に随分心配された。
安全な暮らしと友人や学校の教師達や施設の保母さん達の努力で暫くして治まったが、自分の中に巣食う病巣を見た私は心理学や精神病理学の本を読み漁るようになった。
だが、どの精神科医も心理学者も私からは遠い存在だった。その内私はソノ手の本の奥付けしか見なくなった。内容がどんなに良さそうでも連絡先が奥付けに無い本は読まなくなった。だが齋藤氏は違った。
奥付けに住所と問合せ先電話番号を見出だした時には口から心臓が飛び出しそうになったし、本の帯や目次に目を通しただけで涙が溢れた。ここに連絡しよう!そして自分の病巣について教えを乞おう!
私は興奮に足を縺れさせながら本を握りしめレジへと向かった。 本を何度も熟読し奥付けの電話番号に連絡した所、診察を受けられる事になった。しかし初診は1ヶ月先(これでも奇跡的に早かった。3ヶ月半年待ちなんてザラだった)この1ヶ月が一番苦しかった。
なにせ生殺しなのである。初診の予約は取れたのだからその日まで待つだけなのだが、その待ちの時間が"かくかそうよう"(変換出来ずorz)
まるで身体中の皮膚の奥で多足類虫がびっしり蠢いていると云えば想像が付くだろうか、とにかく苦しかった。
あの時間をどうして遣り過ごしたのか未だに思い出せない。とにもかくにも、その日は来た。まず初診者だけ一室に集められオリエンテーション。
クリニックでのルール説明だ。メンバー(患者)を徹底して守るシステムに驚く。それが終わるとメディカルケースワーカーによる聞き取りだ。
自分の代の血縁関係全てとその生死・離別か死別か、それを思い出せる限り遡る。そしてクリニックを受診したい理由。これはこの書き込みのように長い(申し訳ない!)
漸く初診の時が来た。が、診察室で私を待っていたのは線の細い女医だった。正直拍子抜けした。齋藤 學氏に直接会えると思っていたからだ。
女医は私の聞き取り書類を改めて目を通し"○○さん、よく貴方自殺しないでここまで辿り付きましたね" 驚いて私は顔を上げた。
"ここは安全な癒しの場所だから。安心して、ゆっくり貴方の傷とその苦しさをほぐして往きましょうね" 私は頷いた。涙を止めどなく流しながら。 今なら良く判るのだが、私は "精神科医" に掛かると云う事の本質を勘違いしていた。精神科医は "答え" を授けてくれる訳じゃない。くれるのはヒントだけだ。ただ病んで混乱した頭では理解が追い付かない。
やがてミーティングやシェアリングに意味を見出だせなくなり、クリニックから足が遠退き、食事を調達する以外は部屋に籠りきりになった。
そんな或る夏の日、目覚めると左膝が腫れ上がっていた。ベッドから降りるのも歩くにも酷く痛んだ。捻ったり打ったりした覚えも無い。困惑しながら湿布を貼って安静にしていた。
翌日、右膝が同じように腫れ上がっていた。同じように痛みトイレに立つのもやっとだった。自分の身に何が起きているのか判らず不安と恐怖に苛まれた。
膝の権威で有名な大学教授に診て貰い、レントゲンやMRIを撮っても教授は首を傾げるばかり。"変形性膝関節症" 大抵は閉経後の女性がなる疾患だ。当時私は30半ばぐらいだったと思う。
レントゲンやMRIでもある筈の場所に軟骨の欠片も無く、大腿骨と脛からの骨ががっつりぶつかり合って実際歩くとゴリゴリと音がするほどだった。"失われた軟骨は元に戻らない" 教授は云った。
"人工関節手術も貴方の年齢では後30年は待たなくてはならない" 湿布と鎮痛剤を出され、近くの整形外科で電気を掛けて貰い膝周りの筋肉を鍛えるよう言い渡され診察は終わった。
これでまず物理的に齋藤氏のクリニックへ行けなくなった。タクシーで駅向こうの一番近い整形外科に掛かりながら、通帳の残高に思いを馳せた。いつまでも月10万のマンションに居る訳にもいかない。
整形外科に近い商店街の奥、風呂無し45000円のアパートへ引っ越した。それと共に近所にたったひとつの精神科クリニックに転がり込んだ。膝を壊して更に不眠と鬱が酷くなったからだ。
東大教授だったお爺ちゃん先生は、静かに私の話を訊いた後、"驚いたよ"と眉を曇らせ導眠剤と坑鬱剤を処方してくれた。劇的に効いた坑鬱剤も耐性が付くと効かなくなり、不眠も深刻になっていった。
だんだん薬が強くなりそれでも不安と自責に苛まれ、風呂にも行けず歯も磨けず一日に一食、弁当を買いに出掛けるだけの生活になった。父の所へ行きたかった。云ってくれたら一緒に逝ったのに。
お父さん、どうして私を置いて逝ったの?
処方されたばかりの薬と効かなくなった薬の残りを、全てウィスキーで流し込む。死にたいと云うより、生きていけないと云う思いの方が強かった。寂しくて淋しくてさびしくて。
ぐるぐると回る天井を眺めながら、ああ、やっと楽になれると私は微笑んだ。 ……"何、どうしたの?"…"全部飲んじゃったのかあ"ーーーー。……あの声は近所の古本屋のご主人、の…? そこで意識が途切れた。
次に目覚めたのは、経験した事の無い激痛の最中だった。鼻に管を通されーーーー。獣のように呻き渾身の力を振り絞って四肢を動かした。四方八方から押さえ付けられたのと同時に鋭い声が跳んだ。
"自分でやったんでしようがーーーーーーーーっ!!"
私は暴れるのを止めた。 "そう、自分でやりました"
再び私の意識は深く沈んだ。
次に目覚めた時、枕元の椅子に親友が座っていた。日本人離れした磁器のような滑らかな肌が、青くくすんで見えた。"エ……リ…?" 跳ねるように彼女は私に覆い被さって来た。
暫く私を抱いたまま震えていたが、腰まで伸ばした髪を勢い良くかきあげると"お医者さん、呼んでくるから" と病室を出て行った。
20年来の親友を傷つけてしまった。氷のような美貌を持ちながら、誰よりも近しい相手に利他的な彼女が、曲がりなりにも命を棄てるようなマネをして傷付かない訳が無い。
死に損ねた上に親友を傷つけて…いや、死んでいたらもっと彼女を傷つけていたと思う。医師と看護師の後ろから見えた美しい横顔は、少し上気して見えた。
運び込まれた都立病院には精神科が無く、お爺ちゃん先生のクリニックへ行き転院の手続きをしなければならなかった。私には伯母以外に身寄りが無かったが、親友は私同様彼女を忌み嫌っていたし、親友のお父さんが弁護士だった事もあり身元引き受け人になって下さった。
翌日、まだフラつく身体を親友に支えられお爺ちゃん先生のクリニックへ。先生は "やってしまったねえ" と苦く笑って "丁度キミのアパートの近くに同期生が院長をしてる病院があるから、入院するかい?"
私は頷くしか無かった。これは措置入院なのだから。先生が紹介状とカルテ情報を用意している間、薬が抜け切れていない震える身体を親友に委ねながら "ごめんね。ありがとう" と呂律の回らない口で告げた。
途端に堰を切った、圧し殺した彼女の嗚咽が閑散とした待合室に響いた。
私が救急で運ばれたのは親友がたまたま私に電話をして、無意識下で取った枕元の子機で様子がおかしいと判断した彼女が119番に連絡。
搬送先が決まったら救急隊員から親友へ連絡を貰い駆けつけた、と云う経緯をのちに知らされた。ごめんね、ごめん。もうこんな事しない。死にたい思いに囚われたら、アンタの顔思い出すから。 それから幾度も入退院を繰り返したけれど、二年掛けて膝のリハビリをして杖を点きながら齋藤氏のクリニックにも通えるようになった。
入院中脳波を計ったたら異常が出てほぼ一生飲まなければいけない薬が出来た。脳波の薬と云っても、てんかん薬だ。でも処方して貰ったおかげでいきなりキレる事が無くなって、とても楽だ。
脳波異常の原因も父の暴力だそうだ。まあ物心付いた頃から毎日のように殴られてれば脳波ぐらい狂う。致し方無い。
それから、父に汚されてから遠ざけて来た恋愛とそれに伴うセックスやらを経験した。不倫なんかもしたりした。齋藤氏が主治医になって色々捗った。私がやっていた仕事をクリニックで講座として開く話を貰って、講師にもなった。
婚約して同棲して破談も経験した(相手は同一人物ですw)一千万近くあった蓄えも尽きて生保になった。
破談になった時、同棲中に飼った犬を婚約者の母親が処分すると云い出したので、趣味のカヌーで出来た四国の友人に空き家を探して貰って移住した。地方は生保でも犬飼えるから。
移住して直ぐ体調崩して倒れ、脳神経外科でMRI撮ったら脳髄液減少症と判明。即入院してブラッド・パッチを受けるも怪我から35年経ち完快不可とお墨付きが付いてしまった。
その後精神2級がおりて、幾ら田舎で家賃が安いからと云っても生活扶助が東京とは段違いに安いから2級申請が通ってやっと一息吐けた。体調は年々悪化しているけど、いつか少しでも良くなる道を模索し続けるつもり。
去年の10月には東京の彼氏(新!)の招きでペット可ウィークリーマンションに一週間滞在。マンションに着いて寝込んだけど、件の親友や施設時代の同期の子が会いに来てくれて楽しかった。
彼氏は心臓に爆弾抱えてるから清い仲。私も脳髄液減少症の合併症で卵巣嚢腫と子宮筋腫&内幕症で、子宮卵巣全摘したから手術の痕見られたくないし。
折角介護して勝手に死んで会社の整理までしたのに、父にこんな時限爆弾仕込まれて色々な努力が無駄に終わったけど、後悔はしてない。その時やれる事を遣り切ったから。
ただ、先に病気が発症してたら父の介護になんか行かなかった。無理だし。そんな義理無い状態だから。逆に訴訟起こす。親友のお父さんに頼んで。
まあ、父が逃げ切り勝ちで私は最後尾じゃ運が悪かったと諦めるしか無い。今私が望む事は11歳になってまだまだ元気だけど犬をしっかり看取る事と彼氏より一日でも長生きして、同じく身寄りの無い彼の骨を拾う事。
お互いどっちか先に逝ったら生き残った方が骨を拾うって約束だから。そして犬のいはい 犬の遺灰とお互いの遺灰を混ぜて、海に撒いて貰う予定。
全ての河は海に注いでいる。だから海を見たら、ああ此処に眠ってるんだと思って貰えればいいし、河でもこの先で眠ってるんだって思って貰えればいい。
ふたりと一頭未来永劫仲良くじゃれながら、ね。
長々々々長文書き込み大変失礼致しました。心も身体も不自由だけど、今が一番幸せです。また悲しい事が襲って来るだろうけど、それはその時考えようと思います。ありがとうございました∪∧ω∧∪ノシ♪ >>59
難治性と判断されると2級になるみたい。単なるリスカじゃ無く本気で自殺しようとしたり、うつ病の原因が脳にダメージ与えていたり。まあ主治医によりけりなんだけどね。
自分の場合は虐待で脳波所見(異常)出て、てんかんの薬を服用するようになってから"うつの興奮状態で暴れる"症状はピタッと止んだけど一生服用し続けなくちゃいけないんで2級なんだって(ヽ´ω`)
確かに体調悪くて薬貰いに行けないと分離症状で頭の中でサーモスタットが切り替わるようなストロボライトがチカチカガンガン点滅して辛い。 >>60
当方、頑固な不眠症と抑鬱状態で15念願通院してます。
服用薬は、眠剤と抗鬱剤です。 >>10
さすが共産圏はいう事が違う
勤労の義務なんて憲法で謳うのは北朝鮮と旧ソ連と日本だけ 住宅扶助2割引き下げ
ジェネリック薬強制
外国人生活保護廃止 鬱だけど、最近物忘れもひどくなって
朝起きたら「雨か?」って思ったら台所の水出しっぱなしだった 就労移行支援事業所は、利用者1名×1日で行政から1万円前後の補助金が出てるんだよね。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています