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★心を浄化する方法★水井伸輔2
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0001癒されたい名無しさん
垢版 |
2010/01/17(日) 12:50:14ID:cnmeGM6t
スピリチュァルの新カリスマ、水井伸輔さんのスレ

水井伸輔
1975年3月岡山生まれ。
岡山大安寺高校卒。
早稲田大学第二文学部哲学科中退、7年後同学部に再入学し、思想宗教系専修を卒業(学士論文『内観療法における我執の超克』越川房子教授指導)。
声楽をバス・バリトン門屋留樹、ソプラノ・アンドーヴァーエジュケーター川井弘子に師事。
舞台表現における臨場感生成法を機能脳科学者・苫米地英人博士に師事。
ジャズシンガーShoko、ボイストレーナー小西あきお、武藤美鶴諸氏、ブレスヴォイストレーニング研究所、NSC吉本総合芸能学院などでポピュラーボーカルを学ぶ。
また、中学生の頃から誘導瞑想を自作し、様々な瞑想、武術、心理療法、スピリチュアル思想などを研究・実践。また、障がい児教育に関わり、都立小学校介助教員を務める。

ライブハウスいるか座を立ち上げ、いるか座ライブ、いるか座歌声喫茶など様々なライブ、イベントを主催。
XJAPANボーカルTOSHIの「世界がひとつであれば」岡山コンサートを開催し成功を収める。
歌手として、様々なライブ、イベントに出演し、70年代フォークやクラシカルクロスオーバーを中心に活動。
演出家・演劇評論家の故・土井美和子氏と共に学生と演劇の現場を橋渡しするワセステージを運営、柄本明氏主演「劇的リーディング」などの制作をサポート。
苫米地英人博士の直弟子・ドクター苫米地ワークスクラス師範代として、苫米地博士と2人で3年間述べ数百日のセミナーを指導。
多くの芸能人が学ぶ名門ボーカルスクール・モアーズ&アクトドライブにて「表現・芸術コース」を開講。
「苫米地メソッド役者クラス」を開講。
Sion Inc.株式会社経営企画室長として、様々な企画、ビジネスモデル設計を行いながら、新時代のヒーリング楽器シンギング・リンを使ったボイスヒーリングのセミナーを全国で開催。
シンギング・リンフェスティバル「鈴響の祭典」舞台制作、シンギング・リンセラピスト養成コースなどのシンギング・リンセミナーコンテンツを制作。

現在は、SIN Relation代表として、セミナーコンテンツ・テキスト制作、企画・プロジェクトマネージメントなどを手がけている。
SRS栗田式速読インストラクター。

ブログ
http://ameblo.jp/shin-mizui/

関連スレ
★洗脳・脳機能学者★ドクター苫米地英人
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/healing/1259903129/

前スレ(荒らしが潰し中)
【スピリチュアル】水井信輔【幸せの預金通帳】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/healing/1246532541/
0340癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 17:42:12.09ID:1fbOIsDp
結基は、やんちゃだった。
私は、犬のしつけに関する本を何冊も買った。
きちんとしつけたほうが、犬のためになると思った。

しかし、結基は気が強くて、私には全然従わなかった。
部屋の壁紙を噛んで剥がすので、やめるように言っても、まったく言うことを聞かない。
私が怒鳴っても、逆に興奮して、私に挑んでくる。
毎晩、私の部屋で、結基と私はバトルを繰り返した。
私を噛んだり、飛びかかってくるので、私も本気で怒鳴ったり、抑えこんだりする。
私の両腕は、小さな子犬の爪に引っかかれて、傷だらけになった。

太朗がいなくなった寂しさを感じる余裕もなくなった。
結基があまりにもやんちゃで気が強く、元気なので、私は一日中振り回された。
そのくせ、夜眠っていると、私の頬に体をすり寄せて、甘えながら寝るのだ。

どれほど私が叱っても、まったく動じない。
私があまりに怒鳴るので、親は、近所迷惑になると言った。
しかし、私は本気だった。
人を噛むような犬になったら困る。
躾が通用しないなら、本気でぶつかって、私の伝えたいことを理解してもらうしかない。

人間と犬という感覚ではなく、動物同士のコミュニケーションだ。
次第に結基は、強く噛まなくなった。
どれほど興奮していても、私を噛む時には、とっさに力を緩めた。

人を噛んではいけないということを完全に理解してくれた。

私は、これで十分だと思った。

https://ameblo.jp/mizui15/entry-12407011854.html
0341癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 17:51:19.34ID:1fbOIsDp
イルカちゃん ◆3WUSbsHINc 投稿日: 02/12/27 00:18
僕は自分の信じていることを疑い続けている。もっともっと疑いたいと思っている。
そして自分の存在や、自身のナルシシズムも打ち砕きたいと思っている。
でも、どんなに自分を追っかけても、どこまで行っても自我はどうしようもなく強固でずる賢く、自分を催眠状態に陥れようとする。
自分は正しい、自分は間違っていない、自分の存在は意味がある、人生には意味がある・・・
ほら、こうやってこんなこと書いている自分に酔ってないか?と自問自答する。
でも突き詰めたら、何もできなくなる。何かをやりながら自分のおぞましさを見続けてゆくことしかできない。
それが僕にとっての、修行といえば修行だわ。

あんたはそれで、僕にそういう忠告をして、何がしたいの?
自分はカルトじゃない、イルカみたいにバカじゃないと安心したいわけ。
僕も傲慢だけど、あんたもずいぶん傲慢だね。
0342癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 17:52:02.28ID:1fbOIsDp
イルカちゃん ◆3WUSbsHINc 投稿日: 03/01/05 00:38
>アンタらみたいな読解力や物事の本質を見抜く目を備えてない人々は騙されてしまうんだ

あんたは、物事の本質を見抜く目を持っているから、イルカが馬鹿だとわかる。
ところで、その物事の本質ってなに?
もしイルカちゃんがあんたを評価し、あんたを賞賛しても、あんたは反イルカでいるんだよね、もちろん。
本質が見抜けるあんたは、自分に対する評価やそこから無意識のうちに生成される他者イメージに影響されずに、
イルカちゃんの本質を見抜いて、鋭い指摘ができるんだね。

ちなみに僕は、そんな事はできない。
日常でも、自分を好いてくれる者を好きになるし、自分を嫌う者はやっぱり嫌い。。
本質なんて、所詮そんなもん。
0343癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 17:52:29.17ID:1fbOIsDp
イルカちゃん ◆3WUSbsHINc 投稿日: 02/12/01 21:47
オウムが批判されるのは基本的に、「犯罪を犯した」という点においてだけだよ。
もしオウムが、どこかの島で集団生活をしてヨガでもやっていたら、そしてその教義に危険性がなければ、別に一宗教団体に過ぎない。
今のオウムが批判されるのは、過去に犯罪を犯したから、犯罪の再現性があるという事において、みんな恐怖してるからだよ。

もし、自分の信じていること以外のものを信じている人間がすべからくキモくて、オウム的だと言うなら、
それはあまりに単純化した思考だよ。
たとえば、「君はオウム的だから危険だ」と言う場合、それは「君」の思考や行動に、犯罪につながるものがあるから危険だ、としか言えない。
君は変なものを信じてるからオウムだ、と言うなら、まったく同じ論理で、DSを信じている者もオウム的と言えることになる。
みんなそういうことを分かって、オウムだ、カルトだと批判してるんだろうか?
0344癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 18:43:02.91ID:1fbOIsDp
自分を善人だと思ってしまうと、人を裁いてしまうんですね。

正義というのも、同じことです。

これは、私は暴力の一種だと思います。

自分自身が、以前はそういう傾向が強かったので、よくわかります。

https://ameblo.jp/mizui15/entry-12359048778.html
0345癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 10:13:32.65ID:mQjwBh8x
私はなぜ、ここまで人生に苦労しなければならなかったのか。

つらい下積み生活を続け、誤解され、裏切られ、ひたすら耐え忍んできた人生。

一体なぜ、これほどまでの試練を経験しなければならなかったのか。

その時ふと、私の心に、ある言葉が浮かんだ。

それは、愛という言葉だった。

愛がなかった。

私は、なぜか、そう思った。

私には、愛がなかった。

ただ、それだけだと。

しかし、それだけだが、それは本当に厳しい課題だ。

愛とは、一体何なのか。

愛するとは、どういうことなのか。

https://ameblo.jp/mizui15/entry-12405554241.html
0346癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/10/10(水) 18:34:01.87ID:lWJ7f+6M
サイババの恩寵に関して、こんな話を聞いたことがある。

サイババから特別な恩寵を与えられた人は、その後の人生で、大変な困難に遭遇すると。

たとえば、全財産を失ったり、仕事を辞めたり、離婚をしたり、大変な不運に見舞われることが多いというのだ。

サイババがアバターであるならば、それは不自然だと思った。

サイババに特別扱いされたなら、むしろ、後の人生が幸運になってもいいはずだ。

しかし、全く逆に、数々の不運に見舞われる人もいるということだった。

それは、なぜなのか。

アバターに特別な恩寵を与えられるということは、仏教で言うところの解脱が近いということのようだった。

人間というのは、何百回も生まれ変わっているという。

その間に様々な行為を積み重ねていて、それが貯金のようになっている。

善行も悪行も無数にあり、それらの行為が波及して、いつか自分に戻ってくるそうだ。

行為という言葉は、サンスクリット語で「カルマ」と言う。

生まれ変わる中で蓄積した善行がカルマとして自分に戻ってくると幸運な現象が起こり、悪行がカルマとして戻ってくると不運な現象が起こるそうだ。

そして、解脱が近い人たちの場合、残された悪いカルマを短期間で全て解消しなければならない。

そのため、アバターから恩寵を与えられると、残りの悪いカルマが一気に戻ってくるということのようだった。
0347癒されたい名無しさん
垢版 |
2018/10/10(水) 18:34:34.92ID:lWJ7f+6M
もし本当に私たちが数百回も生まれ変わっているならば、きっと悪人であった過去も存在するだろう。

人を殺したり、陥れたり、無残に人の人生を破壊したこともあったかもしれない。

権力者になり、欲望の限りを尽くした人生もあっただろう。

それらが何らかのバランスとして自分に戻ってくるならば、私たちの人生が不運になってもしかたがないかもしれない。

もちろん、人間には、耐えられる苦悩の閾値のようなものがあり、耐えられない不運は起こらないという。

したがって、悪いカルマが一気に戻ってくるということは、それに耐えられるだけの精神力をその人が持っているということになる。

そういう意味で、解脱に近い人ほどカルマの解消が一気に起こり、大変な困難を経験しなければならないということだった。

このような考え方が、本当のことなのかどうかはわからない。

ただ、少なくともサイババに特別扱いされた人の中に、そのような困難な人生が待ち受けている人もいるということだろう。

私は、自分が解脱をするような人間だとは思えないし、そのような困難に耐えられるとも思えなかった。

もう十分に苦しんできたのに、これ以上、どのような試練を経験しなければならないのか。

私は、そこまでの成長は、正直、望んでいないと思った。

https://ameblo.jp/mizui15/entry-12410884601.html
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