チャン・ヒジェが淑嬪崔氏の暗殺を企み(朝鮮王朝実録記載)、王妃が亡くなって後ろ盾を失った淑嬪崔氏が、自身と息子を守るために今まで徹底的に控えめに過ごしてきたという武器を用いて、涙ながらに禧嬪張氏の王妃呪詛を訴えて大打撃を与えた(これも実録記載)というのが、実録上の解釈
王妃死後取り沙汰されていた新王妃擁立問題は、南人派は世子の実母である禧嬪張氏を推し、老論派は名門出身の寧嬪金氏(禧嬪張氏から寵愛を奪うために仁顕王妃と西人派が入内させた西人派名門の側室、仁顕王妃が廃された際には彼女も追い出されていた)
世子の母ならともかく、女官出身な上、二番目の王子の母に過ぎない淑嬪崔氏はそもそも支持派閥からも王妃候補として推されていない(実録記載)
あまりに順当すぎるので、淑嬪崔氏が禧嬪張氏の呪詛の告白を行ったのは自身の身とヨニングンを守るために過ぎなかったであろうという解釈が成り立つ
そもそも粛宗からしても世子を嫡子扱いにするために禧嬪張氏を一度は王妃にしたが、目的は果たされているので再度王妃にする必要がなく、敢えて西人(老論)派の側室を昇格させる必要性もない
揉める原因を避けるために「嬪御(側室)から王妃に昇格はできない」と法を作ったに過ぎない

そして、最終的に禧嬪張氏の息の根を止めた淑氏だが、彼女が承恩尚宮であった当時、第一子懐妊中と知りながら、禧嬪張氏(当時王妃)は激しい折檻を与え、そのことが粛宗にバレて、淑嬪崔氏は正式に淑媛となり、禧嬪張氏は寵愛を失ったという記録があるくらいの犬猿の仲
とういうか「淑嬪崔氏こそが悪女で禧嬪張氏は可哀想」説は微妙な様相
ていうか自身で蒔いた種
トンイ以前の作品は、禧嬪張氏VS仁顕王妃モノ(当たり前すぎる、派閥の筆頭なので)で淑嬪崔氏はモブキャラなんだが、トンイヒットとその後のキム・テヒ版チャン・オクチョン、テバクなどのヒットによって、「実は淑嬪崔氏こそ悪だったんですよ〜!」という記事を書けばアクセスが伸びるという目論見による「禧嬪張氏より淑嬪崔氏の方が悪い子!」説は安直でしかない
針房女官から王妃付き女官に出世したという、女官の中では上等だった淑嬪崔氏が死後に少論派によってムスリ出身だったと貶められ、現代では安直に注目されると思っての悪女説横行、なかなか不憫な人