次『大東野乗』所収の『東閣実記』によれば、
太祖は後継者の決定にさいし、裴克廉・趙浚などを召し出して諮ったところ、
裴克廉などは、平時であれば嫡子を、乱世であれば功労を先に考えて決定すべきであると答えたので、
それを密かに聞いていた康氏の泣き声が外にまで聞こえてきたという。それでその話し合いは中断した。
後日、太祖は再度裴克廉などを召し出して諮ったが、その時、裴克廉・趙浚などは、嫡子や功で考慮するという話はもう無くなったのかと退席した。
しかし康氏は必ず自分の子を立てようとするから、芳蕃は狂暴であり、末子ならばなんとか可能であると話し合い、
結局芳碩を世子に立てていただきたいと要請した。

『大東野乗』所収の李廷馨『東閣雑記』
○太祖神懿王后誕六男。恭靖王居第二。太宗居第五。神コ王后康氏。生芳蕃芳碩。及公主適李澄。
太祖嘗召裴克廉趙浚等于内殿。議立世子。克廉等曰。時平立嫡。世亂先有功。
康氏潛聽之。哭聲聞于外。遂罷出。他日又召克廉等議。無復有以嫡以功爲言者。克廉浚退而議曰。
康氏必欲立己出。芳蕃狂悖。其季稍可。遂請封芳碩爲世子。