曹操が父の仇を討たんと徐州に向かった際、呂布の猛攻からエン州の三城を守ったのが[荀ケ]、[程c]、[夏侯惇]の三人じゃ
[賈ク]は[張繍]が[曹操]に降伏した後、曹操の参謀として仕えることになったのじゃ。

[張任]は落鳳坡という場所で待ち伏せ、[ホウ統]を射殺したのじゃ
劉備を蜀の新たな主に迎えんと画策した[張松]は、友人の[法正]、[孟達]と語らって計画を進めておるの
流石の[夏侯淵]も[法正]と[黄忠]に組まれては敵わんかったの。法正の策にはまたっところを、黄忠に斬られておる

[蒋欽]と[周泰]は元は水賊での。孫策が旗揚げしたと聞いて孫策軍に参加したんじゃ
[張昭]と[王朗]は、旧君の諱を避けるべきか議論を交わし、大きな話題になったのじゃ。
孫権は「曹操には[張遼]がいるが、私には[甘寧]がいる」と発言したことがあるのう

美女連環の計とはいうが、ようは[董卓]と[呂布]で[貂蝉]を取り合っていただけじゃからな。あれ
袁紹が死んだ際、[審配]と[逢紀]と[劉氏]は遺言を捏造してまで[袁尚]を擁立したと言われておるの
[陳珪]、[陳登]の父子は基本的に徐州の保全のみを考えておる。誰が領主になろうが、地元さえ無事なら世は事もなし、じゃ
[馬超]が反曹操の挙兵をした際、[韓遂]は馬騰の義兄弟として協力を申し出ておるの。ま、直ぐに仲違いするんじゃが