宇宙背景放射がなんでビックバンの証拠になるの?
インフレーション時の光は相対的に高速を超えているのであれば何故地球に届くの?
何故長い間、今も観測され続けているの?
観測可能な範囲が限られているにもかかわらず、宇宙背景放射がずっと届いているのは何故? 新定常宇宙論支持する近藤さんがブルーバックスで背景放射の違う理解を述べていた
ちなみに背景放射のビッグバン仮説の当初の予想温度はかなり違うとか
違う理解の科学者の方が近くビッグバン仮説の予想温度の変遷を述べている
上にも書いたように科学者は観測発見した事象の理解を間違えることは天動説を典型によくある
酸素発見の科学者は有名だし
ビッグバン仮説は何も生まれない無くならないというエネルギー保存則を無視しているし光速度一定の原理が否定する絶対座標が存在するのだと主張する
何よりも対象に宇宙非宇宙と矛盾否定し合う関係が実在するのだと主張する
それでは対象は理解不能ではないのか?
対象が理解可能ならばこれらは無視してはいけないのではなかろうか
これらを前提の宇宙論にしなければならないのではなかろうか
新定常宇宙論も失格で現状では無限宇宙論であるアルヴェーンのプラズマ宇宙論が有力だと思う
対象が無矛盾ならば無限であることになる
エネルギー保存則、光速度一定が示す始まりも終りも無いということ
これらを否定する宇宙論はわたしには理解不能 宇宙が無限ならとオルバースの逆説を挙げることが出来る
これを読むとガリレオの反論を思い出す
地球が丸いのならば裏側の人たちはどうやってしがみついていると否定派が批判する
ガリレオはそれは後世の人が解決するとしてその通りになった
ビッグバン仮説もまた同じことを主張することは可能だ
ガリレオは地球も諸天体の一つ、つまり自然は矛盾しないのだとする前提を意図したかはともかく守った
わたしは科学の示したことを否定するビッグバン仮説を信じることができない
自然科学が成立するならば対象は無矛盾、つまり無限宇宙論が妥当なのだと考えている
インフレーション仮説は周転円の一つではなかろうか
なによりも端が観測されない限り無限宇宙論は否定できない
宇宙背景放射という理解もまた火星に運河発見という理解の系譜ではなかろうか 光速度一定の原理が示すことから自然の理解を展開すれば観測問題は解決できるし、不確定性原理が示す測定における近似値が必至だと理解出来るとわたしは考えている
不完全性定理が語る決定不能
またゼノン、クレタ人、ヘラクレイトス、カント、ヘーゲル、スピノザが語ることも理解可能だと
また進化論もまたここから展開できるのだと考えている
観測問題もまた
光速度一定の原理は自然科学とその認識の在り方を示しているのではなかろうか
そうそう0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義もその必然性が判ると考えている ビッグバン仮説は科学の前提、原理などを無視するものとしか俺には映らん
観測対象はいくつかの理解が可能
インフレーション仮説は周転円の一つだろう
大構造の形成にはビッグバン仮説が想定する時間の数倍必要だし
科学を否定しているとしか思えない 時間も重力も未だに正体は不明
現代科学からすべてを裁断するのはまだ早いってことじゃないかな
森鴎外はビタミン学説が出る前に脚気の原因は細菌だとして陸軍兵の病死者の方が戦闘による死者より多いという惨状をもたらした
場合によっては現在の学を絶対にすると害をもたらすことがあるという好例
海軍は白米を止めたら脚気により死者が一桁になった
原因は解らないが結果オーライなのだからこれで良いのだと現実的に対応した
四次元が三次元の無限集合であるなら静止した三次元が無限に存在する、つまり私自身も無限に存在するということとなり、ちとそれはナニであるなあと 対象が宇宙非宇宙という前提のビッグバン仮説は理解不能
何も生まれない無くならないのにね
わたしが生まれた→現実にはある物理状態からの遷移
死もまた同じこと
座標原点が存在しないというのはそういうことも意味するのではないのか
絶対座標が存在しないということは宇宙もまた生まれないし無くならないということではないのだろうか
これは科学が示してきた諸事実からの推論
ビッグバン仮説はこれらを否定している
インフレーション仮説は周転円に映るけどね
まあ宇宙の端が観測されない限りわたしの支持する無限宇宙論も否定されないわけで ワインバークは宇宙の始まりにまであと僅かと前世紀末に語った
ホーキングは最終方程式にまでもう少しで手が届くと語った
今世紀には入り科学者たちは神の方程式が獲得できるというテレビ番組があった
光速度一定の原理が語る絶対座標の実在の否定の意味を科学者たちは未だに探ろうとしていない
自然科学は自然認識なのだから、対象である自然どうように認識の在り方を理解すべきかと
自然認識の本質は自己言及ということなのだと そう、確かに”ビックバン”はまだ仮説だ、信憑性は高いけどね。
では逆に聞きたいんだ、ビックバン仮説を使わずに”オルバースのパラドックス(なぜ夜空は暗いのか)”を
説明してほしい。 プラズマ宇宙論は無限宇宙論だがオルバースに触れていた
明日は図書館が休みだし、本があるかどうかも確認しなきゃいけない
どう理解しているか調べてみます
ビッグバン仮説もいろいろ問題があり無限宇宙論はオルバースて゜すか
無限宇宙論が科学の前提、原理を守っていますからこちらに一票
まだまだ科学でさえの段階ではないかと 対象に否定関係想定してエネルギー保存則と光速度一定の原理を否定する仮説はなあ
有限宇宙論、無限宇宙論双方未解決懸案があるのは同じ
それにビッグバン仮説の証拠は違う理解が可能
赤方偏移、宇宙背景放射など
わたしは矛盾の無い無限宇宙論に与する ビッグバン仮説は科学が確定してきたことの否定に素人には映る
科学は基本として否定で規定してきたことが差異であることを示してきた
地球ー諸天体 人間ー諸生物 静止ー運動
生死ー物理状態の遷移
自然の諸事象理解は基本としてはここを抑えるべきではないかと
光速度一定の原理は絶対座標、つまり静止の実在の否定、つまり自然は無矛盾なのだと示したとわたしは理解する
そして運動は静止で規定されることを示す
自然の存在形態は運動であり、無矛盾なのだと
此処からが存在しなければ此処までもまた
つまり自然は無限であることだとこの原理は示すのだと
規定は否定 スピノザ
このことは論理は自然には実在しないことを示す
規定は対象の否定なのだから対象には無いのだから わたしと規定する
わたしは貴方でも植物でも金属でも無い
自然存在としては物理状態の差異であり否定関係ではないが、ではないと規定する
つまり同一を非同一で
わたしは産まれてから現在に至るまで大きくその物理状態が変容しているが同一の私と規定する
正確に言えばこの今も同一であることは無い
つまり非同一を同一で
他、否定関係ではないのだが差異を非同一で
自己という存在は同一であることは無いのだが同一で
自然科学は自然認識なのだから認識の在り方も究明すべきかと
地動説は諸天体と地球が差異ではあるか否定関係ではないことを示している
この科学革命もまた認識の在り方を示している 目の前の対象を在る、存在すると規定する
運動する対象を、非同一を存在という同一で規定する
自然が同一であることは無い
変われば変わるほどますます変わらない
変わらなければ変わらないほどますます変わる
アガサ・クリスティ ミス・マープル
運動変化して物理状態は変化しているが対象である自然は自然であることをやめない
自然は自然であること、つまり同一であることをやめないが物理状態は変化することもやめない
規定は否定だからこのようなことになるのだとわたしは理解している 規定が否定ということ
これが様々な問題を引き起こす
決定不能は対象が無矛盾でありそれをその否定で規定するからなのだと
運動は静止で規定するからヘーゲルは存在すると同時に存在しないことと定義した
光速度一定の原理は絶対座標、つまり静止で規定するがその存在は否定することで自然が無矛盾であることを示したとわたしは理解する
規定することそのものが諸問題を引き起こす
ウイルスは生物非生物と分類困難だが物理状態の差異であり否定関係ではない
有を無で規定するから不確定性原理、不完全性定理、クレタ人の逆説
二律背反もまた
観測問題もまた認識の在り方
自然は運動するエネルギーの濃淡
波が渦の状態が粒子なのだと 自然科学は自然の一部である人間、つまり自己言及です
自己を他として規定するということです
光速度一定の原理は自然とその認識の在り方の自己言及なのだとわたしには思えるわけです
自然は無矛盾であり此処からも此処までも無いのだと
つまり自然は無限だとこの原理は語るのではとおもえるのです
ビッグバン仮説はやはりわたしには観たものがそのままの自然という天動説の末裔に映るわけです ふと
家で光をつける
有限ならば、無限ならばどうなるのかな
有限なら光に満ちているのいう理解は違うかな
宇宙には多くの銀河があり固まっていて間隔が超広くて届く前に違う形に変化して闇が
適当です 自然は無矛盾で理解可能なのだと
終始というのは矛盾
何かの始まりは何かの終わり
物理状態は無くなることは無い
生死は存在しないということは物理として何も無くならないし生れないということ
宇宙に生死は存在しないし、宇宙自体もまた
ビッグバン仮説は認識に必要な終始、静止が存在するという素朴認識論の産物でしょう 静止は運動の均衡状態、一形態
生死は物理状態の遷移であり否定関係ではない
物理として生死は実在しない
無は有の一形態、エネルギーの基底状態
否定関係は自然に存在しない
それは人間が差異関係を否定で規定するから
ウィルスの分類困難性の原因
自然は一であり多ではない
多は認識器官が像を結ばない真空、エネルギーの基底状態、ということに起因する像であり自然そのものではない
それは認識器官の在り方に結ぶ像
静止、生死がそうであるように
次元はその像の抽象であり実在しない
四次元は運動しない三次元の無限集合だが、ならば自然は無限に存在することに成る
人間も自然だから、わたしたちもまた無限に存在することに成る
これは有を無で規定するから多で規定しなければならないという必然から四次元が必要になるということ
運動する自然をそのままで理解出来ないから
一を多で規定するから
0に限りなく近いが0ではない
対象である運動を無で規定するからこのようになり、一である運動を多で、ということ
規定は否定 自然は無限であり運動するエネルギーの濃淡
観測問題は波が渦の状態が認識の在り方から粒子として像を結ぶということ
最小単位からは成らない
物理条件で紐に成るということ
物理条件が生成可能ならばいくらでも小さくなる
~に成るということ
粒子に成る、生物に成る、地球に成る、銀河系に成る
一は多で規定される
自然は自己認識、自己を他として認識する
クレタ人の逆説、不完全性定理、二律背反、ヘーゲルの運動規定の所以
不確定性原理は運動を静止で規定するから
近似値は必至、=であることは無い
保存則の破れはあり得ない 現代科学は重力や時間の正体も解っていない段階
ここからいろいろ裁断すると森?外みたいに大きく過つ可能性があると思うけどね ビッグバン仮説
対象が宇宙非宇宙と矛盾する
宇宙誕生ということで何も生まれない無くならないというエネルギー保存則は否定される
光速度一定の原理は絶対座標の実在を否定、つまり此処からは否定するがこれも無視される
宇宙背景放射、赤方偏移→違う理解が可能だと指摘されている
温度は違う理解の方の予想の方が正確でビックバン仮説の当初は大きく違う
大構造生成はビッグバン仮説が想定する時間の数倍が必要
無限宇宙論
オルバースのパラドックス
これはガリレオの地動説に対して、批判派がでは地球の裏側の人はどうやってしがみついているのだと
ガリレオはそれは後世の人が解決すると答える
無論ビッグバン仮説もそう言う資格はある
横目でみる立場からですが、科学が示してきた原理原則を否定するビッグバン仮説にははなはだ懐疑的にならざるを得ない 四次元が実在するのならば静止である三次元が無限に実在しなければならない
そして自然の一部である人間もまた無限に実在しなければならない
今のところ無限の三次元、わたしは観測されていない
光速度一定の原理は絶対座標、ゼロ次元の実在を否定する
ビッグバン仮説はいろいろ解決しなければならない課題が多くて、確立しているとは言えないのでは
無限宇宙論はオルバースのパラドックスが課題だがいろいろ原則は守っているからこちらに一票 現在の学問を固定してあれこれ裁断するのはちと
?外の脚気理解
一番有名なのは重力発見前の地動説否定
個人的にはビッグバン仮説は静止で規定するから静止が存在するという素朴認識論に映るけどなあ >>37
次元で理解するが次元は存在しない
静止、生死で理解するが物理としては存在しない
認識器官には像を結んでいるが存在しない
存在しても像を結ばないのも在るし
自然科学は自然認識だし、自然の一部である人間の認識だから自己言及
認識論を少しでも齧っては如何かと思うけどね わたしたちの目の前に展開している自然は、自然が生成した諸認識器官が結ぶ像だとわたしは理解している
だから目の前の自然は認識器官の態様に従う像
このことは考えられるべきかと
座標原点の存在は否定されていることは考えられるべきかと どこにでも説明がある事を質問する奴って
説明が理解できん奴だから
答えるのは無駄だよね 静止、生死、無が物理として存在すればビッグバン仮説は信じる