宇宙には果ても無もない [無断転載禁止]©2ch.net
宇宙を四次元空間だと仮定すれば
宇宙が果ても無もなく存在していることを証明できる 自然科学は根本的に変わる可能性があるとわたしは理解している
量子力学の分野は新しい理論が求められていると立花隆氏は語ったがそれを受けてネットでは、最前線は一筋の光も射していないと研究者らしき人が投稿していた
神の方程式を模索している科学者は観測問題理解は放棄している
重力も時間も未だ未解明だし、不確定性原理が何を意味しているのかははっきりしていない
科学者は哲学を無視するが、その実最悪の哲学に囚われていると十九世紀の学者は語る
科学史を概観すれば、そのヒントは見つかるのだとわたしは主張する
科学は否定関係が差異であると示してきた歴史
無は有の一形態、無は文字通り存在しないのだと光速度一定の原理は語る
自然は〈一〉であるというパルメニデスの理解と規定は否定というスピノザの理解は正しいのだということです ラーナーは「ビッグバンはなかった」の中で師のアルヴェーンが語った興味ある科学の傾向を記している
三十年以上前の本だがいろいろ面白く、一部賛同はしないが認識の問題を取り上げていて面白い
最終方程式にはかなり否定的 朝永博士は、物理学の自然は撓められた自然と記した
それが何を意味するのかはもっと考えられて良い ハイゼンベルク、武谷三男、ラーナー等を典型に科学革命が必要だと気付いている科学者は多い
わたしは光速度一定の原理が語ることを意味することを放棄したから現代科学の混迷があると考えている
何よりも自然は無矛盾だという前提から科学は出発すべきだろうし、この原理はそれを示しているとわたしは理解する
座標原点が存在しないということは最小単位など無いことを示している
自然には差異は存在するが否定関係は存在しないのだということです
次元で理解するが次元は存在しない
静止も生死も無も対象である自然には存在しないが理解には必要
そして非自然もまた存在しないが理解には必要
それは意識ということ
意識は無くなるから わたしは自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発して新たな濃淡が生成する過程だと理解している
静止は存在しないということは次元も諸力も存在しないことだと考えている
それは終始も存在しないということは生死もまた存在しない
無もまた
客体である自然が自己言及可能な物理状態を生成する
認識器官には静止、生死、終始、無が存在する
認識器官は物理条件であり、その在り方から淡は像として生成されない
そのため〈一〉である自然は認識器官には〈多〉として像が生成される
認識器官には差異である物理状態が否定関係として映る
科学は多として現象する自然が差異であり否定関係では無いことを示していくこととなる
静止は運動の一形態、つまり差異であり否定関係では無い
生死もまた物理としては差異であり否定関係では無い
無は有の一形態であり否定関係では無い
終始は物理状態の遷移であり、否定関係では無い
何も生まれない、無くならないのだから
粒子は波が渦の状態
不確定性原理は有を無で規定するから近似でしか認識できない
零に限りなく近いが零では無い、そう有は無で規定されるから
規定は否定であり、規定することこそが諸問題をひき起こす
クレタ人、不完全性定理、二律背反などなど
科学者は認識の在り方を考察すべきだとわたしは主張する 自然は無矛盾であり理解可能だとわたしは主張する
そして規定は否定だから決定不能なのだと
科学は自己言及です 規定することとはどういうことなのか
現在の科学の喫緊の課題だということです
理解することの理解、つまり自己言及が必要なのです
絶対座標が存在しないということはαでありωです
このことから終始は存在しないことが解ります
次元の否定、エネルギー保存則も導けます
無が存在しないことも、運動が自然の存在形態であること
粒子は波の一形態であること
有を無で規定するから不確定性原理の導く測定の近似値
微分積分の不思議な定義
そして規定は否定だと
この原理は対象である自然の在り方と規定の在り方の自己言及です
つまりこの原理が科学のゴールであり出発点です
宇宙に来てはありません 進化論も不完全性定理も導けます
ゼノン、クレタ人、カント、ヘーゲルなどの哲学の問題も 重力、次元とかが何かってことなんですけどね
光速度一定の原理をどう理解したらいいのか
不確定性原理、観測問題などなど
未だ解決できない問題は山積している
わたしは自然を理解したい、納得したいだけ
理系の方々が提出しない限り素人の妄言は続くわけでして 笑 繰り返します
最終方程式まであと僅かとするホーキングは観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語る
ライプニッツは重力方程式に敬意を払うがその概念は魔術的だとした
朝永博士は物理学の自然は撓んだ自然だと記す
見たものそのままが自然では無いと地動説は示す
生物と非生物は差異であり否定関係では無い
科学革命が必要な段階とほかならぬ科学者たちが主張したりする
科学は未完成ではないかと
ある意味永遠の未完成ではあるが、その基礎というか成立条件は探求されるべきだと横目で見る立場から思えるわけです なあ、理系諸氏よ
自然に絶対座標は存在しないじゃないか
それは何よりも終始が無いってことじゃないか?
次元が存在しないってことじゃないか?
静止、生死が存在しないってことじゃないか?
静止が存在しないというのは分ってくれるよね?
つまり運動が自然の存在形態という理解なんだ
生死が存在しないっていう理解は終始が無いから
終始が存在しないってことは無限という理解にならないのかな?
絶対座標が存在しないってことは次元が存在しないということだから
零次元は存在しないよね?
零、無を無限に集めたらあら不思議、1次元に
幅が無い1次元を無限に集めたらあら不思議、二次元に
厚みが無い二次元を無限に集めたらあら不思議、三次元に
運動しない三次元を集めたらあら不思議、四次元に
運動しない三次元が存在するってことは静止が存在するっていう主張だよね
科学は無限の静止した三次元が存在していることを示したことがある?
あったとしたら大変な発見だよね
静止が存在して、無限の静止した自然が存在するってことかなあ?
四次元が存在するって、理系が苦手な素人には眼を白黒させる理解なんだ゛
わたしにはとても怪奇な自然観に映るんだ
たしかに次元で理解する
でもそれは次元の存在を意味するのだろうか?
終始で、次元で理解する
静止で理解するが静止は存在しないよね?
次元で理解するから次元は存在するという理解には同意できない ビッグバン仮説は絶対座標、始まりが存在するという理解じゃないのかな
それは非自然から自然が誕生するということにならないかな
身の周りには物理状態の遷移はあるが物理そのものが誕生したらお亡くなりになることないよね
絶対座標存在の否定は終始、物理としての生死、そして物理としての無が存在しないってことだと非理系は理解する
つまり自然は無限であり終始は無いのだと
それはまた粒子が存在しないことになる、つまりこの自然にはここからここまでが存在しないのだから
自然は運動するエネルギーの濃淡で、その親和反発でまた新たな濃淡を生成する過程でしかないという理解なんだ
おかしいかな? 自然に終始があるというビッグバン仮説は、わたしには天動説の末裔に映る
静止で運動を規定するが静止は存在しない
ならば・・・
以降無限ループ
現代科学の隘路から抜け出すには認識論が必要だとわたしには思えるんだけど
それで理解するがそれは存在しない
有は無で規定されるということ
規定は否定だというスピノザの理解は正しいのではないだろうかということ
無が存在したら無にならないのではないだろうか 認識器官というのは物理条件だよね
認識器官は諸生物それぞれ違うし、また能力には差異が在る
なによりも自然には存在しない静止、生死、無が在ったりする
見たものがそのまま自然では無いことを示しているんじゃないかな
認識器官に生成された像はそのままの自然ではない
そのままなら生物の数だけ自然は存在することになる
認識器官の在り方、能力は自然の淡は像を生成できない
一である自然は多として像を生成する
その多の抽象が次元だという理解であり、次元は存在しないという理解なんだ
いずれにしても終始の存在を科学は否定しているように非理系は理解してしまう
それはまた粒子が存在しないことを意味しないのかなとも いずれにしても現代科学には新たな視点が必要だという主張はかなり前から在る
わたしの理解は一つの提案
ゼノンの師であるパルメニデスとスピノザの理解から科学の基礎を考えてみた試論
その展開の中で、観念的な自己分裂という概念が必要となった
これは無で有を規定するということの一つだけど
あとは自然がこの理解の正否を決めるだろう
・・・でも終始という否定関係が存在したら存在という前提が矛盾してしまうからなあ
それは終始が存在するという理解さえ成立しないことを意味しないかな
存在証明が存在という前提を否定してしまうんじゃないかなと 自然は無矛盾でないと科学は成立しないんじゃないかな
わたしの試論はそこから出発している
ホーキングが手が出なかった観測問題とかを解決してくれる自然観を理系が提出してみせてくれればいいわけです
光速度一定の原理、不確定性原理とかも
それには一元的出発点が必要なんだと理解している わたしの尊敬する学者は真理は単純だと述べている
自然は単純だが、差異であり、それを規定するから複雑になるということです
そして規定は否定であり自然には存在しないのだと光速度一定の原理は示す
この原理を理解することを放棄したから現代科学の混迷があると思う 板倉氏は前提を頑固に守るための柔軟さが必要だと書いている
無矛盾という前提は頑固に守らなければならない
そのためには柔軟な思考を求められているということかと 最終方程式は観測問題を解決するのかな
ホーキングは抽斗の銃に手が伸びることはないのだろうか
光速度一定の原理は自然と認識の在り方の自己言及だと思う
絶対座標、つまり規定は存在しないことにより自然は無矛盾であり、また規定は無であることを示す
規定は自然には存在しない、つまり無であることをこの原理は示している
そのことによって自然は無矛盾であり、規定は否定ということが証明される まとめ
観測問題、重力概念は方程式では解決できない
ホーキング、ライプニッツの言及からも解る
ハイゼンベルクは現代科学は方程式に矛盾を覆い隠していると批判する
武谷三男氏もこの傾向に否定的なコメントをしている
神の方程式でどうなるという問題では無い ビッグバン仮説の天動説性
対象に宇宙非宇宙という否定関係を想定している
つまり対象は矛盾するという前提であり、科学が成立しないこととなる
エネルギー保存則、何も生まれないなくならないということを否定する
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定するが、その絶対座標から出発している
天動説は周転円を重ねて延命した
インフレーションは周転円だし、赤方偏移、宇宙背景放射は違う理解が可能だと天文学者は指摘する
また大構造形成にビッグバンが想定する時間にはとても足りない
つまり確たる証拠は皆無ということ 科学は否定関係で規定していることが差異であることを証明してきた
地動説、進化論
光速度一定の原理は自然の存在形態が運動であり、絶対座標、つまり規定の存在を否定することによりこのことを証明した
同時に静止で運動を規定することを示し、規定が否定であることを証明する
つまり規定は無であり、対象である有を無で規定するということ
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成していく過程として在る
認識規定するとがどういうことかが現代科学の課題なのだということです
科学は自然が無矛盾であるという前提を守らなければならない 横眼からみるとビッグバン仮説って科学の歩んできた道とか成果の全否定にしか映らないんだよなあ
理解不能なんだよ
自然に絶対座標ないじゃん
物理として何も生まれない無くならないってことも否定しちゃうし
とどめは対象が宇宙非宇宙って否定関係を想定しちゃうし
で証拠は周転円みたいな理解で違う理解が可能だし
大構造生成時間なんかはビッグバンが想定する時間の数倍かかるとか
この仮説を信奉する科学者たちには肩をすくめるしかない さてこの仮説を支持する科学者たちはどんな周転円を持ち出すのか
こうご期待ってことですか 自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発過程でまた違う濃淡を生成するだけだろう
それだけ
次元も力も存在しない
ただただそれだけです 座標原点は存在しないが規定には必要
必要だが存在しない
規定は否定
地動説はその認識の萌芽です
認識の在り方を追究しないから科学の根幹を否定するビッグバンを産み出した 繰り返すけど
対象を存在として前提する
対象が無矛盾ならば存在という前提が成立する
面倒なのは存在という前提は対象が無矛盾だから決定不能、つまり矛盾ということになる
存在と規定するからこそ
運動が存在すると規定する
しかし存在とは否定、この場合は静止
今、此処に存在するのだが、今、此処、という有は指示すると飛び去る
有を無で規定するから
宇宙が存在する、宇宙は同一であることは無いが同一の宇宙と規定する
わたしという存在もまた
存在もまた同一ということ
此処に在るが、此処は運動している
運動を否定で規定している
此処に在るのだが、在るとは静止
つまり否定で規定するから、存在すると同時に存在しないことと定義しなければならない
決定不能なのだが対象が無矛盾でそれを否定で規定するから
光速度一定の原理は規定は存在しないということを示すことにより自然が無矛盾であることを証明する
規定は理解するから必要である
それは存在しないのだということ
ウイルスは生物非生物と分類困難な対象
それは物理状態を否定関係で規定するからであり、物理状態の差異を否定関係で規定することから出来するのであり、規定自身が規定困難な対象を産むだけで、なんら対象である自然の問題では無い
決定不能、矛盾とは規定が否定だからであり、なんら自然の問題では無い ビッグバン仮説に対する素人の疑問に答えてくれ
この仮説は科学の否定にしか思えないんだ
神の方程式は観測問題、重力概念をどう始末するのか
素人には現代科学が基本をなおざりにしているとしか映らない
アルヴェーンの言葉が身に染みる 科学は未だ基本が確定していない
だからこそ個々の理解は徹底的には否定できる段階じゃないのかも
いろいろあっても良いのだから、自由にやろうよ
わたしは自然の無矛盾な理解と理解とは何かを追究したい
超ヒモ理論もビッグバン仮説も認識する自然がそのままの自然という天動説の誤謬から逃れていないとわたしは理解している
「ここ」からなど無い
「ここ」までもまた無い
終わりは始まり、始まりは終わり
矛盾は規定するから
光速度一定の原理は自然における絶対座標、つまり始まりを否定している
ならば自然は無限で永遠ということではないだろうか
終始で規定するが終始は存在しないということかと だからさ、数式で観測問題は解決しないよね
重力概念も未だ未解決
いろいろ考えなおした方が良いんじゃないかなと横目で見る立場から思えるんだ
光速度一定の原理が何を示すのかはまったくの放棄状態
基本に還った方が良いんじゃないかなと思うんだ
ファイアアーベントは専門家の過ちを素人が正すことは良くあることと語る
それはともかく納得できる自然観を構築して欲しい
素人には何が何やら 古代ギリシャはいろいろ面白い考え方が花開いたようだ
地動説も進化論もそうだし、フロイト心理学の祖型もあるとか
でコペルニクスとか典型に古代ギリシャに還ったりする
パルメニデス、ピタゴラスとかもあるし
数の定義である大きさが無いというのはパルメニデスの弟子ゼノンが師の自然観擁護で展開したことから
で飛ぶ矢は飛んでいないという逆説が生まれたりする
万物は流転するとか、もういろいろ
ルクレティウスのは古代ギリシャのエピクロスの祖述であり、著作が失われたから重宝されている
快楽主義という批判はキリスト教と対立するから貼られたレッテルとか
個人的にはエピクロスはパルメニデスりが認識の相対化可能にする地点にいるのに比べて本質的ではないように思える
ある地点まではとても有効な視点ではあるが
現代に必要なのはパルメニデスとスピノザだと考えている
クレタ人の逆説が対象と規定の関係の本質を示しているというのがわたしの理解+ 科学は否定関係と規定していたことが差異であることを証明してきた
人間も金属も真空でさえも否定関係では無く差異
否定関係で規定することは理解に有効です
ただそれは認識する上です
地球は球体と規定するのは認識の在り方に生成した自然の像です
それは自然をそのまま反映しないのだとわたしは理解します
座標原点で規定するが、それは自然存在ではありません
静止、生死、無、終始は認識器官に生成した像であり、対象と認識の関係で生成されたそれです
認識器官には存在しますが自然には存在しません
これが意味することは追究されるべきかと
追究しないから、ビッグバン仮説のように、自然科学の前提を無視する理論が跋扈するわけです
対象は自然、非自然と矛盾して、宇宙は生れるし、光速度一定の原理は無視するこの仮説の非科学性に気が付かない
観測問題も解決しないし重力、次元などがどういうものなのかもわからない 対象に宇宙非宇宙っていう前提が有り得ない
ビッグバン仮説の<証拠>は周転円に過ぎない わたしの頭ではビッグバン仮説は理解できません
何よりも対象が矛盾しているとしているのですから、とてもとても かなり前に理系の方々と話していた時の思い出
お前は生死がどこからどこまでか解るのかと言われた
いやいや物理として生死は無いからと答えたら沈黙したというか
理系ばかりの住人は皆黙ってしまった
四次元が三次元の無限集合で実在していたらどうなるのか
そしてなによりもわたしという人間も無限に実在しなければならない
次元が自然に実在する・・・
さて科学はそれを証明したのだろうか
理系の方々はもう少し認識のあり方を追究しても良いのではないのだろうか わたしは納得したいだけ
現代科学の基本に納得できない
それらは書いた
どこがおかしいか納得できるよう指摘してくれれば良い
あなたは無が有る、対象が矛盾する、科学が確立した原理原則を否定するビッグバン仮説をどう擁護しますか?
納得できるように説明してください
証拠は全て違う理解が可能です
オルバースの逆説はガリレオの反問があります
大構造は説明できていません 我々の銀河もアンドロメダ銀河と衝突してどうなるか?
宇宙は、安定してないね >>361
安定していないこと自体は安定している
不安定が常態 >>364
ダウト
膨張は端が観測されていないから証明されてない
風船を家の中で膨らましても家は膨らんではいない >>366
今ヒットしているアニメでも観ることをお勧めします ビックバン説は嘘。133億光年先見たら銀河だらけだし 五億年内に銀河だらけになるわきゃない。それぞれの渦巻き銀河が自転しているとしたら、それぞれの銀河系は何の物体の軌道を公転してるんですかとなる。 タイムマシンや宇宙戦艦大和は理論上つくれるが私たちの肉体はガン細胞だけであっさりと死ぬ弱さだ。ウイルスでもすぐ死ぬ弱さだ。 何でこんなにあっさりと死んでしまう私たちに、神の領域をのぞき見させる能力なんて備えさせるのですか神よ キチガイになりながらも数学者が宇宙のエネルギー源の方程式を導いたら答えがゼロだなんて
じゃあこうして意識がある自分たちは存在していないんですか神?となる。 巨大な果てのない電磁波空間の波の中に暮らしていた事になるから、私たちは電磁波なんじゃないか 科学技術が発達したから電気を使えるようになったわけではなく。定めのない時から電磁波の波の空間に暮らしていて、技術的に取り出して
電気製品にして使えるようになったのはじき、最近ではないですか神よ そこにシロがやってきてミャ〜ンと鳴く。うつくしい碧いまなざし、これも電磁波の私が電磁波のネコに癒されるといった幻想なんですか神 何処にいるんですかと質問しても、私のなまえはエホバ。それが私のなまえ。私はアルファなりオメガなり いやさきなりいや果てなり はじめなり終わりなり 子供の頃小学校の先生が私たちは3次元の世界に生きていますね、と言っていたが、3次元は立方体で立方体に時間の概念←を足したものが四次元の世界なら?
私達の暮らしている世界が四次元の世界という事になるではないか 星が球体なのは何故なんですか?球体になれない塊は近くの星に隕石として墜ちるからないんですか? 無数の星は自発的に燃えている恒星なんですが、単純に太陽が無数に際限なくあって核融合で燃えていることになるんですか? 宇宙の温度は単純に考えていたら太陽だらけなんだから熱くて大変なんだろうと推測できるのに
じつは宇宙空間が寒いのは何故なんですか? 恒星が全て核融合反応で超絶高温で燃えているのに燃え尽きないのは何故なんですか?恒星から出てくるであろうX線だかガンマ線だか紫外線みたいなものを、私たちは星を眺めるたびに被爆しているわけなんですか?四六時中? 星からのシャワーを浴びて私たちは四六時中被爆しているはずなんですか?なのに死なないのは何故なんですか?
地球の大気層が有害放射線を吸収してしまうからなんですか? 優雅に天体観測していても、ずっとうつくしい星々からは有害な電磁波やら放射線やら発射発信されていることになるから、かなりの被曝量なはずなのに何故私たちは死なないんだ? 私たちの寿命はだいたい50年ですね。上手くいって80年,かなり上手くいって百年。
宇宙の星々からの被爆が無ければ聖書の世界の初期人類みたいに一千年は生きられるはずの生きものなのではないですか? 宇宙からの被爆で生きられないように出来上がったのではないですか?← がんの メカニズムは まだ解明されてはいません。と先生方は言う。
答えは宇宙からの各星々からの放射線やら電磁波やらの被爆なんではないですか? 宇宙線被爆ががんの原因なのではと気づき始めている。 がん発生メカニズムは宇宙線被爆なんではないかと気づき始めている。 現代科学では137億光年の初期宇宙銀河団から降り注ぐ宇宙線を観測出来ないでいるから。現代科学の機器では観測しえない宇宙線だらけだからがんなのではないかと がんを放射線で叩く技術はいつどこで生まれたんだろうか、宇宙線ががん発生メカニズムの原点だとしたら宇宙線で人体のがんを叩き潰すのは本末転倒なような。 しかしながら重粒子線や陽子線でがんは治っている人々もいる 原因不明のがん発生増加は今現代のファイブジーとか、携帯電磁波ではないかとの研究結果に基づき、大気汚染からくる宇宙線被曝量増加現象なのではないかと無理矢理繋げてみました。 地球以外では宇宙線量が高すぎて人類は生きられないと思いました。 集団ストーカーの音声送信被害について、最初から人体の構造的に電磁波を受信しやすいのだとおもわれます。音声送信被害というのは自然現象なのでしょうと やたら音声送信傍受しやすい神経細胞の持ち主か人工的に傍受しやすく実験されている方々ではないかとおもわれます。もともと人類が音声送信傍受をしやすいか、出来る能力があるのだとおもわれます。 宇宙は電磁波の波の海で、電磁波を内核の鉄の塊から絶えず出している地球上に住んでいる以上,電磁波被害や音声送信傍受被害は、人体構造上当たり前の事なんだろうと 残念ながら直す方法は無いのだと腹をくくるしかない。 電波塔の近くとか携帯電磁波アンテナの近くに住んでいる人々にがん発生が多いデータ結果とか 電子レンジで温めると、アイジーエー腎症になる物質が温めた食品に大量発生するから止めろ。とかよく言われるのはこれなんではないかと、 IHだのオール電化だの電気自動車だのAIナビゲーションだので、大量に電磁波を浴び続ける生活こそががん発生率急上昇なんでしょうね。 駅員さんから定期や切符を買って、改札口で切符切ってもらっていた優雅な人力時代にはがんはここまで多くなかった気がするのは幻想か