ビッグバン宇宙論は早く くたばれ
科学者は観測した対象を必ずしも理解しない
天動説は周転円を重ねに重ねた
プラズマ宇宙論者はビッグバン仮説の周転円は天動説より多いと揶揄している
確たる証拠は無いし、いろいろ科学が確定してきたこを否定する仮説を信じろと言うのはなあ いずれにしても自然科学は自然認識
対象が無矛盾でなければ理解は成立しない
非宇宙、終始、静止、生死、無
いずれも自然には存在したらさ
科学者は自然は理解できないとでも言うのだろうか?
はてさて、不思議だなあ 自然を無矛盾に理解したい
でなければ自然科学という学問は成立しないから
ビッグバン仮説は対象は宇宙非宇宙と矛盾が前提
端から信じられない 静止しているものはなにもない
終始なんかどこにも無い >>489
誰にも相手にされないからって学問板に科学的理論とか知識ないやつがいつくな
出ていけ糖質うんこ 座標原点がないてこと
ビッグバン仮説は始まりが存在すると主張
ワインバークは始まりまであと僅かにと語る
無いからあと僅かも糞も無いわけ 繰り返す
自然科学は自然認識
見たものがそのままの自然では無いことを科学は示してきた
終始は認識上には在るが存在しない
認識を考察すべき 突っ込まれると
うんこ食うか?とかしか言い返せないとか小学生かよw >>494
おまえ量子力学理解できないタイプだなw 量子力学の分野では新しい理論が必要で、研究者はどうにもこうにも出来ないとネットで投稿しているのに
・・・凄いですね、その量子力学を理解出来るなんて www わたしの理解は光速度一定の原理が何を示すのかという理解から出発している
最小単位から自然は成らない、条件さえ生成可能ならいくらでも小さい渦の状態が生成可能、つまり〜に成るという
終始は認識に必要だが自然には無い
静止、生死、無は実は繋がっている
それは認識の在り方から必然
自然科学は自然認識
これからの学徒に認識の在り方は検討して欲しい 万物は流転する
〈粒子〉もまた
ヘラクレイトスも偉大だ 今から半世紀ほど前から現代科学の在り方に懐疑的な科学者が登場
ハイゼンベルク、武谷三男氏ら
それから、科学革命が必要な段階だと主張する科学者たちが洋の東西を問わず出現
これからの学徒たちに、コペルニクスのように古代ギリシャに還ることをお薦めします
パルメニデスは自然は多ではない、一だと主張し、弟子のゼノンは自然が多ならこんなことになりますが、と逆説を展開する
カント、ヘーゲル、スピノザはいずれも多は認識論だと指摘する
若き学徒の方々、科学革命のヒントは古代ギリシャに、そしてその解明の糸口は哲学の展開が、というのがわたしの理解
三浦つとむ氏の自己言及の本質理解も参考になります 「ゼノン4っつの逆理」山川氏
「新哲学入門」板倉氏
「日本語はどういう言語か」三浦氏
この三作からわたしの理解は出発しました
言葉もまた認識の在り方を媒介にした自然認識という側面があります
観たものがそのままの自然では無いように、言葉もまた 普通の理系大学生ならみんな理解出来てる量子力学が理解できないとか すげえな、研究者が混迷中の量子力学を理解しているなんて
天才の集まりかな 天動説の理解なんだよ、現状は
周転円で理解しているつもりになっているだけ 現代科学の理解をそのまま信じられないということ
対象は無矛盾
エネルギー保存則
光速度一定の原理が示す絶対座標の否定
つまり運動は自然の存在形態、終始の否定、つまり無限ということ
粒子の否定、静止で運動、否定で規定ということ
不確定性原理
この原理は自然と規定の自己言及
否定で規定→決定不能、クレタ人の逆説、矛盾
不完全性定理
規定を否定することで無矛盾は証明される
規定自身が矛盾で、その規定が存在しないことで無矛盾ということ
極めて単純、極めて豊穣 個別理論は相対化される
認識は相対化されるということ
光速度一定の原理は量子力学を導く
というか表裏一体 自然科学は自然認識でありその歴史は認識の相対化の歴史 こんな池沼に、量子力学がわかってないと見なされちゃう研究者かわいそう 研究者が最前線には一条の光も射さないと投稿しているんだが 研究者が最前線には一条の光も射さないと投稿しているんだが いろいろ考えてきたが、ここでの投稿も結構参考になった
漸進しているという感触はある
今年中には完成させたい
さんくす、天動説支持者たち 知人の息子がかなり前にスカウトされて、知人は峻拒して難を逃れた
最近、ラインで良かったあと書いていた
歌番組は無関心だが、調べたらK−POPとか韓国もヤバいなと 〈一〉である自然を〈多〉でということ
対象は〈一〉
それは以下の理由で〈多〉として像を結ぶ
濃淡の差異である物理状態に結ぶ像
認識器官そのものの特性、そして諸生物の認識器官の差異 気持ち悪いポエム連投してた奴、他のスレでもクソみたいなレスばっかしててワロタ わたしの主張の概要です
地動説は見たものがそのままの自然ではないことを明らかにします
静止、生死、無は認識器官には存在しますが自然には物理として存在しません
目の前の自然は自身も含めて認識器官の在り方に結ぶ像です
認識器官に結ぶ像がそのままの自然ならば、諸生物の認識器官の数だけ自然が存在することになります
いわば自然という食材が様々な料理法により形を変えるようなものです
この物理条件、つまり認識器官には、この自然の状態はこのような像を結ぶということであり、どれが正しいということではないのです
ですからそれぞれの認識器官に結ぶ像を手掛かりに自然を理解していくのが自然科学ということになります
認識器官に結ぶ像は差異がありますが、対象である自然は同一です
認識器官に結ぶ像を相対化してきたのが自然科学だとわたしは理解します 自然科学は否定として規定してきたことが差異であることを示し続けてきました
地球と諸天体、人間と諸生物、金属などは物理状態の差異です
ウイルスは生物非生物と分類困難ですが、生物非生物は物理としては差異であり否定関係ではありません
規定とは否定です
わたしはあなたでも植物でも金属でも無いと規定しますが、物理としては差異であり否定関係ではありません
わたしと規定しますが、生まれてから現在に至るまで、いやこの今も運動変化して同一であることはありませんが、同一のわたしを規定します
運動は座標原点、つまり静止で規定します
生死は物理状態の遷移であり物理としては否定関係ではありません
座標原点を設定、つまり始まりを設定しますが始まりは存在しません
始まりと終わりは物理としてはありませんが終始で規定します
否定は規定です 誰が何と言おうと物理として終始は無い
それは認識の問題
現に科学者は何処から死とは峻別が困難と語る
そりゃ物理として死はないから 基本を頑固に守るために柔軟に考えると板倉氏は語る
わたしは科学成立条件に戻って考えたい
対象は無矛盾ということ
規定の在り方から決定不能になるがそれは対象が無矛盾だから
不確定性原理は規定の本質である否定から
有は無で規定される
クレタ人の逆説は否定で規定するからこそなのだと
根本として一である自然を他で規定するから
規定こそが様々な問題の根源
そして規定が存在しないことで自然が無矛盾であることが証明される
終始が存在したら矛盾してしまう
終始で規定するが終始は存在しないのだと
静止で規定するが静止は存在しない
生死も無もまた 訂正
根本として一である自然を他で規定するから
→根本として一である自然を多で規定するから わたしは現代科学は革命前夜だと理解している
どうか日本の学徒が主導するようにと希っている
それは認識の在り方を考察して相対化することで実現すると予想している
自然に静止も生死も無も存在しないのだと
それは自己言及、否定で規定するということ
否定は対象には存在しない
否定だから当然無い
科学者は地動説の本質を探究すべきではないかということです 新約聖書学、数学 ドイツがケリをつける
共産主義は日本人がケリをつける
物理学はどうか日本人が、と
日独同盟で w ・・・まあ人間とは、という問いには新約聖書学、数学、共産主義の結論同様に絶望が待っているような
宗教を信じる人には特に
基督教信者も共産主義者も学の結論には背を向けていて、決して滅びることは無さそうだが ビッグバン仮説はまだまだ生き延びそうだな
いずれにしても終始なんか無い
宇宙の始まりも人間の死も決して到達できない
物理として終始は否定されている
始まりは否定されている
そして何も生まれない、何も無くならないのだから 地動説は自己の立場の自己言及
光速度一定の原理は認識そのものの在り方の自己言及
対他ー対自という感じかな
まだ深まるかなと 自己言及ですね、分ります
0724名無しさん@お腹いっぱい。
2023/08/27(日) 14:01:40.69ID:kwlaRzs6
連投は不安の症状
自覚しとるんやな 基本確認しましょうよ
自然科学は自然認識
観たものがそのままの自然では無い
さて何処に物理として終始が? こっちとむこうのスレで合計1000レスくらいキチガイレス連投してるやつが、こっちとむこうで1つずつしかレスしてない人に連投が自己言及だと言い張るのは幼稚園児の脳みそでも無理があるってわかりそうなものだが ウイルスは生物非生物と分類困難
物理としては差異であり否定関係では無い
宇宙非宇宙?
ワインバークは三十年ほど前に宇宙の始まりまであと僅かに迫っていると語ったが、今でもそのグループは達成していない
科学者は死がいつからと指示特定するのは困難だと語る
ブリゴジン学派の若き研究者の時間理解が面白いが、紹介したホーガンはやれやれと呆れていて否定的だった
宇宙非宇宙という規定はウイルス分類を思いだす
さて、此処からは存在するのだろうか?
そして此処までは?
認識とはを科学者は問うべき段階だとわたしは主張する
ビッグバン仮説は認識=自然という素朴認識論の系譜の一つではないかと 自分で何も考えない奴が科学者に要求するとか
笑えるな 科学の基本から見直したいということ
目の前の自然は認識器官の在り方に結ぶ像でありそのままの自然では無いというのがわたしの理解
見たものがそのままの自然ではないことを科学は地動説を端緒に繰り返し示してきた
地動説は立場の相対化
光速度一定の原理、量子力学、観測問題、不確定性原理は認識の在り方の基本を示す
ビッグバン仮説は認識の在り方を示し続けた科学の歴史の否定 ビッグバン仮説支持派は自然科学は自然認識という理解には賛成なの、反対なの? ビッグバン仮説は確実な証拠は皆無
わたしは自然は無矛盾で理解可能だと主張する
ビッグバン仮説 科学
前提 宇宙非宇宙 光速度 絶対座標無し 無矛盾
生滅 有 無
終始 有 光速度で終始否定
粒子 有 終始無し→無
次元 有 光速度→ 無
自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発して新たな物理状態を生成していく過程という理解
進化論はこの自然観が裏付ける
物理としては何も生まれない無くならない
宇宙は誕生しないし無くならない
ただ在るだけ 大抵のキチガイは連投するという特徴がある
脳の配線がおかしい人はなぜか似通った行動をとる 自然科学は対象が無矛盾であることをすでに証明しているというのが私の理解
静止、生死、無、終始は自然には実在しない
静止、生死、無、終始・・・すべて同じなんだけど w 三十万+三十万=三十万
三十万−三十万=三十万
絶対座標の実在は否定される
これで自然は無矛盾、つまり自然科学は成立することが証明される
理論は仮構の下で展開されるということ
これらが何を意味するかを科学者は考察すべきだろう
出発点、終始、無は実在しない
論理もまた
規定は否定、つまり対象には実在しない
地動説はそれを示した端緒
分類は人間の側であり自然には存在しない
ウイルスは生物非生物と分類困難
自然には関係がない
生死、終始は何処からと特定できない
自然には実在しないから
論理は自然の在り方からの抽象ではあるが論理は自然には存在しない
光速度一定の原理が語ることは極めて豊穣です 宇宙の始まりとしてのビッグバンはないですよ
誰だったかな、宇宙の片隅で起きたのがビッグバンかもと書いた人がいました
ボスロウだったかな
これじゃないかと
宇宙は無限です 物理として生滅が無いのに生死と認識する
これをどう理解しますか?
宇宙の誕生まであと僅かに迫っているとワインバークは語ったがグループは三十年経っても
科学者は死が何時かを特定できないと語る
そりゃそうです生まれることも死ぬことも物理としてはないのですから
これが語ることとビッグバン仮説をどうつきあわせるのかとても楽しみです 幼稚園児レベルの日本
マルチ
昼夜問わず連投
科学知識0
現実世界でこいつどうやって生きれてるのか気になる。 いろいろ科学の結論と認識とはズレがある
何も生まれない無くならない→生死という認識
運動は普遍→静止という認識
終始、無は存在しないが終始、無という認識
不確定性原理は有を無でということから
三十万+三十万
三十万−三十万
答は同じ
これで対象が無矛盾となる
これが何を語るのか
認識の相対化の終点かと www そして現代科学の事象理解も相対化されていくわけです
天動説の理解が相対化されたように
見た限りでは天動説は真実
それが太陽中心で規定し直される
最終的には規定そのものが相対化される >>555
幼稚園児レベルの日本→
幼稚園児レベルの日本語 物理状態の遷移は有るが物理としては生滅無し
これが何を語るのか
宇宙はただ運動変化しているだけ
運藤変化すること自体は変化しない
ボスロウが語る様に「ビッグバン」は宇宙の片隅に起きた 現代科学の自然理解も相対化、いや認識そのものが相対化されることが必要ということ
就中ビッグバン仮説は天動説そのものです プラズマ仮説は無限宇宙論でビッグバン仮説、新定常宇宙論より説得力がある 物理として終始は無い
ワインバークグループは未だ宇宙の始まりに到達できず、科学者は死の時点を特定できない
何故か
それは物理として終始が無いから
エネルギー保存則、絶対座標が存在しないことが何を意味するのかを現代科学は理解していない
物理として生滅は無い、終始は無いということを現代科学が理解するのはいつなんだろう キチガイが自分のレスがキチガイの妄言であることを理解するのはいつなんだろう 速度は相対値です
光速度一定の原理が示すことです
30+30=30
30−30=30
絶対座標の否定→自然が無矛盾であると証明される
静止が実在しないということは自然の存在形態が運動ということを導く
絶対座標、つまり始まりは実在しない、つまりビッグバンもまた 〈現代〉科学からは落ちこぼれた方が良い
西洋は未だに創造神話から逃れなれない
・・・まあ皆というわけではないですが
ラーナーの著書でアルベーンが科学者の傾向について語っていて、ビッグバン仮説は当分通説だろうと語っていたとか
プラズマ宇宙論は他の宇宙論どうよう未解決問題があるが前提、原理を守っているから一番有力だろう
いずれにしても有限宇宙論はいろいろなあ 対象を無矛盾に理解したいだけ
ビッグバン仮説は矛盾だらけ 運動は静止で規定される
生死、無は実在しない
対象はその否定で規定される
だから決定不能、つまり矛盾
ゼノン、カント、ヘーゲル
いろいろと指摘されているが、そういうこと
対象は無矛盾、規定は否定だから決定不能、矛盾に
そして規定の実在は否定され無矛盾であることを科学は示した
規定することが矛盾をもたらす
ウイルスの分類困難性は分類するから
矛盾は規定するから 終始は無い
科学者が辿り着けないのは物理として実在しないから 宇宙の始まり?
死?
そんなのは物理として実在しないから 絶対座標は実在しない
座標原点は実在しない
実在しない0次元、静止で運動は規定される
運動という有を静止という無で規定する
それで自然の存在形態が運動、つまり無矛盾ということを証明
認識の相対性ということかと
座標原点を適宜に設定する
その中での数式の有効性、つまり相対性
だから最終方程式、神の方程式は存在しない
ラーナーの著書では方程式の有効性の範囲の問題が述べられていた >>547
青葉の2chへの書き込みも似たような感じだし
このキチガイが人に迷惑かける犯罪犯さないことを祈るばかりだわ
回りに迷惑をかけているという認識力が明らかに0だからな 俺のはアリバイ作りだな
科学否定のビッグバン仮説を否定していたことを示し続けるだけ 論証無しのキチガイポエム垂れ流してるやつを馬鹿にするレスに論証は必要ないだろw だからさ、物理として静止、生死はあればさ
終始もね www 物理としての終始はどこにも無いじゃん
物理としての生滅も無いじゃん
なあ、宇宙非宇宙が対象に在るというのは観測されてから言ってくれよ
インフレーションは仮説だわな
俺には辻褄合わせにしか映らんが
誰だっけ、無以上の無とか言ってた科学者が居たよなあ
言葉遊びの典型じゃん 宇宙非宇宙が実在するのが観測されたら白旗
でも物理としての始まりが実在しないというのは証明済み
生滅が無いということは終わりもまた
ビッグバン仮説は対象が矛盾し理解出来ないということ
エネルギー保存則、光速度一定の原理が示す始まりの非実在も否定する
この仮説は科学の積み重ねてきたことの否定
科学は認識の在り方の相対化の歴史
ビッグバン仮説は天動説の末裔だよ 宇宙非宇宙は対象には実在しない
非宇宙、つまり静止、生死、無、終始で宇宙を規定している
これらが実在していると観測されたら降参
ウルトラマンは居ると主張したら存在証明は居ると言う側に義務がある
なあ、静止、生死、始まりなんか無いじゃん 物理として始まりが在ると証明してくれ
生滅が在ると証明してくれよ
ビッグバン支持するというのならさ 時間とは運動量
一光年 光 地球の運動量
時間の定義は運動量が普遍
此処から此処までという運動量
0次元は運動という有を静止という無で規定する言葉
今、此処と指示すると今、此処は飛び去るとヘーゲルは語る
今、此処とは座標原点
今、此処とは運動を静止で規定する言葉
有を無で規定する、だから運動は量で理解するしかない
直接では捉えられないから
現在には過去も未来も実在しない
現在=運動しか実在しない
つまり時間は認識の在り方が要請する次元
パルメニデスは自然は一であるとした
一は多で規定される
ゼノンの逆説は数が実在しないことを証明した
絶対座標は自然には実在しない
時間は実在しない 時間は運動量に還元できる
運動量は認識の在り方を媒介にしている
運動という有を静止という無で規定する
0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義
現在は直接には理解できないから量、時間で規定するしかない
今は運動を静止で規定するということ
時間は運動量、つまり認識を媒介にした自然の在り方を媒介にした観念的存在
0次元、出発点が存在しないのだから 天動説みたいなもんだな
ビッグバンって
それかオオカミ少年
月に行った話とかだな ビックバンはあまりにも単純すぎる理論
今現在人類の英知はそこまでしか計れないレベルなのでしょうね ビックバンは竹から生まれたかぐや姫じゃないんだからのレベル
おいどんは宇宙146億光年の桃太郎は巨大なブラックホールの中にあると思う 人類の想像とはバクテリアが想像するようなもの
宇宙の歴史は1000ガイ光年前から存在しています
広さも9000ガイ光年以上あります。135億年なんて塵が光る一瞬の出来事にすぎません アメリカ空軍仕官学校の教科書アカデミーで使っている宇宙科学入門チャプター33
の中で結論として「今から5万年前からUFOは地球に飛来して来ている。実に不愉快な可能性だが
他の惑星から我々の地球にコントロールしてやって来ているのがUFOである」とエイリアンが
コントロールしてやって来ているのを空軍エリートの学校の授業で教えているよ。今では日本の
自衛隊のエリート(仕官級)の授業でも教えている。我々地球文明なら数百億年かかる距離を彼らの
テクノロジーでは一瞬で到達出来る文明を持っています。そうです。時間を支配するテクノロジー
があるからです。人の物を奪う為に地球人同士殺し合う戦争をしている下等な地球人も夏祭りで売って
いるロケット花火と大差ないロケットの開発など止めて地球人同士皆で手を合わせて地球環境保全に
取り組まないといけないと思います。 ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。
自然の波音も入っているので、さまざまな周波数の恩恵を得ることができます。
神経過敏でイライラしやすい人、なんらかの依存症にも少なからず効果が期待できます。
試してみてください。//youtu.be/e1IPKVrDUoM 人類の英知は0.75
宇宙人の平均頭脳は5.1
地球に無い技術:ワープ航行、光速航行、ニュートリノビーム兵器、サイボーグ医療、テラフォーミング、ダイソン球など 見事な自己言及です
0600名無しさん@お腹いっぱい。垢版
2023/10/29(日) 22:57:00.64ID:MMADQIir
落ちこぼれは否定するしか救いがない どこが無内容か指摘できない←この投稿が無内容そのもの
0597名無しさん@お腹いっぱい。垢版
2023/09/14(木) 14:57:48.75ID:XlRv/J2K
無内容を自覚できないのは可哀想 自然科学と数式
ライプニッツは重力方程式に敬意を表したが遠隔作用するとするニュートンの重力概念は魔術的と拒否して、渦モデルを提唱したが完成しなかった
当時ニュートン力学はオカルトと扱われたというのを読んだことがあるがライプニッツの拒否もその一つだったのかも知れません
1970年代にハイゼンベルクは現代科学は数式で矛盾を隠していると批判した
武谷三男氏は違う方向で現代科学の在り方を批判的にみていた
ホーキングは最終方程式まであと僅かと語ったが観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語った
少し前に現代科学は全てを表す神の方程式を求めているというドキュメンタリーをテレビで放映していました
しかし数式と、自然とは何かとはどうも違うようです
数式は正しくともニュートンはハイゼンベルクの例でその自然理解は必ずしも正しいとは限らないことをこれらは示している 1980年代末に科学革命が必要と説かれ以降日本でも散見するようになった
ビッグバン仮説は確かな証拠無し
科学はある意味これからの学問 1980年代末に科学革命が必要と説かれ以降日本でも散見するようになった
ビッグバン仮説は確かな証拠無し
科学はある意味これからの学問 直感的にビッグバン理論なんて胡散臭いわな
膨張してるってことは最初は一点から始まったはずだというのが論説の動機だからな
しかしそもそもその一点が論理的に破綻する宿命
そして殆ど唯一の証拠と言われているのがぼんやりした均一なただのノイズで片付く宇宙背景放射
時空は歪んだり伸びたり縮んだりするのに
地殻にへばりつくだけの人間に何が分かるって言うんだ ゴルゴは自分の秘密を漏らす者を許さな
い。従ってゴルゴがもし実在したら最初
に処置されるのは「さいとう・たかを」
である。
然るに「さいとう・たかを」は存在し続
けた 。
従ってゴルゴは実在しない。
同様に、捏造信者は存在し続けた。
従っ て捏造者は存在しない。
∴ アポロ月面着陸は真正である。
Q.E.D. 地動説はみたものがそのままの自然じゃないということ
静止、生死、終始
科学の歴史は一貫して否定関係の存在を否定してきた
ビッグバン学説は自然科学の否定
自然は理解可能
つまり無矛盾ということは死守しなければならない 地動説はみたものがそのままの自然じゃないということ
静止、生死、終始
科学の歴史は一貫して否定関係の存在を否定してきた
ビッグバン学説は自然科学の否定
自然は理解可能
つまり無矛盾ということは死守しなければならない