ビッグバン宇宙論は早く くたばれ
背景放射は天文学者が違う理解を提出しスムート博士は否定できないと語った
火星に運河を発見した天文学者と同じ過ちかもと記事は締め括る
赤方偏移はアープの異論がある
背景放射理解は近藤陽次氏がその変遷を述べ疑問を呈している
大構造生成にかかる時間はビッグバン仮説の数倍だが未だに解決していない
ビッグバン仮説の天動説的変遷を指摘していた理系サイトがあったな
学生当時は疑わなかったビッグバン仮説があるときから?となり調べたら・・・ということで否定的になったとあった 科学者は何処からが死だと特定するのは困難と語る
物理としては無いから当然
生れるということもまた
ワインバークは宇宙の始まりまであと僅かに迫っていると前世紀末に語った
四半世紀経っても彼の弟子からは報告なし
絶対座標は無いんだから w
何も生まれないし無くならない 宇宙もまた ポエムと評するのはあなたの勝手
わたしは前提と原理等を守った宇宙論を、ということで 現代科学の主流を絶対とするのはね
終始は在るがそれは認識に結んだ像
座標原点はないのだから
わたしにはビッグバン仮説は観たものがそのままの自然だとする天動説に映ります 酸素を発見した科学者はそれがフロギストン説の否定とは生涯理解しなかった
鷗外は脚気の理解を当時の科学を絶対化して陸軍に多大な損害を与えた
天動説は前提を疑うことなく周転円を増やし続けた
ビッグバン否定の科学者は天動説の周転円より多いと語った
インフレーションもその一つかと ビッグバン仮説の変遷の歴史を綴ったのがムック本にあったな
疑えばいろいろ出てくる仮説でしょう
わたしにはとても信じられないのですが >>358
>光速度一定の原理は自然に終始がないということ
光速度一定の原理は自然に終始がないということではありません
>ビッグバン仮説の否定
ビッグバン仮説は初期宇宙が火の玉の状態であったことを前提としてるだけで自然に始まりがあるとか全然関係ない理論です。
>絶対座標は存在しないのだから
ビッグバン理論は相対論の上に成り立っていることすら理解せずにビッグバン理論を否定してるのアホすぎるでしょ おやおやワインバークは宇宙の始まりまであと僅かと語り
南部さんの説明もあるんですが
わたしは宇宙に終始はないと理解しています
絶対座標は宇宙の始まりですが有りません 内容無しの罵倒を連呼してるからわざわざ
こいつのレスの全ての文章についておかしい部分を指摘してあげたわけだが、
池沼すぎてその指摘の意味を理解できないのか
何の反省もなく結局また同じアホなレス繰り返すだけ
そりゃ誰もわざわざ内容正そうとしてくれなくなるわけだよ いや終始は何処にもないわけで
宇宙非宇宙という前提がナニでして 確かな観測証拠無しで言われてもなあ
物理として生死は存在しないし わたしは他の物理状態から遷移してまた違う物理状態に遷移するだけ
物理として生滅は無い
宇宙は生滅すると言われてもなあ 物理としてはわたしと周りの全ては差異であり否定関係では無い
物理としては同一
宇宙非宇宙という否定関係はいかがなものかと >>369
何回言ったらこの池沼はビッグバンが始まりを意味してないことを理解出来るんだろう。
ビッグバンが起こる前にインフレーションが起きてることすら知らなそう ビッグバンで宇宙が始まったと言われてもなあ
どっかーんと誕生するからビッグバンというわけで >>373
何回言ったらこの池沼はビッグバンの観測証拠があること理解出来るんだろう。
背景放射や銀河の赤方変移の観測結果すら知らないとか 仮説の上に仮説を重ねて証明したと言われてもさ
周転円と同じじゃないかなと >>378
ビッグバンが始まりじゃないという話だよ。
お前は理科や算数のまえにまず日本語理解出来るようにするのが先だろ はいはい
背景放射、赤方偏移も違う理解が可能だと科学者はかたりほかならぬスムート博士は否定しなかったわけで だめだ。小学生くらいまでレベル下げて説明しても日本語が通じないし、何説明しても無駄だわ、この池沼には いや宇宙に始まりがあるというのがあなた方の理解ではあることは間違いないわけで
ビッグバン、インフレーションも仮説でして だからあ、宇宙の始まりを主張するわけですよね
そんなのは無い、絶対座標などないわけでして www 確たる証拠は皆無
後は周転円を重ねているだけ
信じるか信じないかはあなた次第 w わたしという物理状態は周りの物理と親和反撥の過程で生滅する
物理としては生滅しない
宇宙もその過程あり物理状態は遷移するが物理として生滅はない
宇宙の誕生滅亡?ありえない 周りで物理として生滅はないわけでして
わたし自身また 個別理論は終始をカットして理解すべきかと
終始がないのだから
わたしの生滅、此処から此処までは物理としては存在しないから プラズマ宇宙論は方程式について言及していたな
少しだけ認識論に言及していた
自覚があったかは怪しいですが さてと話を元に戻そうかな
自然科学は否定関係だと規定してきたことが差異であることを示してきた
静止は運動の一形態、生死は物理状態の遷移で否定関係では無い
生物も非生物も物理として否定関係では無い
無、真空もまた有の一形態
宇宙非宇宙なんてのも物理として静止、生死は存在しないことを示してきた科学の否定でしかない
どこにも物理として生死もないのに
つまり認識に必要な座標原点、静止が実在するという天動説まんまということ
ある生物学者は生物は生きつつかつ死につつあると語る
それは運動変化する対象を静止で規定するから
自然認識なんだから認識の在り方は考察されなければならない
わたしには宇宙の生死なんてとてもとても
次元が存在したら静止する自然が無限に、わたしという自然も当然無限に存在するということに、そんなあというしかない
ビッグバン?
天動説の末裔で科学の諸成果の否定でしかない 古代の素朴な理解は後世の形而上学的な理解より正しいことが多々あるとはある学者の言葉
地動説、進化論、万物は流転する、集合論とか枚挙に暇がない
行き詰ると後戻りすると新たな展開があることがけっこうあるとある数学者は語る
現代科学の理解が最先端だから正しいというのはどんなものかな
ゼノンの師であるパルメニデスの自然は一という理解に戻るべきかと
そうそう芸術論で出色の理論を展開した方が言語学者は言語現象については詳細に語るがその本質となると疑問が残ると書いていた
どの分野も同じかな
何事も初歩がいちばん難しいとか言われるが・・・
いずれにしても現代科学の理解を絶対とするのは鴎外の過ちを繰り返すことになるのではないかと
じつは日本はビタミン発見には有利な環境だったが絶対派がビタミン学説萌芽の日本人学者たちの論文を無視したというような解説を読んだことがあるが
これからの学徒に鷗外にはならない方途を捜すことをお薦めします うむ、わたしの理解はあまりに美しいから一編の詩に映るのかな
そうだ、そうに違いない 否定しきれないから野次しか飛ばせないイライラが透けて見えるな
続けたまえ、わたしには裏がえしの賞賛であり心地よい 規定は否定
一を多で規定するから
次元は典型かな
次元という無で有を規定する インフレーションとかこれからも周転円を重ね続けていくんだろうな
根本には気づくことなく最先端w学説を従順に受け入れ旗を振り続けるだけ
ファイアアーベントの警鐘は傾聴に値すると思っている
これからの学徒、問題意識ある人限定だが大望の在る方に提起したい 鷗外に対する嘘を今だに信じてる奴がいるな
他人を悪く言えるネタなら事実など関心ないか 地動説以前は天動説の範囲で解らない天体の動きを説明しようとして周転円を重ね続けた
半世紀ほど前からハイゼンベルク、武谷氏が現代科学の在り方に疑問を投げかけた
三十年以上前にアルヴェーンとか洋の東西を問わず新たな視点が必要だと主張する科学者たちが出現
時間非在説はもちろん重力非在説を主張する科学者も
量子力学は新たな理論が必要な段階で、研究者は一条の光も射さないと嘆く
現代科学は行き詰っているのでは、という理解は当然有る
ホーキングは最終方程式まであと僅かと語ったが、観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語った
現代科学の理解は天動説のそれではないのか
インフレーション?
ビッグバン?
はてさて 最小単位はない
紐が発見されたとしてもそれはある条件でそのように生成されるだけ
〜に成るということ 十の証拠からは十の理論が作られる
正しいのは一つだ
ブラウン神父 イザエル・ガウの厳正さ わたしたちの認識器官に結ぶ像はそのままの自然じゃあない
もしそうなら諸生物の数だけ自然は存在することになる
静止、生死は物理としては存在しない
無も存在しない
上に述べたこと以外にもいろいろある
自然科学は自然認識だから認識の在り方も考察すべきかと
わたしは科学は認識の在り方の相対化の歴史でもあると理解している
光速度一定の原理は自然と認識の本質を示している 十九世紀の思想家が、静止は運動の一形態だと指摘している
これはわたしには衝撃だった
いろいろ考えてきたが、認識器官に結ぶ多としての自然像は一なのだということと結論した
つまり一としては在るが濃淡である自然は認識器官の在り方から多として像を結ぶということ
地動説の語るかなり重要なことは見たものがそのままの自然では無いということではないか
わたしには自然科学の歴史は認識の相対化に映る 一は多となり、多は一となり、は古代中国だったかな
ググったが出てこなかった
やはり古代ギリシャかな
それはともかくこの言葉はいろいろ面白く、検討に値するかと 現代科学の在り方は絶対ですか?
完成形ですか?
観測対象の理解は未来永劫変わらないですか?
現代科学の在り方もまた相対化される可能性はありませんか?
天動説を主張する天文学者の観測結果は地動説で読み替えられました
日本の学徒たちに現代は科学革命を切り拓くこれ以上無いチャンスなのではと思えます
いや、科学革命を日本人にやって欲しいのです
宗教、数学はドイツ人がケリをつけました
共産主義は日本人がケリを、そして科学も日本人がケリをと願うものです うまく纏められないなあ
科学革命があることは疑っていませんが 座標原点という基準を設定して規定します
個別理論は終始の相対性を理解しなければなりません
始まりは無いのです、終わりはないのです
座標原点は無い、規定自身を否定して無矛盾ということに
生物非生物という分類も相対化されます
認識を理解することは必須だと 自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥して新たな濃淡を生成していく過程としてただ在るだけ
次元も諸力も存在しない
一は認識器官の在り方から多として像をむすぶ
それだけ ビッグバン仮説は観たものがそのままの自然という天動説だろう
静止、生死、無があるというのは科学の否定
認識に必要だが自然には存在しない
自己言及は自己を他、つまり否定で規定するということ
科学は自己言及であり対象である自然にその否定は存在しない
対象の否定が対象に存在したら否定ではなくなるし
自然を非自然で規定する
認識器官に結ぶ像は一をその在り方から多として結ぶということ
此処からが存在しないということは此処までも存在しない
終始は存在しないが終始で規定する
つまり一を多で規定する
自然科学は自然認識
認識の在り方を絞殺する必要がある ヤジるしか能がないならしょうがないかな
生類憐みの令
なんて慈悲深い俺
書けば一編の詩
もう完璧 >>417
簡潔にまとめる能力がないやつは能力が低い >>421
簡潔にまとめる能力に欠如してるやつは頭が馬鹿 畜生が吠えている
聞けば糞を食すというではないか
余の豪華絢爛な糞を投げ与えるが良い
畜生も満足するであろう そもそも簡潔どころか
意味ありそな言葉遊びに過ぎんだろ
自己満足だから放置しとけ わたしは現代科学を相対化して理解することを理系の学徒に提案したい
個人的には科学は前提を確立するには十分な発展をしていると理解しています
この物理条件にこの物理状態はこのように変化するということです
新たな物理条件が生成されればそれに対応して様々な物理状態が生成される
正直最終方程式、神の方程式式には疑問を抱いています
新たな基準を設定してということ自体は無限ではないかと 自然に静止は無いじゃん
生死も無いじゃん
ならば自然は無矛盾、無限じゃん
始まりがないなら終わりも
物理は何処にも行きようが無いじゃん 板倉氏は原理原則を頑固に守る為に柔軟に考えると書いている
無定見と柔軟は違うのだと >>426
簡潔にまとめる能力に欠如してるやつは頭が馬鹿 ID:NUm8mLRk [7/7]
ポエムいらないんで数式でかけここは理系板 自然科学は自然認識
認識の在り方は探究しなければならない
見たものがそのままの自然ではないから
天動説は見たものがそのままの自然という素朴認識論
科学は認識の相対化の歴史でもある
異論があればどうぞ 酸素の理解に発見者は失敗
火星に運河発見
背景放射は異論がありスムート博士は否定出来ないと語る
赤方偏移もまた
いくら方程式があっても理解がさ w
因みに天動説の天文学者の方が観測は正確だったとか
いくらそっちが長けていても理解が明後日なら 大地は静止しています
座標原点設定して運動を方程式で示しました
パチパチパチ
大地は静止しているんだよ
ですか?わかりません 基準を設定し理解する
その範囲で正しい
認識は相対化されるべきかと 十の証拠からは十の理論が
これは否定出来ない
あるかん 天動説、地動説は同じ観測結果の理解
ある観測結果を背景放射と理解する科学者、いや違う理解が可能とする科学者
赤方偏移もまた 方程式は終始をカットして理解すべきかと
終始は無いのだから
方程式はそのままの自然ではない >>440
十の証拠を一の理論で説明できなきゃ
理論とは言えん
科学を分かってないんだな 十の証拠云々は途中送信だ
正しいのは一つ
遡れば書いているから確認すれば?
ブラウン神父シリーズだ 0404 名無しさん@お腹いっぱい。 2023/08/18(金) 12:38:16.41
十の証拠からは十の理論が作られる
正しいのは一つだ
ブラウン神父 イザエル・ガウの厳正さ
ID:ZOKT1NMr(10/13) だからあ
静止は運動の均衡状態
生死は物理としては存在しない
四次元が存在したら無限の静止した自然とわたしが
これが何を語るのか 自然科学は自然認識
認識の在り方は探究されて然るべき 目の前の自然は認識器官の在り方に結ぶ像
それを相対化してきたのが自然科学
見た自然がそのままの自然なら科学は要らない 自然は一であり、それを多で、つまり否定で規定する
次元は多で一を規定するということ
現在しか無い
運動を静止で規定する
有を無で
0に限りなく近いが0ではないというのはそういうこと
現に在る運動は静止、無で規定される
だから四次元という多で規定する
一を多で規定する
否定は規定
運動は直接理解できないので多、運動量にしなければならない
時間は一である自然を多で規定するからであり、自然には存在しない まさに義務教育の敗北という言葉にぴったりなやつだな ヘーゲルは何処かで、今、此処と指示すると、今、此処は飛び去ると書いている
太宰治も「女生徒」で、今、此処は面白いと主人公に言わせている
ヘーゲルの影響下にあったのかもしれない
または偶々?
いずれにしても対象と認識の関係を如実に表していて面白い指摘だと思う
今、此処とは座標原点
板倉氏は「新哲学入門」では論理は静的だと指摘している
というか運動を静止で規定しているということ
スピノザは規定は否定とした
多分エッカーマンだと思うが、君はスピノザしか読まないのかとゲーテに言っている
いろいろ読んでなるほどスピノザは読むに値するのかもと思い始めている
チラッと読んだだけだが w 武谷三男氏は「嘘をついてはいけないか」とかいうエッセイで嘘をついてはいけないと教育すると他人は嘘をつかないと思う様になると書いている
ここから板倉氏は仮説実験授業を展開する
わたしも嘘をついてはいけないという教育の毒を浴びた一人
教科書には真理しか書いていないと思い込んだ
歴史を振り返れば、そんなことはないことは一目瞭然
科学者というか学者はそんなことを金科玉条にしたら知は停滞するわけで
地動説がそうであったように、科学は分岐点に差し掛かっているのだと思う
因みに金科玉条は略したらいかんと先輩に言われてぽかんとした思い出 わたしはあなたではないし、植物でも金属でも無いと否定で規定する
物理としては差異
ウイルス分類の困難性は物理としての差異を否定で規定するから
わたしは産まれてから現在に至るまで大きく変化しているが同一のわたしで規定している
というか同一であることは無いわけで
それは全てそう
宇宙は同一であることは無いが同一の宇宙と規定する
ミス・マープルは変われば変わるほどますます変わる
変われば変わるほどますます変わらない
両方とも真実だと語る
認識の性格を言い当てているかと
いずれにしても、認識器官に結ぶ像から出発しているわけです 訂正
ミス・マープルは変われば変わるほどますます変わる
→ミス・マープルは変われば変わるほどますます変わらない なんどでも言いたい
自然科学は自然認識
その歴史の一面は認識の在り方の相対化
無矛盾であることは規定は自然に存在しないことで証明される わたしにとって自然科学は、自然とは、論理とは、そしてなによりも人間とはを解る手立て
学生時代に新約聖書学で文字通り呆然とした
バッハのマタイ受難曲はバッハが苦手だった母がリヒターの映像版で観ていたら一緒に見始めて三時間
最後に良い曲だねと言って台所に行った
そのマタイは基本は欺瞞なんだが思想的には豊穣とか
おまけに西洋音楽の金字塔と言われるを産み出す
次は共産主義でマルクスの学的方法で成立しない思想と結論
ソ連崩壊を予想してその通りに
数学は不完全性定理で自らでは無矛盾kは証明できないと
これは否定で、この場合有限を無限でということで決定不能に
数学の大学院卒がこれをもって何もかも解らないのだと書いていた
いやいや定理という言葉が泣くだろう
不確定性原理は自然は有を無で規定するから、近似値であり、また決してイコールでは認識できないと理解している
不確定と確定しているから〈原理〉なのだと
・・・諸学の結論は衝撃的だった
人間は何処から来て何処に行くのかというゴーギャン風の問題意識を語った物理学者がテレビで語っていた
自然科学の結論もまた衝撃的な気がする