ビッグバン宇宙論は早く くたばれ
誰が見ても池沼にしか見えないんだから
池沼としか言いようがないわな 何回でも言います
自然科学は自然認識です
ならば認識の在り方もまた考察対象だとわたしは主張します
これからの学徒に提案します
言語過程説を主張した三浦つとむ氏は認識の在り方を述べています
とりわけ自己言及である観念的な自己分裂は重要です
それは規定は否定ということです
板倉氏は観たものがそのままの自然では無いと地動説は示したと語ります
これは重要な指摘です
自然〈認識〉の本質です
ゼノンは自然は多ではない、一だと主張するパルメニデスの擁護です
スピノザは規定は否定だと語ります
だから規定は決定不能、矛盾を招きます
クレタ人の逆説です
不確定性原理、0に限りなく近いが0ではない、不完全性定理・・・
ウイルスの分類困難性等
これらを理解したかっただけです
それを通して自然とは、学問とは、人間とはを理解したかった
それだけです ヘーゲルも自己言及です
学問、認識、等々
本質から理解をしたい
因みに武谷氏は三段階理論を提出して、ボーアなどが否定的な湯川理論を支持しました
興味のある方、是非認識論を探究してください
収穫は期待できると思います 何回言っても何も理解しない奴っているよね
理解した事がないから理解自体を理解してない
言葉弄りがあるだけ 自然は矛盾していないだとぉ?
無矛盾の検証は難しいぞぉ 単純に証明可能だと考えています
光速度一定の原理は絶対座標の存在、つまり此処からの存在を否定しましす
無限は終始がないことで証明されます
此処からは在りませんから此処までも在りませんから無限です
絶対座標とは静止です
静止が存在しないということは自然の存在形態は運動です
運動を前提に否定関係は導けません
つまり自然は無矛盾です 量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡です
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反撥が新たな濃淡を生成する過程だとわたしは理解します
(進化論はこの自然観が裏付けるとわたしは理解します)
真空、無はデイラックの海でエネルギーの基底状態ということになります
つまりエネルギーの一形態です
無が〈有〉ったら無になりませんから w 観測問題は自然は濃淡はありますが〈海〉、〈一〉です
認識器官はその在り方で自然の像を生成します
静止、生死、無は認識側には存在しますが自然には存在しません
静止は運動の一形態です
生れるとは物理状態の遷移であり物理としては生まれません
死も同様で物理としては無くなりません
物理として生滅はありません
エネルギー保存則です
無は述べました
認識器官にはその在り方から淡は像を結びません
一である自然は多として像を結びます
粒子は波が渦を巻いた状態で、波の一形態だと考えています
静止が運動の一形態であるのと同様に粒子は波の一形態だということです 光速度一定の原理は静止で運動を規定するが静止は存在しないことを示します
自然が無矛盾であることは静止が存在しないことで示されます
スピノザは規定は否定と語ります
静止で規定しますが静止は自然には存在しません
ウイルスは生物非生物と分類困難ですが生物非生物という分類は物理状態の差異を否定関係で規定します
つまり分類することが分類困難であることを出来するのだということです
とりあえずですが、わたしは光速度一定の原理は自然が無矛盾であることを、静止が存在しないことで証明したと主張します
ここから不確定性原理、ゼノン、カント、ヘーゲルなどが理解可能だと考えています 人間は自然の一部です
つまり自然科学は自己言及です
三浦つとむ氏は〈わたし〉という自己言及を〈観念的な自己分裂〉と認識論の立場から解明しています
「日本語はどういう言語か」を参照してください
自然科学は自然認識ですから認識の在り方も追究すべきでしょう
自己を他という否定で規定するからこそ様々な問題が出来します
光速度一定の原理は規定は否定であり、自然には存在しないことをもって無矛盾であることを証明したとわたしは理解します 板倉氏は地動説は見たものがそのままの自然では無いことを示したと語ります
目の前の自然は視覚器官という物理状態に生成される像です
諸生物、そして個体により差異はありますからその形態により自然は様々に像を結びます
観たものがそのままの自然ならば個体数だけ自然が在ることになります
食材は料理法により形態を変えますが、それと似たようなものかと 観たものがそのままの自然では無いということです
粒子は認識器官に生成される波が渦の状態だとわたしは理解します
此処から、というのも認識器官に生成される像です
地動説は自然認識の在り方を示す端緒であり光速度一定の原理もまたこの観点から考察されるべきかと
わたしはすでに自然は無矛盾であることは証明されたと主張します >>318
>>319
相対論も量子論も、ブルーバックス読んで知識を得たような小学生にも劣る理解力だなw 自然科学は自然認識です
ならば認識の在り方も考察対象です
異論が有ればドゾ 実のあるスレにしたいんですが罵倒の応酬だけはなあ
と思ったらスレタイが www 認識論畑からのこれからの学徒への提言です
問題意識の在る方にと ある哲学者は人は現在を固定して考えがちだが自然も社会も変化の過程に在るとした
ミス・マープル的に言えば変われば変わるほど変わらない
変わらなければ変わらないほどますます変わるということかと
理系の学徒たち、鴎外の轍を踏むことことなかれ 科学の現状は問題山積です
洋の東西を問わず新たな視点が必要だとする科学者たちが居ます 日本人に科学は可能かと悩み数年離れ新たに研究して成果をあげた明治の科学者がいましたが
いや例えばそんなふうに俯瞰しても良いかなと 落ちこぼれが新たな視点とか
結局のところ
「自分に理解できないから科学はダメ」
だけじゃん 無内容は相変わらずですな
無脳ってか反論できないから読むのもやめているのかなあ? w そんなに中身指摘してほしいなら
>量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡です
量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡ではありません。前提から間違ってます。量子力学の一番簡単な入門書の一章くらいは読んで理解しましょう。
>自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反撥が新たな濃淡を生成
>する過程だとわたしは理解します
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反芻が新たな濃淡を生成する過程ではありません。
中学や高校の物理や化学くらい勉強して理解しましょう。
>(進化論はこの自然観が裏付けるとわたしは理解します)
当然ながら全然裏付けになりません
>真空、無はデイラックの海でエネルギーの基底状態ということになります
違います。ディラックの海は大昔の簡便的な説明にすぎず
フェルミ粒子についてのみ適応できるもので場の量子論が確立した現代では必要のない理解の仕方です。
>つまりエネルギーの一形態です
真空はエネルギーの一形態ではありません。
ハミルトニアンの最低エネルギーの固有状態のことです
誰も内容に触れないのは
このように全てのセンテンスが、最低限の自然科学の知識すら持ち合わせていない人間の戯言すぎてみんないちいち内容に突っ込みをいれるのをアホらしく思ってるだけです。 いえいえ、解釈は時代により変わります
古代の理解が甦ることも
貴方もまた現代科学の理解絶対というだけです
わたしは自然は無矛盾という観点から理解を構築しました
粒子は波が渦の状態なら対立関係ではありません
静止は存在しません
ならば自然の存在形態は運動です
運動を前提に否定関係は導けません
前提に否定関係、エネルギー保存則否定、光速度一定の原理無視のビッグバン学説は受け入れられません
貴方もまた現代科学の理解絶対という信仰から逃れていない
地動説は古代ギリシアの理解です 問題意識の違いですね
貴方は現代科学の視点、解釈が絶対という立場です
わたしは諸問題を新たな視点、と言っても古代ギリシャの視点ですが、そこから理解し直そうという試案です
対象は矛盾しない、エネルギー保存則、光速度一定の原理、これらを否定しない自然観をということです
終始は認識が要請するのであり存在しません
光速度一定の原理が示すことです 四次元が存在したら静止した三次元が無限に、そしてわたしも無限に存在することになりますが?
次元で理解しますが次元は存在しません
ゼロ次元は存在しません わたしの出発点を理解するつもりはないようですね
ならば無視してください
それだけです 静止、生死、無は自然には存在しない
存在したら自然は矛盾する
無が〈有〉が存在したら無ではない 何回でも言う必要があるのかなあ
自然科学は自然認識
見た自然がそのままの自然ではない
静止、生死、無は認識には存在するが自然には存在しない
認識についての理解は必要です 初期の素朴な理解は後の形而上学的理解より正しいことが多いとある学者は語る
画期的な理論は最先端ではなく至って戻ることからとある数学者は書いた 視点が根本的に違うからしょうがない
わたしは認識そのものを相対化したい
その視点から考えたい 無が有ったら無にならない
四次元が有ったら静止した三次元が無限に
当然わたしも無限に存在する
無は〈有〉るのでしょうか?
三次元は無限に有るのでしょうか?
わかりやすく説明してください
出来たらですが やはり読んではいないようで
ならば無視してください
目ざわりです 地球は静止して見えるが…
周りは膨張している→宇宙は膨張している?
車の中で風船膨らませても車は膨らまない
車が膨らんでいることを確認したら
同じく宇宙が膨らんでいることが確認したら膨張宇宙論は証明される
インフレーションは仮説
周転円に映るが確認されたら降参 w >>338
エネルギー保存則は否定されてないし、ビッグバンは当然光速度不変は大前提だ。
ポエム読むにしても、大学物理とまではいかないが最低でも高校物理くらい勉強してからにしろ ビッグバンはなんら確かな証拠無しの仮説
おまけに大前提、原理、保存則無視
主流だからといって信じろってのは無理過ぎる 光速度一定の原理は自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥して新たな濃淡を生成する過程
ならば進化論しかあり得ない >>354
背景放射他大量の証拠はあるから。
あと大前提、原理、保存則全部守ってる理論だから。
もう中学生レベルの知識も求めないから、
ポエム続けるならせめて小学生が読むような百科事典レベルの話は理解してからにしろ 光速度一定の原理は自然に終始がないということ
ビッグバン仮説の否定
絶対座標は存在しないのだから 背景放射は天文学者が違う理解を提出しスムート博士は否定できないと語った
火星に運河を発見した天文学者と同じ過ちかもと記事は締め括る
赤方偏移はアープの異論がある
背景放射理解は近藤陽次氏がその変遷を述べ疑問を呈している
大構造生成にかかる時間はビッグバン仮説の数倍だが未だに解決していない
ビッグバン仮説の天動説的変遷を指摘していた理系サイトがあったな
学生当時は疑わなかったビッグバン仮説があるときから?となり調べたら・・・ということで否定的になったとあった 科学者は何処からが死だと特定するのは困難と語る
物理としては無いから当然
生れるということもまた
ワインバークは宇宙の始まりまであと僅かに迫っていると前世紀末に語った
四半世紀経っても彼の弟子からは報告なし
絶対座標は無いんだから w
何も生まれないし無くならない 宇宙もまた ポエムと評するのはあなたの勝手
わたしは前提と原理等を守った宇宙論を、ということで 現代科学の主流を絶対とするのはね
終始は在るがそれは認識に結んだ像
座標原点はないのだから
わたしにはビッグバン仮説は観たものがそのままの自然だとする天動説に映ります 酸素を発見した科学者はそれがフロギストン説の否定とは生涯理解しなかった
鷗外は脚気の理解を当時の科学を絶対化して陸軍に多大な損害を与えた
天動説は前提を疑うことなく周転円を増やし続けた
ビッグバン否定の科学者は天動説の周転円より多いと語った
インフレーションもその一つかと ビッグバン仮説の変遷の歴史を綴ったのがムック本にあったな
疑えばいろいろ出てくる仮説でしょう
わたしにはとても信じられないのですが >>358
>光速度一定の原理は自然に終始がないということ
光速度一定の原理は自然に終始がないということではありません
>ビッグバン仮説の否定
ビッグバン仮説は初期宇宙が火の玉の状態であったことを前提としてるだけで自然に始まりがあるとか全然関係ない理論です。
>絶対座標は存在しないのだから
ビッグバン理論は相対論の上に成り立っていることすら理解せずにビッグバン理論を否定してるのアホすぎるでしょ おやおやワインバークは宇宙の始まりまであと僅かと語り
南部さんの説明もあるんですが
わたしは宇宙に終始はないと理解しています
絶対座標は宇宙の始まりですが有りません 内容無しの罵倒を連呼してるからわざわざ
こいつのレスの全ての文章についておかしい部分を指摘してあげたわけだが、
池沼すぎてその指摘の意味を理解できないのか
何の反省もなく結局また同じアホなレス繰り返すだけ
そりゃ誰もわざわざ内容正そうとしてくれなくなるわけだよ いや終始は何処にもないわけで
宇宙非宇宙という前提がナニでして 確かな観測証拠無しで言われてもなあ
物理として生死は存在しないし わたしは他の物理状態から遷移してまた違う物理状態に遷移するだけ
物理として生滅は無い
宇宙は生滅すると言われてもなあ 物理としてはわたしと周りの全ては差異であり否定関係では無い
物理としては同一
宇宙非宇宙という否定関係はいかがなものかと >>369
何回言ったらこの池沼はビッグバンが始まりを意味してないことを理解出来るんだろう。
ビッグバンが起こる前にインフレーションが起きてることすら知らなそう ビッグバンで宇宙が始まったと言われてもなあ
どっかーんと誕生するからビッグバンというわけで >>373
何回言ったらこの池沼はビッグバンの観測証拠があること理解出来るんだろう。
背景放射や銀河の赤方変移の観測結果すら知らないとか 仮説の上に仮説を重ねて証明したと言われてもさ
周転円と同じじゃないかなと >>378
ビッグバンが始まりじゃないという話だよ。
お前は理科や算数のまえにまず日本語理解出来るようにするのが先だろ はいはい
背景放射、赤方偏移も違う理解が可能だと科学者はかたりほかならぬスムート博士は否定しなかったわけで だめだ。小学生くらいまでレベル下げて説明しても日本語が通じないし、何説明しても無駄だわ、この池沼には いや宇宙に始まりがあるというのがあなた方の理解ではあることは間違いないわけで
ビッグバン、インフレーションも仮説でして だからあ、宇宙の始まりを主張するわけですよね
そんなのは無い、絶対座標などないわけでして www 確たる証拠は皆無
後は周転円を重ねているだけ
信じるか信じないかはあなた次第 w わたしという物理状態は周りの物理と親和反撥の過程で生滅する
物理としては生滅しない
宇宙もその過程あり物理状態は遷移するが物理として生滅はない
宇宙の誕生滅亡?ありえない 周りで物理として生滅はないわけでして
わたし自身また 個別理論は終始をカットして理解すべきかと
終始がないのだから
わたしの生滅、此処から此処までは物理としては存在しないから プラズマ宇宙論は方程式について言及していたな
少しだけ認識論に言及していた
自覚があったかは怪しいですが さてと話を元に戻そうかな
自然科学は否定関係だと規定してきたことが差異であることを示してきた
静止は運動の一形態、生死は物理状態の遷移で否定関係では無い
生物も非生物も物理として否定関係では無い
無、真空もまた有の一形態
宇宙非宇宙なんてのも物理として静止、生死は存在しないことを示してきた科学の否定でしかない
どこにも物理として生死もないのに
つまり認識に必要な座標原点、静止が実在するという天動説まんまということ
ある生物学者は生物は生きつつかつ死につつあると語る
それは運動変化する対象を静止で規定するから
自然認識なんだから認識の在り方は考察されなければならない
わたしには宇宙の生死なんてとてもとても
次元が存在したら静止する自然が無限に、わたしという自然も当然無限に存在するということに、そんなあというしかない
ビッグバン?
天動説の末裔で科学の諸成果の否定でしかない 古代の素朴な理解は後世の形而上学的な理解より正しいことが多々あるとはある学者の言葉
地動説、進化論、万物は流転する、集合論とか枚挙に暇がない
行き詰ると後戻りすると新たな展開があることがけっこうあるとある数学者は語る
現代科学の理解が最先端だから正しいというのはどんなものかな
ゼノンの師であるパルメニデスの自然は一という理解に戻るべきかと
そうそう芸術論で出色の理論を展開した方が言語学者は言語現象については詳細に語るがその本質となると疑問が残ると書いていた
どの分野も同じかな
何事も初歩がいちばん難しいとか言われるが・・・
いずれにしても現代科学の理解を絶対とするのは鴎外の過ちを繰り返すことになるのではないかと
じつは日本はビタミン発見には有利な環境だったが絶対派がビタミン学説萌芽の日本人学者たちの論文を無視したというような解説を読んだことがあるが
これからの学徒に鷗外にはならない方途を捜すことをお薦めします うむ、わたしの理解はあまりに美しいから一編の詩に映るのかな
そうだ、そうに違いない 否定しきれないから野次しか飛ばせないイライラが透けて見えるな
続けたまえ、わたしには裏がえしの賞賛であり心地よい 規定は否定
一を多で規定するから
次元は典型かな
次元という無で有を規定する インフレーションとかこれからも周転円を重ね続けていくんだろうな
根本には気づくことなく最先端w学説を従順に受け入れ旗を振り続けるだけ
ファイアアーベントの警鐘は傾聴に値すると思っている
これからの学徒、問題意識ある人限定だが大望の在る方に提起したい 鷗外に対する嘘を今だに信じてる奴がいるな
他人を悪く言えるネタなら事実など関心ないか 地動説以前は天動説の範囲で解らない天体の動きを説明しようとして周転円を重ね続けた
半世紀ほど前からハイゼンベルク、武谷氏が現代科学の在り方に疑問を投げかけた
三十年以上前にアルヴェーンとか洋の東西を問わず新たな視点が必要だと主張する科学者たちが出現
時間非在説はもちろん重力非在説を主張する科学者も
量子力学は新たな理論が必要な段階で、研究者は一条の光も射さないと嘆く
現代科学は行き詰っているのでは、という理解は当然有る
ホーキングは最終方程式まであと僅かと語ったが、観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語った
現代科学の理解は天動説のそれではないのか
インフレーション?
ビッグバン?
はてさて 最小単位はない
紐が発見されたとしてもそれはある条件でそのように生成されるだけ
〜に成るということ 十の証拠からは十の理論が作られる
正しいのは一つだ
ブラウン神父 イザエル・ガウの厳正さ わたしたちの認識器官に結ぶ像はそのままの自然じゃあない
もしそうなら諸生物の数だけ自然は存在することになる
静止、生死は物理としては存在しない
無も存在しない
上に述べたこと以外にもいろいろある
自然科学は自然認識だから認識の在り方も考察すべきかと
わたしは科学は認識の在り方の相対化の歴史でもあると理解している
光速度一定の原理は自然と認識の本質を示している