つまり、
明晰夢から、瞑想に切り替えた時点で、

個々人の細かい要望に答える形じゃなく、

幸福の追求そのものに、
フォーカスして、

単純化と、余分な情報の排除を試みた事になっている。


まあ要は、
別に、
明晰夢や神秘体験によって救われても良いのだけども、

明晰夢や神秘体験じゃなければ、
救われないとか、

そう言うこだわりは、
瞑想の一般化による救済に切り替えた時点で、
弱くなっている。


明晰夢や神秘体験をしたいというのは、

結局、
脳が脳内麻薬を満たしたいって事を、
人間の思考によって複雑化してしまってるだけじゃないの?

と言う、
考えになっている。