しかし、未来は一本道ではない。必ずレガシーを保存して邁進する、いや、少なくとも人間であった形跡を残すことは誇りや生きていた、もしくはいきている証拠なのかもしれない。なぜ、生きているのか、もしくは、存在しているのか、その探求も未来の人類は続けるだろう。
我々人間は、愛や美しさという感覚を生物の枠を越えても保存するのは妥当と考えるかもしれない。
そうであれば、これまでの生き物としての人間でいたい人々の居心地も確保できるだろう。
それが、スピリチュアルでいう心の時代だろうか。