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 意識レベルと意識内容は、概念として区別したほうが、「意識」という言葉を脳研究で使う際に混乱が少なくなる。ただし、意識レベルの高さと意識内容の豊富さが解離することがありうるのか、そもそも、意識レベルという概念自体に正当性があるのか[19]、については諸説ある[20] [註 2]

 一般に「意識」という日本語は、「注意」「自己意識」、「こころ(心)」「魂」という概念を意味することもある。

 たとえば、「背筋を『意識』してトレーニングを行う」などといった場合は、「背筋に『注意を向けて』」という意味で意識という語が使われている。「注意」と「意識」の関係性については意識と関連する認知機能を参照。

 「自己意識(self-consciousness/self-awareness)」 は脳科学の文脈では意識内容の一種として捉えられる[3]。その一方で、自分の知覚や思考や感情を意識することができるという自己再帰性や、自分の経験が自分の経験であるとわかること、すべての意識経験は何らかの主体による経験であること、などが意識の本質であると考える研究者もいる[24] [註 3]

 「こころ」は、日本語特有の概念であり、英語で「こころ」にうまく対応するような言葉はない。上で述べた「意識の内容」という意味で使われつつも、特に「感情」、「気持ち」、「おもいやり」を意味することが多い[註 4]

 「魂(soul) 」は、脳が活動を停止しても存在し続ける意識という概念である。脳科学では、活動を停止した脳には意識が無くなるとされる以上、魂の存在は認められない。近年では、魂のようなものの存在を示唆するような現象(幽体離脱、臨死体験等)の神経基盤について多くの事がわかってきている[29] [30]。

 科学的な概念(たとえば、「熱」「惑星」「遺伝子」など)と科学的研究のあいだには、研究が進むにつれて概念の定義がより洗練され、それによって研究がさらに進む、というプロセスがある[31]。意識の厳密な定義も、意識の科学的研究の進展とともにえられるだろう。