しかし、実用化には厚い壁が立ちはだかった。研究室と以前から交流があった小野薬品工業(大阪)に開発を持ちかけたが、がんの免疫療法は失敗続きだった時代。同社はリスクの大きさに尻込みして、協力できないと返答してきた。国内企業はどこもやりたがらなかった。

 だが本庶さんは諦めず、米国のベンチャー企業に開発を打診。すると人の抗体の技術を持つ別のベンチャーが小野薬品に共同開発を持ちかけ、同社が方針を転換。

日本はほんとダメだな‥ペリーが来ないとなんも出来ないチョンマゲ集団