>>586
そういうのは俺はあまり好きじゃあないなぁ…。

他者との関係性においてこそ人の存在が立ち現れるわけで、
人とはそもそもからして社会性の生き物であり人間性とはその社会性いかんによる。
単にそこにいるというだけでは、それは物だよ。
能動的に世界を探索する精神の主体として、
精神の主体ということは言語空間を他主体となり得る他者と共有するものであり、
たえず相互に文脈を形成し互いを規定し合う関係性を「そこにいるだけ」というのは
あまりにも本質を削ぎ落としすぎているのではないか。

自ら産んだ幼子が泣いたからといって揺すぶりまくって脳障害を起こし、
挙句床にたたきつけるような母親もまた「そこにいるだけで素晴しい」のだろう。
悪が無ければ善もまた無い。悪も悪で重要であると。
しかしそれが「役割」というのはどうなんだろうねぇ。

ラブアンドピースだかなんだか、マリファナ吸ってへらへらして、
乱交しまくって堕胎のために医者もどきもハンガー(衣服かけるやつね)を
子宮に突っ込まれて、そういう手術が流行ったのだけど、
感染症その他大変なことになって死んじゃう娘とか、そこにいるだけで素晴しいと。

あるいは障害者を虐殺して回るような殺人鬼もそこにいるだけで素晴しいと。
とても重要な役回りを演じてみせたというわけだ。

そういうのは何かを言っているようで何もいっていない。
何の役割も説いていない、虚無でしかないのではないだろうか。