人間の知覚は五感の仕組みからして、認識主体と認識対象の相互依存によって
成り立っているので、常に主観として知覚される、と言えるよね。
つまり、人間は五感の知覚(身体)に頼る限り、世界を二元的な捉え方で認識して
いることになる。

ということは、人間が宇宙を一元的に捉えるには、主観を排して純粋に理論で
捉える必要がある、ということかも知れない。

あるいは、精神の認識作用の働きが、身体の随伴現象に完全に包含されている
場合と、精神の認識作用がの働きが、身体の随伴現象に相依して生じるものより
も大きい場合とを想定した場合、後者が直接知覚として一元的な宇宙を捉える
ことも可能かも知れない。

簡単にいうと、伝統的に悟りや目覚めと言われているものが後者なら、それは
原理的に理解できる。