名無し&コテ雑inラウンジクラシック Part2
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>>150
そういうのはアカンと思うよ
泣いてる子供に怒鳴っても心の傷が増えるだけだもん
そういうのは俺の中で「必要のない不当な暴力」です
>>151
それは俺も気になる
こういうのは相手を言い負かすよりも様々な意見や考えを交換することに意義があると
なのでゆっきーの考えを否定するつもりもない そうですね。多様な意見があってしかるべきです
僕は叩いてる人を見かけたら注意していますが、あなたは明らかに不当に叩いてる人を見つけたら注意しましょう
叩いている人は注意されないからエスカレートしていき、凄惨な事件に繋がっているのです 不当に叩いてる人に飛び蹴り喰らわせたところを注意されたらゆっきーだと思うようにしますね
注意した相手が「すいません。次からピコピコハンマーにします」と反省したら俺だと思ってください ちなみにゆっきーは街で突然誰かにボコボコにされたりしても相手を注意するだけ?
それとも社会的制裁というか警察に通報したりはするのかな どっちだよ
だったらセンスなんて無くてもいい!
上が革ジャン下がジャージになってもいいから俺は殴り返す
正当防衛を主張できる範囲で これはアレですね
イジメですよイジメ
スレッド内の暴力を振るわれております
皆さーん!見てますかー!!
ゆっきーが、ゆっきーが俺にぼうりょ…ふえ…ふえ…うえーん(マジ泣き) 最初に言いたいのが、世論や刑法で「暴力はいけないことだ」という共通認識が成り立っているのは、
性善説が正しいから、ではなくて、「政府」という巨大な暴力が小さな暴力を取り締まっているからに過ぎないんだよね
暴力を振るった人は警察にチクれば暴行罪で連行される、という保証があるから、塩なめさんたちは「暴力はいけないことだ」と言っていられる
けど、警察が無くなれば暴力は野放しになり、暴力団が民衆を支配するかもしれない
それは嫌だよね
だからどっかで暴力は必要になるんだけど、どこまでを一つの単位として見なすかによって、どこに暴力が必要なのか変わってくる
国を一つの単位と見なすなら暴力の担い手は軍隊や警察だし、家族を一つの単位と見なすなら、親が担い手になってもいいんじゃないかな(´・ω・`) そして「なぜ人を殺してはいけないのか」議論に発展するんですよね
知ってる で、このスレではゆっきーやオロナミンや不可視のアイギスや麦が、政府という「巨大な暴力」を行使して
アオイさんの主張する小さな暴力を取り締まっているような構図に見える(´・ω・`)
アオイさんは「暴力の中にも必要な暴力がある」と言っているだけで「全ての暴力が正当」だとは言っていないのに、
あたかも暴力肯定論者のように曲解されているところがそう
具体的にケースについての議論もあるけれど、いまのスレの状態は
最近よくある「ポリコレ棒で誰かがぶん殴られている」状況に似ている 必要とする定義がはっきりしてないからでしょう
AOIの主張は「言葉でわからない場合殴って教える」ってことだったと思うんだけど今回は随分柔らかく書いてるからそう見えるだけ
暴力を許容するしないの価値観自体がそれぞれ違うからその線引きが塩なめにとっては容認できる範囲ってことだろ 人を襲う犬を更生させる訓練士の愛 殺処分させないために厳しい指導
http://news.livedoor.com/article/detail/14229501/
この話題についてはぴったりな話題があって、半年くらい前になるけど、NHKの番組で犬の訓練士の特集番組があったんだよね
その訓練士は、もう殺処分する他ないような凶暴な犬を更正させる人なんだけど、しつけのために犬を何度もぶっ叩くんだよね
その衝撃的な映像が話題になって、どうしようもない犬に暴力を加えることは正しいのか、間違っているのか、みたいな議論が起こった(´・ω・`)
その時の映像がコレね
https://i.imgur.com/KJ3SJ0q.gifv
まあ犬と人間じゃ違うと言われるかもしれないけど犬に対して暴力を加えることに抵抗を持つ人も少なからず居るわけで(´・ω・`) >>163
人を殴ったりナイフで刺したりするような非行少年については殴って教えても構わないと思います(´・ω・`) これ参考になるわ
子供は、叩かれることで、同時に叩くことを学んでいきます。その子の問題解決の手法の1つに「相手を叩く」がインプットされるのです。
相手を叩くというのは、非常に原始的で手っ取り早い手段です。しかも効果がその場で得られやすい。それゆえ使う頻度が高まり、すぐに手が出るようになってしまいます。 >>165
痛みを知らないと〜理論ならナイフで刺す必要がありそうだな 参考になる
叱るシーンとは、その場を正す目的以外に、親の問題解決能力を子供に披露する場でもあります。親が子供の問題行動で困っているからといって、叩いて解決しまっては元も子もありません。
「困ったら、こうやって力で押し切ればいいんだ」と教えているようなもの。うっかり手が出そうになったら、「叩いても効果はない。効果がないばかりか、悪影響だ」と、強く自制する気持ちを持つことが必要です。 何だろう、ゆっきーのポリシーの発表会を見ているような感じ
ゆっきー自身は自分のポリシーを誇らしく思っているんだろうけど
ゆっきーって子持ちなんだっけ?子供に手を出しそうになったこととか無いの?(´・ω・`) 暴力という言葉の捉え方の話と、暴力をどこまで許容(禁止)するかという話、混ざっているような気がするね
この二つは分けられないものだと言われればそのとおりな気もするけども(´・ω・`) >>171
そういう時に、本で読んだ>>166や>>168みたいな内容を思い出して、手を出すのを思いとどまったりするわけかな(´・ω・`) 親だって人ですし、はじめての子育ては誰かに教わりながらやる時代でもありません
カッとなって手をあげてしまった、子どもを否定するような言葉をぶつけてしまった
こんなことはままあることです
しかしそれは間違いであり、言い訳せずに認めましょう
その上で自らを許すことが大切です
そうしていくことで次第に親としての倫理観が成熟していくのです >>172
基本的に子どもは理不尽なものだからとんでもないことしたりするよね
それをみたときにカッとなるのも当たり前なことで、夫婦とか大人同士でも当てはまるんだけどそうなったときは数秒フリーズすること
もちろん危険が伴っているときは危険の排除をしてから
カッとなってるときは状況判断が著しく低下しているので、落ち着いてからことに当たりましょう 暴力を容認するアオイは吊るし上げて殺せー!
暴力を容認するアオイは切り刻んで殺せー!
(」・ω・)」ギロチン!(/・ω・)/ギロチン!
(」・ω・)」ギロチン!(/・ω・)/ギロチン! このように暴力を受け育ってきた子どもは暴力で解決しようとするのです 子供に手を出すのを思いとどまったり、子供に手をあげてしまったことを後悔するのって、
良い両親や本からインストールされた倫理観とかじゃなくて、子供がおびえる顔だと思うんだよね
と思ったけどそうでもないのかな
やっぱり父親ロールプレイの延長なのかな、子供に手をあげることを躊躇うのって(´・ω・`) 叩かれた記憶はあまりないね、羊水が腐ってから生まれたから、どちらかというと甘やかされたし(´・ω・`) 子育てした経験も叩かれた経験もない人の言うことは参考にならないってこと?
塩なめさんは子育てについて言っていることって>>165くらいしかないけど(´・ω・`) 実際のところ手をあげてるの?ってことだから気にしないでいいよ 「痛みを「体感」したことが無い人間に言葉や視覚的要素による説明だけで正しく認識させる事ができるか」
痛みを知らないゆえに他人に痛みを与えて続けるような人(または子供)のことを想定しているのかな?
つまりすでに暴力を振るっている人(または子供)に暴力で分からせるかどうかって話なのかな(´・ω・`) 「人を殴ってはいけません!!!!!!!(ボコォ)」ってなんか面白いよね >>170
そのような「混在」を「抽象的になる」と称したんだけどわかってくれますかね?
なんとなくでも感覚的にでも >>155
殴られたら殴り返さず通報します
もちろん命に関わりそうな場合には反撃します
以上 >>189
刑務所に服役させるってのは廊下に立たせる以上に暴力ではない? 暴行罪が親告罪だとしたらその理論はなりたつのかもしれないが暴行罪は親告罪じゃないんだよ?
アンダースタンド? こういうとんでも議論ってなんの意味があるんだろう
そんなに暴力を肯定したいのかな
法治国家において罪を犯したものは罰せられてその罰を暴力と呼んでるならそれでいいけど僕はそうは思ってないし
そこがずれている上で暴行したら子どもを即通報ってあげ足とりたいだけのように思える 司法を暴力装置と考えてるの?
そうでないと論理的におかしいけどそれでいいの? 死刑を執行したら国民も殺人が認められるという意味なのか……? いや、自分の子供だろうが罪を犯したら罰せられるのが当然ですよねって話ですけど
それがそんなにトンデモなことなんですか? 今日も盛んに煽り合いが行われてますね(*^-^*) もちろん罪として社会通念上認識される行為をしたら罰せられるよ? >>198についてはどうなの?やっぱりそう思ってるの? 司法に限らず「罰」を暴力とは思っていないのですが
もちろん正当な罰で無ければ単なる暴力に成り下がるものも中にはあるかもしれませんが 容認できる私刑とそうじゃない私刑があるだけでしょ
「どんなことがあろうとも私刑はダメだ」なんて思ってないよ
ここでまた「私刑の定義」をすり合わせる必要があるかもだけど ゆっきーは体罰は私刑すなわち私的な暴力であり緊急避難を除くいかなる理由があっても容認しないんでしょ
それはそれでいいと思うよ よーし、じゃあ死刑制度について賛成か反対かやろうぜー!
僕は死刑制度反対
なぜなら人権を奪う行為だから! 人間が等しく平等に権利を持っているとは思っていない俺には釈然としない理由だな
死刑制度よりは懲役500年とかの方が好ましいとは思っているが 死刑制度の賛否色々見てきたけど賛成派の行き着くところが「国民が死刑制度を支持しているから」ってなってたんだよね
倫理的には問題あるとかうんたら書き連ねながら
問題はあれどもたしか8割くらいの国民が賛成してるからって話だった
リアリストな考え方なんだなあと思いましたまる どっちでもいい
死刑が妥当と判断される基準の問題によるところもあるし
死刑が最高の罰とも思って無いし いやあ、別に反対はしないってだけで死刑マンセーとか思ってないんですけどね
むしろ死ぬまで働かせた方がいいんじゃねえかとか
死なない程度に苦しめる方がよっぽど罰としては効果あるんじゃねえかとか
だから「賛成の人は挙手して下さい」とかだったら手は上げないね でも「反対の人は挙手して下さい」とかでも手は上げないんだけど
あれかな?俺ってば優柔不断なのかな
モテない要因のベスト100には入りそうな要素
ゆっきーみたいにズバズバ言う方がモテるんだとしたらどっちかに決めなきゃだよね 暴力は暴力を産むループなのか?あるいはそうでないのか、よくわからない、、、。難しい命題だね。
誰かに殴られた痛みを知らなければ平気で誰かを殴れるような気がするし、、。
逆に誰かに殴られた痛みを知ってたら平気で誰かを殴れないような気もするし、。 はっ
難しい命題と書きながら「〜〜気もする」という並列表現がほぼ同じ意味だったのでついカッとなってしまった
しかし僕は僕を許すことにした 暴言が暴言を産むループだな。
あるいはそうでないのか難しい命題だな。
誰かに暴言を、、、
以下略。 虐待の連鎖ってわりと有名だと思うけどそういう感覚ないのかね >>188
なんとなく感覚的に分かったような気もするけどトンチンカンなこと言いそう
アオイさんにとって認識の違いとは部屋に湧いてくるゴミみたいなもので、
そのゴミを掃き出して部屋を清潔に保つことが「議論」なのかなと思いました(´・ω・`)
>>201
なんで>>110みたいな馴れ合いコテみたいなことしてるの?
議論好きならいきなり議論に入ろうぜ(´・ω・`) 赤信号は止まれという認識がある。
同じように暴言、暴力は良くないという認識がある。
もしもそれらの認識が無ければ赤信号は止まらくても良いし、同じように暴言暴力も行なっても良いことになる。
けれども赤信号を止まらなければ車にぶつかるなどの事故が起き、同じように暴言暴力を行なえば傷害事件になるだろうな。
つまりは暴力の是非を問うなら「認識」は必要ってこと。 >>227
死刑ねえ…あまり死刑が関わりがないから、うかつに賛成も否定もできないといったところかな
冤罪で死刑を求刑されたら嫌だと思えるけど、冤罪は死刑だけに限った問題ではない(仮に冤罪が完璧に無ければどうか、と聞かれると困る)し、
死刑が無くなったとこで終身刑も似たようなもんじゃないかと思うし、良く分からない
和歌山カレー事件の林真須美死刑囚の決め手となったヒ素鑑定が揺らいでいるとかいうニュースあったね(´・ω・`)
【田中ひかる】和歌山カレー事件・20年目の真実〜林真須美は本当に毒を入れたのか 決め手の「ヒ素鑑定」が揺らいでいる
http://news.livedoor.com/article/detail/15027610/
>>211
これ思い出した
これと同じような意味かな(´・ω・`)
https://twitter.com/katayama_s/status/276893074691604481
片山さつき @katayama_s
@taiyonokokoro50国民が権利は天から付与さ
れる、義務は果たさなくていいと思ってしま
うような天賦人権論をとるのは止めよう、と
いうのが私たちの基本的考え方です。国があ
なたに何をしてくれるか、ではなくて国を維
持するには自分に何ができるか、を皆が考え
るような前文にしました!
19:37 - 2012年12月6日 >>229
終身刑と死刑は大きく違うと思うけどな
監獄での生活は死んだようなものと思うか思わないかの違いかな
冤罪についても重大な問題だよね
執行したあとでは取り返しがつかない
この片山の発言はどう思う?僕はうんこだと思う >>231
ゆっきーがいう人権っていうのは基本的人権のうちの生存権というやつだよね
人権人権って言うけど、人権ってどこから来たの?と聞かれたら答えに困るのはたしか
でも塩なめさんも生存権は無条件で欲しい
ただ、そういった利己的な理由で人権を擁護して良いのかなーとかいろいろ考える、分からない(´・ω・`) どこからきたかってそれはもちろん長年の蓄積からだよ
今人権が生来備わっているのは昔たくさんの人が身命を賭して訴えたから
生きたいのにそれを許さない時代があったよね
そんな時代に戻ったらいけないのです でも悪い奴は人の命を簡単に奪うけどそれはどうなの?生きたいのに許されない時代はまだ継続中だと思うのだが さっきの片山の話も「人権が与えられたもの」とするミスリードでしかないんだよね
新自由主義者は基本的に自己責任を押し付けます
その上で杉田のようにマイノリティを迫害するのです
ここに敗戦によって民主主義を確立した国民性と合わさり、権利を主張するのはいけないことと錯覚させられているのです
何回も色んなところで書いているのでここで書いたか忘れましたが、権利の利という字は元々は「理」でした
権理がいつの間にか権利となり何か恩恵を受けているものという勘違いがはじまったのです 凶悪犯罪が増えているという感覚も相当あると思います
しかしデータをみれば明白で殺人については年々減少しています
マスメディアで異常な事件については連日連夜取り上げられ、なんとなく「頭のおかしいやつが増えている」と錯覚しているのではないでしょうか
>>234がいつの時代と比較して生きたいのに許されないとしているかはわかりませんが、それについては新自由主義が継続することで起こりうるかとは思います
何せ自己責任なのです。落ちこぼれは自己責任なので国としては助けませんと進むのであれば切り捨てられますよね 参考になる
ドラマ「この世界の片隅に一話」
おばあちゃんの発言
子どもに手あげちゃいけん >>151
なんだ面白そうな話をしてたんだな
今ここまで読んだ >>229
まだ追い付いてないし今の流れと関係ないけどこれに一言
> 国があ
> なたに何をしてくれるか、ではなくて国を維
> 持するには自分に何ができるか、を皆が考え
> るような前文にしました!
主権者として「どんな国になったらどうなるのか?」を考えるのは当たり前だし
「国を然々の状態に維持せよ」と言われた場合に「その状態に国を維持したら国は何をしてくれるの?」というのも主権者として当然の反応
「『然々の状態にすることの是非』を省みずにただただ目的とする状態のために国民は何が出来るのかを考えよ」というのは
「与えられた目的に盲従せよ」と言っているのと同じだ
こういう傲慢な全体主義が安倍自民党とそのサポーターのスタンスなのだ さて
議論の仕方、暴力の是非、死刑の是非、片山発言、と四つの話題があったわけだがどうしよう おはようございます!
片山発言についてはもう書いたからまず議論の仕方の話からやるか
議論の仕方(>>85-88)ということでいうと
議論には命題の成否を争う議論と、複数の提案のなかでより妥当なものを探す議論があるということで
命題の成否を争う場合は議論は、例えば「暴力は然々の場合には(必ず)許容される/暴力は然々の場合に(必ずしも)許容されるとはいえない」という議論になる
これは構造的に「然々の場合に暴力は(必ず)許容される/(必ず)許容されない」のどちらが妥当かを論じていないのだから、
この形の議論で「議論するとき、ある主張が論破されると、その反対の主張が正しい、みたいな空気になるのが変だ」(>>88)ってのは正しい感覚だと思う
ただ、前提として一般則が定まっている場合は、それに対して特殊性を主張する側が立証責任を負い、その立証が成り立たない場合は自動的に一般則が正当性を持つということはあるだろう
例えば「暴力は基本的には許容されない」という前提があるならば「暴力は然々の場合にら許容される」という立場の立証が無ければ自動的に「暴力は然々の場合に許容されない」が成り立つだろう
と思う 三つ目の場合(>>87)については、前提する事実認識が共有できているとして、複数の案のどちらがいいかという価値判断の問題ならこれは倫理観の問題になるだろう
事実認識に相違があるだけで倫理観が共有されているなら、事実認識のすり合わせで議論は決着する
事実認識の相違が無く倫理観に相違がある場合、一旦お互いの倫理観の前提に遡って、より高次のところで倫理観を共有できていると確認できればそこからの演繹で議論が決着するだろう
例えば「自分が気持ちいいことでも他者を不快にしてはいけない」という倫理観を共有できていたことが確認できれば、先の例だと「暴言はアウト」となるし
例えば「不快になる人がいるからといって如何なる発言も禁止してはならない」という倫理観を共有していれば「ああ、暴言は不快だけど禁じてはならなかったのだった」となる
そしてどこまで遡っても倫理観を共有できないなら、それは平行線になるだろう
議論は共有の前提に事実と論理を重ねるものだから
この場合両者はお互いの前提がどのようなものであるか分かると同時に、前提が共有されておらずそもそも議論が成立していなかったということを確認できる
もちろんメリット・デメリットの話になる場合もあると思うけど、既に言われているようにそのメリットやデメリットをどう見積もるかという判断は結局は倫理観に委ねられてるわけで、
これは倫理観のバリエーションといえるので、詰まるところ倫理観を共有できているか否かという話になるかなと 次、暴力について
まず、ここでは暴力という言葉を単に「物理的な実力行使」の意味で使うことにする(一般的に使われている「不適切な実力行使」的な意味では使わない、なぜなら不適切なら避けるべきに決まっているから)
で、その暴力について個人的な立場としては、基本的には極力避けるべきであると思う
何故ならぼくの知る限り、暴力がデメリットをもたらすケースが沢山あり、かつ暴力がもたらすデメリットをぼくは結構大きく見積もっているが、
それに対して暴力がメリットをもたらすケースというのは非常に限定的で、しかもそのメリットが存外に小さかったりすることがままあるように思われるからだ
だから個人的には基本的に極力暴力は避けようと思うが、しかしこういった問題は考慮すべき要素がケースによってまちまちで、
例えば親が子に物を教えるとき、筋道を立てて説明する親の能力や筋道を受け入れる子の能力だとか、緊急性とか、そもそもの問題の大小など様々な要素が影響する
従って暴力という要素だけを抽出して要素還元主義的に全てのケースの良し悪しを一概に判断するには複雑すぎると思う 死刑の話は長くなりそう
死刑について考えるにあたって、まず最初に、社会には「刑罰は必要最低限度であるべき」「人は必要が無い限り死刑にされてはならない」という倫理が前提にあることを確認する
すると論点は死刑の必要性の有無ということになる
死刑の必要性として考えられるものは幾つかある
・重犯罪者の社会からの排除
・重犯罪の抑止力となること
・被害者の感情慰撫
これらについて、まず抑止力については死刑制度の有無と重犯罪の発生率に関係が無いといわれている
これは死刑制度を廃止した国で重犯罪が著しく増加したという事実が無いことが示している 次に被害者の感情慰撫という点だが、これについて例えば同じ種類の犯罪について被害者によって処罰感情が異なるとき、法は判断を変えるべきだろうか
同じような殺人事件で夫を殺されたA、Bという二人があるとき、Aは犯人の死刑を望みBは望まないとすると、それぞれのケースの犯人C、DをそれぞれA、Bの感情に従って処罰するのが妥当であるかどうか、ということだ
一般に、法的判断は感情論でなく公正な基準で為されなければならないという前提があるならば、被害者の感情という要素が刑罰の決定に関わるべきではないと考えられる 最後に犯罪者の排除ということだが、単に社会から排除するだけなら隔離で十分だ
大前提の「人は必要が無い限り死刑にされてはならない」に従えばこの理由からの死刑は認められない
しかし、隔離するにはコストがかかり、社会はその負担に応じられないので死刑が必要だ、という主張がある
こういった主張の論者がどのような試算をしているのか知らないが、隔離にはコストがかかるという主張を一旦受け入れるとする
ところで近年の脳科学の研究によると、脳の特定の部分の機能が人の情動的・道徳的な判断に関わっていることが明らかになり、犯罪は脳の機能との間に関係があることが示唆されている
脳の機能に問題があると道徳的な判断が十分に為されずに犯罪を起こす、ということだ
これはつまり、犯罪という社会的な不利益は犯罪者の「自由な選択」によって引き起こされたものではなく、脳の機能に起因して当人には不可抗力をもって生じたものである、ということだ 死刑の話をする前に、刑罰一般の話だが、社会的な不利益が生じた場合に、それが脳の機能に由来する不可抗力によるものであったとして、これをどう扱うのが妥当であるか、という問題がある
刑罰の意味とは何か
・社会からの排除
・被害者の感情慰撫
・犯罪の抑止
・犯罪者の反省を促すこと
が考えられる
しかし、先に述べたように被害者の感情という要素が刑罰の決定に関与すべきではない
では犯罪が脳の機能に由来する場合、抑止や反省を促すことが刑罰によって期待できるだろうか
「責任能力」という言葉があるが、近年の脳科学によればあらゆる犯罪が脳の機能による道徳的判断力の問題で生じていることが考えられ、それはつまりあらゆる犯罪者に責任能力を求められないことを意味するのだ 責任能力の無い者に抑止や反省が求められないとすると刑罰の意義はもはや社会からの犯罪者の排除という一点のみになる
このとき、既に犯罪者は隔離以上の特別な扱いを受けるべき合理的な理由を持たないのだから、殊更に劣悪な環境に置かれるようなことがあってはならない
「刑罰は必要最低限度であるべき」だからだ
この前提を認めないのでなければ、つまり国家が合理的理由を持たないペナルティを国民に課すことを是とするのでなければ、犯罪者には隔離以外のあらゆるペナルティを与えるべきでない
このことは死刑についても同じことがいえる
「隔離で必要十分であるから、死刑は認めるべきでない」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています