目が不自由になることは、個人の事情としてとても気の毒なこととお察しいたしますが、人としての尊厳を失わない限り、一人の人間として尊い存在として認められます。
盲人中心のコミュニティに足を踏み入れると、
晴眼者は盲人に親切にして当たり前、声をかけない晴眼者は優しさのない理解不足な人間、
盲人はラジオが情報の収集源で当たり前、点字や音声にされていないものは社会悪、
晴眼者とコミュニケーションがとれていると考える盲人の多くは、盲人自らが一般社会に足を踏み入れて主体的に努力して良好な関係を築いたわけではなく、
様々な理由で盲人コミュニティに興味を持って足を踏み入れた晴眼者が盲人に配慮しながらコミュニケーションをとっていることに気付くことができていない、
いつもは晴眼者の前で背中を丸めて下を向いている癖に、盲人同士だと饒舌になってえらそうなことを口にする、
白杖や盲導犬を使って外出できる盲人は、介助者なしでは外出できない盲人を見下す、
ちょっとパソコンやスマホを使える盲人は、使えない盲人を見下す、
仕事などで晴眼者の世界に片足突っ込んでいる盲人は、盲人コミュニティにしか居場所のない盲人を見下す、
そんな盲人が盲人をばかにしているようなコミュニティに関わざるをえなくなった運命は不幸ですし、盲人自身もその運命は人生最大の不幸なことと認めるべきです。
所詮、盲人も盲人が嫌いで、晴眼者以上に差別して憎悪していて、盲人は晴眼者のほうが好きなんですからね。
否定できますか。盲人の方々はもう少し自分の気持ちに素直になってはいかがでしょう。
普通に考えれば、金銭や優越感なくして、好き好んで障害者に関わりたい健常者なんていませんよ。
身体に障害をもって機能を失うことと、人間としての尊厳を失って障害者中心の歪んだ思考や社会が当たり前という感覚を抱くことは全く違うことですからね。