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正解と解説

QT.(  )に適切な語句を入れなさい。

1.桓武天皇は、律令に基づく政治を立て直すため、784年に都を( 長岡京 )に移した。

道鏡という僧侶が天皇の地位を狙おうとするなど、奈良では仏教勢力が力を伸ばしていた。道鏡の事件は仏教勢力が
律令体制を崩すかもとしれないという、危機感を与えることとなった。そこで桓武天皇は仏教勢力の弱い地域に都を移そう
と考えるようになった。

2.平安時代始め、遣唐使とともに唐にわたった( 最澄 )が天台宗を、( 空海 )が真言宗を開いた。

 最澄は諡号(しごう:死後に奉(たてまつ)る、生前の事績への評価に基づく名)を伝教大師。唐に渡り、天台宗を学んで、
帰国後は、比叡山に延暦寺を建て、天台宗を広めた。
 空海は諡号は弘法大師。唐に渡り密教を学んで、帰国後は高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建て真言宗を広めた。

3.10世紀後半から11世紀半ばにかけて、藤原氏は摂政、( 関白 )を独占して政治の実権を握った政治を( 摂関政治 )という。

摂政は天皇が幼少・女性のときなどに、かわって政治を行う役職で、関白は成人した天皇を助けて政治を行う役職。摂関政治は、
藤原氏が娘を天皇のもとに嫁がせ、天皇の外戚関係(がいせき、母方の親戚)となることで、天皇の権威を利用して行った政治
である。


QU.(  )に入る適切な語を選択しなさい。

1.724年、(   )が設置されたとされる。東北の軍事・政治の拠点とされた。
正解:B 多賀城は、鎮守府(ちんじゅふ)という軍政機関があった場所。のちに鎮守府は胆沢城に移された。

2.743年、(   )が出され、新しく開墾した土地の永久私有を認めた。この結果、公地公民の原則は崩れてしまった。
正解:A 
 班田収授法は、6年ごとに作成される戸籍に基づき、6歳以上の男子には2段(約2300u)、女子にはその2/3を
口分田として支給し、死ぬと国に返させる制度。
 百万町歩開墾計画は722年に出された。農地を増やす大キャンペーン。ほとんどうまくいかなかった。