科学者が核融合の研究を再開したのは、第二次世界大戦後になってからであり、その投機的な性質を十分に認識していませんでした。

マンハッタン計画で経験を積んだ英国の物理学者、ジェームズ・タックは、初期の核融合炉を設計し、「たぶんうまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない」と言っていました。

1940年代後半、アルゼンチンのポピュリスト独裁者フアン・ドミンゴ・ペロンは、ロナルド・リヒターという無名のオーストリア人科学者の核融合研究に資金を提供しました。
1951 年、ペロンは誇らしげにリヒターが世界初の核融合炉を作成したと発表しました。その後の精査により、詐欺ではないにしても、リヒターの研究に根本的な欠陥があることが明らかになりました。
https://phys.org/news/2022-12-commentary-fusion-skepticism-century-genius.html


核融合詐欺は100年の歴史という筋金入りw