ここで「ハブ」はヘビの種ではなく、360度の基点になっているからだが、夜から朝まで
動きを止め、官僚も幹部もスタッフもハブ空港をめざす努力すらしておらず、閑散としてい
るばかりか、第3ターミナルが廃墟のごとく安っぽく継ぎ足されたこともあり、いっそう
シャビーになった。
 40年前に開設した成田空港は、場所設定からその全史を通じて、大失敗だったと断言し
て良い。簡単にいえば、羽田を早くから大規模化すべきところ(成田のほうがアクセス至便
というのは千葉県民でも超少数派だ)、20年近くも国内専用空港にしてしまった時期は致命
的だった。
 40年前に、いきなり成田が国際専用になったわけでもなく、そもそもなぜ成田だったの
かといえば、天皇家所有(御料)地だったことから政府は幾つかの候補から安易に選定して
しまったのだ。その抗議に中核派や革マル派や社青同やらが便乗し、革命のような闘争が続
けられた。間違いを認めないことでその無能さが世界に名だたる日本の官僚政治史のなか
で、成田空港開設の横暴さを政府は謝罪したことは、小泉内閣のらい病社者への隔離作に対
する謝罪とともに画期的だった。
 1998年から98年の約1年かけて冷静に議論された成田空港問題円卓会議の終了時、東
峰十字路事件発生時の機動隊の総括責任者であり円卓会議時に運輸大臣であった亀井静香
氏が、同事件の元被告の旧熱田派事務局長と握手を交わし、事実上の謝罪となる(亀井氏は
死刑廃止議員連盟会長として私と対談し、木っ端微塵に論破されて「グーの根も出ないとは
こういうのとをいうのかねえ」との溜息を終わってから氏が呟(つぶや)いた記録は、この
「ガッキィファイター」で初公開する予定!)。