その龍太郎がオリンピックに直接関わることになるのが、戦後わずか2年の1947年のこと。日本体育協会会長、
さらに日本オリンピック委員会委員長を務め、さらに1950年以降はIOC委員を務めることになるのです。

の草分け的存在といっても、それは医師としてのこと。スポーツ界の重要な地位に就くなんて初めてのことでしたが、
周囲におされて戸惑う間もなく就任することになったのです。

■オリンピックのために東京都知事に

人柄がよく、生真面目な正確だったという東龍太郎。なんとなく周りに押し上げられる形でIOC委員になり、
オリンピック開催のために尽力することになりましたが、今度はさらに思いもしない舞台へ押し上げられます。

1959年、田畑政治から、「オリンピックのために東京都知事選に立候補してほしい」と頼まれるのです。

IOC委員や日本体育協会会長として活動してきたとはいえ、龍太郎は医師・学者です。今まで政治に関わろうなどと
思ったことすらなく、むしろ政治には関わりたくないと思って生きてきた龍太郎。当然田畑の頼みに「うん」とは
言えません。龍太郎の家族も彼の性格をよく知っていますから、猛反対して田畑に直談判しに訪れます。