地学関連の話題なんでもスレpart3
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前スレ
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/earth/1398169286/l50
僅か3レスで即死した初代スレを乗り越えて突入したpart2は
1ヶ月間は持続するも15レスにして惜しくもdat落ち。
今度こそ長寿スレを目指すpart3登場! こんにちは。地学愛好家の皆さん。
私は、私達の最大の興味である日本の形成について、新論を唱える者です。
その新論は「日本古太平洋プレート説」です。
日本海は割れて沈み込まずに引っ掛かって残ってしまっている古生代の太平洋プレートであり、日本列島はその縁に形成された火山列島である、という概要です。
つまり、従来の日本背弧拡大説の真逆の説という事になります。
これから連載して行きますので、皆さんの御感想等をお寄せ下さい。 まず、「日本古太平洋プレート説」による日本列島の形成を説明します。
日本列島は約5500万年程前にほぼ現在の位置(実際には現在より約1500キロ南)にその原型が出来ました。
その原型とは、千島列島から奥羽山脈、関東山地、伊豆・小笠原、マリアナ、パラオ、ニューギニア迄続く、環太平洋火山帯です。
5500万年前、千島列島からニューギニア迄、突然太平洋プレートが割れてしまったのです。
この時点では西日本はまだ存在していませんでした。西日本はこの1000万年後(4500万年前)に形成される事となります。 この時(5500万年前)、樺太島北端と千島列島南端(西端)は接していました。現在の北海道札幌市付近で樺太島北端と千島列島南端は接していたのです。
千島列島→/
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樺太島北端→ |
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東日本島弧→ |
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| つまり、古生代に東太平洋海嶺で生産された太平洋プレートが約2億年程?かけてプレートテクトニクスにより、太平洋プレートの沈み込み帯であるユーラシア大陸東岸に到達したのです。 そして、現在のロシア沿海州や朝鮮半島等にぶつかって沈み込んでいた太平洋プレートが、5500万年前に「沈み込まずに、割れて、引っ掛かって、残ってしまった」のです。
その古生代の太平洋プレートとは、「千島海盆プレート」「日本海プレート」「フィリピン海プレート」の3つです。
つまり、千島列島からニューギニアまでの環太平洋火山帯が新形成されたのです。それ以前はユーラシア大陸東岸や、南シナ海の東側に太平洋プレートがぶつかって沈み込んでいたのです。 MORからの距離が遠いから残ってたとしてもR・T instabilityですぐ沈み込むと思うけど >>17
応答ありがとうごさいます。
しかも、ちゃんと地学的なご批判をありがとうございます。嬉しいです。
私の注目している事は、「古生代に東太平洋海嶺から特殊な半陸半海のプレートが発散された」という事なのです。
あなたの言われる通り、現太平洋プレートは冷えて沈み込んでいます。
しかし、私の主張する古生代の太平洋プレートは半陸半海の性質を持っています。
東日本島弧を見ると、現太平洋プレートが沈み込んでいます。つまり、日本海のプレートは現太平洋プレート(中生代の太平洋プレート)より軽い事がわかります。しかし、日本海のプレートはユーラシア大陸には潜り込んでいます。
これらの事実をもって、私は日本海のプレート(と、千島海盆プレート、フィリピン海プレート。皆同じように現太平洋プレートが潜り込み、大陸プレートに対しては潜り込んでいます。)を、半陸半海の特殊な海洋プレートと定義しているのですが、この定義は急ぎ過ぎでしょうか。 連載を続けて行きますので、また御意見を頂けると嬉しいです。 5500万年前に割れたなら日本のグラニットって230と260Maを示してるけど、これはどうやってできたの
もともとユーラシアに存在しててPHSのリッジの沈み込みじゃないとあの規模は出来ないと思うんだけど >>20
御意見ありがとうございます。
そのような古い花崗岩は、半陸半海のプレートである古生代の太平洋プレートに由来する物と思います。
おそらく半陸半海のプレートである為、海底火山の影響により、陸の産物であるはずの花崗岩が形成されてしまった物と思います。
伊豆・小笠原海嶺の形成は5500万年前、西日本は4500万年前と読みました。
日本列島の原型の形成は、古生代にユーラシア大陸の縁で出来たという説が一般的ですが、そうだとしたら、先カンブリア紀の地層が日本にあるはずですが、全くありません。
古生代に日本の原型が大陸の縁で形成された時、太平洋プレートは先カンブリア紀に東太平洋海嶺で生産された物でなければならないからです。
つまり、日本から先カンブリア紀の地層が出なければ、日本背弧拡大説は成り立ちません。 御意見を頂けて、私はとても嬉しいです。
たくさんの御意見を頂けたらもっと嬉しいです。 その海底火山の起原は何?IA?BA?HS?OR?
先カンブリア地層は茨城にあるよ
あと一番古いのは3750Maのジルコンが宇奈月である、これはなんで? その海底火山は太平洋各地で見られるホットスポットに由来し、塩基性玄武岩である古生代の太平洋プレートが熱せられて形成された花崗岩であると思います。
茨城県の古い地層はギリギリで先カンブリアの物では無く、カンブリア紀の物と書かれています。
宇奈月のとても古い粒子は、陸から吹き飛ばされて、太平洋底に沈澱した物と考えてみます。 >>24
MORBから日本の花崗岩が作られたとしたらREEパターンがあわない (太平洋)中央海嶺玄武岩は、中生代の物です。
ですから、合わないのです。
私の主張する古生代太平洋プレートは塩基性玄武岩です。西日本や、カリフォルニア湾岸で発見される物です。 すいません、私は眠くなって来ました。
今日は御意見をありがとうございました。
私はやはり、地学の話に夢中になってしまいます。 ヤフー知恵袋とは違った御意見を頂けて、とても嬉しいです。
また連載しますので、御意見を頂ければ嬉しいです。 >>16 続き
5500万年前にとうとうユーラシア大陸東岸にまで到達した古生代の太平洋プレートにより、千島からニューギニアまで新しく形成された環太平洋火山帯に、すぐに変化が訪れます。
5500万年前、この頃の太平洋プレートは北北西に進行していました。
これは、ハワイ海山列に記録されています。
ほぼ現在の位置に到達した古太平洋プレートですが、直後に北に約1500q移動します。
太平洋プレートの北北西への進行と、オーストラリアプレートの北進により、古太平洋プレートは北に押し上げられてしまったのです。
すると、樺太島は東日本島弧と一緒に1500q北進しました。
現在の札幌市付近で接続し、角を成していた千島列島南西端と樺太島北端は、その接続が壊れてしまいます。
樺太島が北進して、現在の位置に移動したのです。 >>28 続き
つまり、図にするとこういう事です。
千島列島→/
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樺太北端→| /
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→|
東日本島弧|
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| 5500万年前
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4500万年前(1000万年後)
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| つまり、樺太島は地質から見て、東日本島弧の北端なのです。
そして、東北海道は千島列島地塊により形成されているのです。
現在の札幌市付近で千島列島南西端と角を成していた樺太島北端は、太平洋プレートの北北西への進行とオーストラリアプレートの北進により、東日本島弧ごと北に押され、とうとう樺太島の北半分がオホーツク海のユーラシア大陸の大陸棚に乗り上げてしまいます。
5500万年前からはじまった樺太島の北進は、4500万年前に終わります。
4500万年前に、太平洋プレートの進行方向が北北西から北西に急に変化したからです。
この事はハワイ海山列に記録されています。
ハワイ海山列の急な「曲がり」は、4500万年前だからです。 また、東日本島弧のみが押されて北進したのではなく、日本海プレートとフィリピン海プレートごと北進しました。
5500万年前は、千島海盆プレート、日本海プレート、フィリピン海プレートは一枚のプレートだったのです。
しかし、5500万年前から4500万年前のプレート活動により、千島海盆プレートが分離され、現在の千島海盆プレートが分離形成されたのです。
この時、まだ日本海プレートとフィリピン海プレートは同一のプレートでした。
しかし、4500万年前、とうとう日本海プレートとフィリピン海プレートが分離して、西日本島弧が形成されます。白山火山帯でまたもやプレートが割れてしまったのです。 ほとんど「根拠」を提示しないまま、ひたすら
「こういう風にプレートが動いたかもしれない」
という物語を展開することに終始しているようですが、その「物語」を
そもそも思い付くきっかけとなった材料は一体何ですか?