>>285 続き

「情報の選択」ということですが、コンピューターの発達とインターネットの普及により、
日本は高度情報化社会へと変貌していきました。こうした時代にこそ、「情報の選択」ということが求められるのでしょうが、
「情報の選択」に際して、権威を重視しすぎるという問題や常識で判断してよいのかどうかの問題が生じてきていると思われるのです。
学問的権威は、恐竜は亡びたのでクビナガリュウは存在しない、という見解を打ち出します。しかし、インターネット上には、
南方の海岸に打ち上げられた恐竜の死体のようなものがアップロードされることがあります。こうした時にこれを学問的権威によって、
否定し去ってよいのでしょうか?投稿される動画の中には明らかに偽者くさいものもあります。しかし、どう見ても恐竜の生き残りのよ
うな生物が存在しているのではないか、といわざるを得ない動画もあります。私はこうした時には自分の目に基準を置いて、動画が本物
であるかどうかを自分で判断し、学問的権威によらず、恐竜の生き残りのような生物は存在すると判断する時があります。
心霊や宇宙人といった存在についても、未来人という存在についても同様です。