2000年代はITハードや半導体デバイスの専門家が大量に野に放たれて、
ファブレスベンチャーを始めたり新しい処理アーキテクチャを提案したり、日本流のmakerムーブメントが盛んになって、トラ技も厚さを維持できたのだろう。

その後、世界的に技術革新の本命が決まって定番化したり、収まるべき人が収まるべき場所に収まったり、
日本メーカーが世界市場から脱落して、トラ技も薄くなったのかな。

トラ技は裾野の広がりに支えられている雑誌だから
しょうがない