【Renesas】ルネサス総合 part9©2ch.net
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>>34 の例といい、
同じアドレスに複数の機能を割り振るハード設計は、
基本的にやめてほしい。デバッグできん。 ポートの状態と出力データを同じレジスタとして重ねのてなんか意味あんの?
分けてあれば、ちゃんと出力されてるか確認できるし(RXがそうだっけ) >43
一般論的には、
インデックス間接の修飾8bitで512個のレジスタにアクセスできる、みたいな。
逆に、広い空間にレジスタばらまくっつーことをARMがやって、
インデックス修飾が届かなくて一手間増えてる。即値ロードもコスト掛かるのに。
AVRはレジスタ増えすぎて重ねてもインデックス修飾が届かなくなってるけど。 MOV命令にdsp:16[Rs]やdsp:16[Rd]が苦もなく使えるRXにはあんま関係ない話だな >>37
RL78で「転送命令だけど、ソースが0だと Z フラグが立つ命令」というと
MOVS [HL+byte], X
と
MOVS ES:[HL+byte], X
のふたつだけだと思うけど、6502のSTX命令はフラグ変化がないので全然違う。 (6502より後の製品だけど)68000のともだいぶ違うね
68000のロード/ストア/移動兼用命令moveでは、Xフラグのみ不変でNフラグとZフラグがオペランドにより可変、
VフラグとCフラグは(演算字と違ってオーバーフローが起きないから当然だが)0クリアされる
ロードストア系でフラグ変化しないのはLEAとmoveaとフラグレジスタからのmove、複数レジスタmoveであるmovem、
I/Oポート用のmovep、68040で追加されたブロックmove命令であるmove16ぐらい? 6809のマニュアルもググってみたけど、68000と同様っぽいね。68000の祖型というか原型というか、だからかね。 >>48
68Kは、むしろ6809の失敗を反省して、
全然違うものを作ったって感じじゃないか。
祖形というより、全否定という気がする。 >>49
↓の通りなら、68000に6809は関係してない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/MC6809
> MC6809は、モトローラが1979年に発売した、8ビットのマイクロプロセッサ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/MC68000
> 歴史
> 68000 は1976年に開始された MACSS(Motorola Advanced Computer System on Silicon)
> プロジェクトから出てきたものである。従来製品との互換性を考慮するような妥協したアーキ
> テクチャにはしないということが開発の初期に決定されていた。
> オリジナルのMC68000は、3.5μmルールのHMOSプロセスで製造された。技術サンプルは
> 1979年末に出荷された。 6809の失敗は8086/8088と競合して性能で負けたから。
命令体系が美しくても性能で負けたらプロに選んでもらえない。 6809はアドレッシングモードが強力なのは認めるが特定のレジスタへの操作には
プリフィックスが使われたりで命令体系は美しくはないと思う。 当時Z80の命令セットをマスターした者はその後は何を見ても美しく思えたという。 >>53
それはない。
68Kもあまり美しくないと思うし、86は当時で一番糞だし、
その後もPICは歴代世界最凶だし、ARMもダメ。
なんだかんだで、ルネのH8とかSHはわりといい。
H8あたりは、まだアセンブラでのコーディングを想定してたのかな。 68000も、初期はまだマシではあった気がするが、その後の拡張はヒドイのが少なからず。 68000は最初から致命的なバグがあり、すぐに68010が出たがこれもいまいちだった。 致命的なバグのあった製品があんな長期にわたって生産され続けるわけない >>34
> ハードマニュアルの、「ポート機能使用時の注意事項」
> という落とし穴があるので、ご注意ください。
ご忠告ありがとう。何かと思ったら結局はバイトアクセスという件ね。
78K0 から使ってるんで、その辺は知ってましたわ。
RX もおもしろいね。高級言語用であろう BOOL 値生成的な命令とか1バイトでジャンプできる命令とか。
ただ、マイコンのせいではないけど、C ソース内にアセンブラが書きにくいんだよね。
V850 も使ってたけど、もう RISC はただ不便なだけにしか感じないな。 68000の致命的なバグつうのはMMU付けても仮想記憶実装できないというアレだろうな。 初期のカタログに載ってた68000用MMUが間もなくカタログから消えたのはバグのせいか 68000より後の製品ではMOVE from SRだったかが特権命令に仕様が
変わったり互換性も完全ではないし、68000は近代的なOSを動作
させるには検証が今ひとつ足りてなかった感じ。でも組み込み用途
なら不便ない場合も多かったんで商売としては成功した製品だろう。
最初に68000なんて選んじゃったMacなんかはずっとまともなOS乗せ
らんなかったけど。 >>61
その後のインテルの成功とかを考えれば、成功したとはいえないでしょ。
設計の悪さだけが、原因じゃないだろうけど、Macは、CPUが完全に足手まといだったし、
組み込み用での実績なんて、H8にも劣るんじゃないか。 >>62
68000は10年間くらいは販売してたし大成功の部類だろ。家庭用ゲーム機で
出た数も多いけどな。
インテルの対抗する製品といえば80186辺りだが、比較にはならん。 >>61
ジジイの戯言だが...
昔、68000系を使ったスーパーミニ作ってたんよ。
68010はまとも(OSのフルスペックという意味で)にUNIX SVR3 や BSD4.3が動いたよ。
一番良かったのは68020と68030だな。順当に性能が上がった。
68040は酷かった。命令を削ったにもかかわらずスケジュールが遅れに遅れて出てきたESもバグが多くて
なかなか既存ソフトが動かなかったわ。 >>54
当時は半導体の集積度に制約が大きく、美しい命令体系と高性能が両立
しなかった。
CRTの同期信号をPICのソフトウェアで生成して、ピンポンゲームを実現した
記事がトラ技に掲載されて、PICの高速性に感動した覚えがある。
Microchipが当時の命令体系を守った製品をいまでも出しているのはすごい。 >>65
そりゃ、なんか的外れ。
命令が汚いのと性能は、基本的に関係ないでしょ。
86系は、命令体系が汚いせいで性能向上に苦労してるし。
まあ、PICにはPICの良いところも有るが、
あれを良い子には見せたくないから、
できればこの世から早く無くなって欲しい。 メモリが遅くて、しかもキャッシュメモリがなかった8086時代には、8086の命令体系はむしろ高速化に寄与してただろ
深いパイプラインに豊富なキャッシュメモリ、複数命令を並列実行するスーパースカラーなどを組み合わせるいまだからこそ、
あの乱雑な命令体系が足を引っ張ってるわけだけどさ。 8086はもともとつなぎで本命はiAPX432だったはずがこれが大失敗
Z80などの8bitCPUと比べれば8086/8088の命令セットはかなり使いやすい
IBMは8bitパソコンを作ろうとして高性能な8bitCPUとして8088を採用した
http://ja.wikipedia.org/wiki/Intel_iAPX_432 忘れ去られたCPU黒歴史 20年早すぎたCPU iAPX 432
i8080の後継を目指したiAPX 432
http://ascii.jp/elem/000/000/628/628116/ 大原雄介みたいな馬鹿の書いた文章を貼る神経が知れない 68000は1MIPSの32bitミニコンのVAX11/780の価格を考えれば画期的なCPUだったんだろうな
http://www.computerhistory.org/revolution/mainframe-computers/7/182/736
VAX 11/780 Computer Cost $120,000 - $160,000 >>70
インサイドインテルという本にも8086はつなぎで本命はiAPX432だったと書かれてる 1980年頃のメインフレームやミニコンの性能を知ると
386を搭載した32bitパソコンはメインフレームやミニコンメーカーにとっては脅威だったのかもしれない
それより高性能だったUNIXワークステーションはIBMやDECの標的にされたしな >>71
システムの値段とマイクロプロセッサのそれ比べるってアホですか?
>>72
つなぎだ本命だという以前に製品カテゴリが全然違うよ 忘れ去られたCPU黒歴史 20年早すぎたCPU iAPX 432
2011年08月22日 12時00分更新 文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/)
http://ascii.jp/elem/000/000/628/628116/
> iAPX 432の開発が始まったのは1975年のこと。当時は「Intel 8800」という名前で開発され
> ていた。名前からもわかるとおり、これは「Intel 8080」の後継となることを想定したプロセッサー
> だった(関連記事)。当時、インテルは競合メーカーであったモトローラ「6800」や、ザイログ「Z80」
> との戦いに追われていた。しかもこれらのメーカーは、次世代向けに「68000」とか「Z800」といった
> 後継製品開発を進めていることも知られていたから、これら競合製品に打ち勝てるだけの性能や
> 機能を盛り込むことを考えた。
いくらかでもマイコンの歴史の知識ある人なら↑見ただけでもう読む気なくすだろうな。 >>74
インテルインサイドという本を読めばわかる
そもそもムーアの法則で8bitから16bit、32bitへとどんどん作れるマイクロプロセッサの性能が上がってる
約3万トランジスタだったのが
286が13万トランジスタ、386が27万トランジスタ
8080だって出た当時は400ドルという高価格だったらしい 約3万トランジスタというのは8086のことな
iAPX432より286の方がよっぽど大規模
http://ja.wikipedia.org/wiki/Intel_iAPX_432
>当時としては最大規模の集積回路設計である。
>2チップ構成のGDPは合計で約97,000個のトランジスタを集積しており、
>1チップのIPは約49,000個のトランジスタを集積している。
>1979年に登場したモトローラのMC68000は、約40,000個のトランジスタを集積していた。 >>76
トランジスタ数約6000で作られた8080の1974年から何年後にiAPX432出すつもりだったって言ってんの??
「ムーアの法則」って内容わかってて言ってる? >>78
ムーアの法則は18ヶ月で集積度が2倍
1981年にiAPX432が出たとして
1981 - 1974 = 7年
7 * 12 / 18 = 4.66
2 ^ 4.66 = 25.28倍
6000 * 25.28 = 151680
だいたいiAPX432のトランジスタ数と一致する >>79
あいだに出たからつなぎだったっつー理屈なら8048も8255もつなぎだな >>80
>6000 * 25.28 = 151680
>だいたいiAPX432のトランジスタ数と一致する
「1チップのIPは約49,000個のトランジスタを集積している。」って自分で引用してなかったか? IPはインターフェースチップ
2個のGDPとIPをあわせるとだいたいそのくらい 別にIntelをディスるつもりはない
386はメインフレームメーカーやミニコンメーカーにとって脅威だったことだろう
OS/2 Ver1.xxが386をターゲットにせずに286をターゲットにして開発されたのはそういうことだろうな >>83
>2個のGDPとIPをあわせるとだいたいそのくらい
なんだやっぱムーアの法則わかってないじゃんw >>84
>OS/2 Ver1.xxが386をターゲットにせずに286をターゲットにして開発されたのはそういうことだろうな
IBMのPS/2用に開発されたOS/2が当時IBMが採用してなかった386をターゲットにするわけなかろ? >IBMのPS/2用に開発されたOS/2が当時IBMが採用してなかった386をターゲットにするわけなかろ?
ググッて出てきた情報か?
OS/2が出た当時、IBMは386PCだしてたぞ
当時の雑誌持ってるからな >>87
>>IBMのPS/2用に開発されたOS/2が当時IBMが採用してなかった386をターゲットにするわけなかろ?
すまん記憶違い。
>ググッて出てきた情報か?
ぐぐったらタワー型で出してたみたいだな。メーンは286だったが。 >>66
命令が綺麗とか、直交性が高いとかは、性能の低いCPUの信者の言い訳。 スパコンが手のひらに乗る!
って、いつになったら乗るんだよ! いつになっても乗らないよ。その時代において「部屋一杯」詰め込める限度がスパコン。 大昔のスパコンのスペックのコンピュータがってんならまだわかるが、今現在のスパコンがってーのは無理だろうなー
限界イッパイでぶんまわすためのあらゆる手段が講じられて成立してそーだし 日本メーカの話がぜんぜん出ない。
日本メーカ製CPUアーキテクチャが後世に与えた貢献は皆無だ。
V30とかHD64180とか、製品化の技術力はアメリカに勝っていたくらいなのに。
ルネサスが左前になるのは当然だ。 >>81
ちょ、8048はともかく8255は単なる周辺チップ、ファミリーチップじゃん
8080用周辺チップだったっけ、8086用だったっけ? SHなんて触ると、綺麗に書けなさすぎて、
もう高級言語前提なんだなと。
そうなると、機械語なんてどうでもよくなる。
この贅沢者が。 >>94
8080ファミリ。 使い勝手が良いので10MHz対応やQFP化されて、結構な数が使われたよね。
数年前に、どっかのメーカーが71055の代替品?だしてなかったっけ? >>96
自己解決。 サンハトヤのだった。 高ぇw RL78/I1Dって、もうチップが普通に出回ってるんだな。
いつものごとく遅れるのかと思ってたのに。
http://www.marutsu.co.jp/pc/i/267710/
CS+にも普通にラインナップされてるし。
スペックだけ見てると、「ああ成らないかな」が大体成ってる。
ソフトで動作クロック変えられるなら、
AC電源供給時は高速モード、バッテリで持ち運び時は中速モード、数年間の間欠測定なら低速モードと切り替えられるよね。
ウェイクアップもかなり早いし。 >>89
おれが、直交性が欲しかったのは、ハンドアセンブルに都合がいいからだがw、
直交性の考え方は、その後のRISC時代には、性能にも寄与するようになったろう。
68000が性能上がらなくて廃れていったのは、やはり初期に設計したやつの頭が悪かったと思う。
プレゼンテーション的には成功したかもしれないが、他社のCPU設計者から嘲笑されまくったはず。 >>93
HのZTAT。
後世に与えた影響は絶大。 >>99
誰の分析だったか、データパス長(信号線の引き回しの長さ・複雑さ)が680x0の高クロック化を妨げたとされてるね
それと、初期68000の頃と比べて追加された命令群、追加されたアドレシングモード、アラインメント境界の緩和などの影響で、
マイクロプログラムを必要とする場面が増えすぎてたのもネックだったんじゃないか。
命令が複雑すぎてクロックを上げられなかったことが祟って碌に性能が上がらず開発中断に陥った、
ホントにネックだったのは追加されたアドレシングモードの処理の重さだろうよ
たとえば、メモリ間接アドレシングモードなんて処理が重すぎるだろ x86は20年も前から内部でμコードに変換する仕組みだし、68kシリーズが同じような
アプローチをできていればマイクロプログラムも処理が重いアドレッシングモードでも
問題なしだろう、コンパイラの出力には使われないだろうが。
モトローラが68kシリーズについてはハイエンド製品はそこそこで諦めて060で止め
ちゃったからそういうアプローチを取るまでには到らなかったってだけ。 >>102
その「20年も前」が来る前に消えたから、68kでは集積度の限界ゆえに採用できなかったんだろ
あと5年か10年ぐらい長く生き延びれたら可能だったと思うけど。
つか、そもそも040以降で、一部の重い命令を削除して例外処理ルーチンに飛んでエミュレーション実行するように変えたのも、
命令変換の亜流みたいなものと言えなくもない気はする モトローラの製品発売の年表を作ってみると
1987 68030
1988 88100
1990 68040
1991 88110
1993 PowerPC 601
1994 68060
68030か040の辺りで68kシリーズについては見切りをつけた感じ。
68060が94年に出てるがこれば開発が遅れた結果だし、x86 ISAで内部でμコードに置き換える
NexGenの製品が出たのも同年だが、モトローラは既にPowerPCに舵を切っていたので68kで
同等のアプローチの製品が出るわけはなかった。
・68k→88k→PowerPC のアーキテクチャの見直しがなく68k一本でやっていたら?
・80860やItaniumのようなアーキテクチャの見直しがあってもx86を潰さずに残したインテルのように
モトローラにも開発リソースに余裕があったら?
と「もしも」の話題は尽きないが、まあ実際そういうことができなかったが故の結果だろう。 余裕があっても、新規MPUのマイクロアーキテクチャの迷走で使い潰してたかもしれんって気はする。
PowerPCって、IBM POWERに88000の外部バスを組み合わせた程度の、モトローラ製品と呼ぶには微妙なシロモノだったよな。少なくとも初期の数モデルは。 >>104
それは産業界が学術研究の成果を反映した結果では。
性能向上にRISCが有利だって学術的に異論なく認められたのって
1980年代の半ばくらいのはず。 まだやってんのか。
最近の仕事は、機能毎に小さいマイコンをたくさん載せる方向へ移行中。
みなさん、どう?
通信処理書くのがめんどいですが、
ハード的には、通信ライン以外の配線は局所化されて、
いい感じになりますねぇ。
あと、設計変更はやりやすい。
ソフト屋的には、RX200くらいで統一させてもらいたいなー 8bitパソコンの爛熟機を思いおこさせる指向ですねえ
といってもパソコンは今も似たようなものか。
キーボード内にコントローラマイコン、USBデバイス一つ一つにコントローラマイコン…… テストが大変で…
少しプログラム変えただけで、
複数のROMが焼き直しになると、ちょっと凹みます。
同じパソコンにE1複数つないでもなんか使えないし。。
シリアル番号入れれるから、識別はできると思うんですけど、
こんな状態は私だけでしょうか。 >>108
関係ないって言ってるおまえは
日立が68lのセカンドソース作ってたこと知らんのだろな。wwww >>108
この手の話題で日電日立三菱の謹製CPUがまったく出ないことが
実にルネサスにふさわしいスレ。 >>101
>たとえば、メモリ間接アドレシングモードなんて処理が重すぎるだろ
これが68kに搭載されてなかったら
C言語にポインタが搭載されていただろうか? >>114
68000の量産チップが出るのは1980年頃。
K&R が1978年で、C言語自体はもっと前からある。 >101
モトローラを引き継いだFreescaleがColdFireを作ったのは、そのためかも
しれないな。使ったことないけど68000の命令を簡素化してある程度の
互換性はあるらしい。
>114
C言語はミニコンのPDP-11でUnixを移植するのに作られたので、その影響が強い。
i++ なんかはそのまま機械語に落とすことができる。PDP-11がその後に出た
マイクロプロセッサに与えた影響は大きいと思う。
PDP-11は、メモリマップI/Oで、レジスタもメモリ空間に割り当てられていた。
おそらくC言語でほとんどのことができたはず。 >>114
C 言語の開発は 1972 年とされている。
MC68000 の発売は 1979 年。
C がああなったのは、当時の中型コンピュータ、PDP が複雑なアドレシング・
モードをもってたからぢゃね? そして、当時のプログラミング技術では、アド
レシング・モードの選択を伴う最適化をうまく実装できなかったので、プログラ
マーが “なんとなく” 選択できるように言語仕様を決めたんぢゃね?
いまとなってはじゃまな部分もあり ミ'ω ` ミ >>114,116
それはないだろ
Cの言語仕様の元になったCPUをモデルに68kがつくられたとはいえるが、密接な関係ってことはない
>>118
当時のメモリが遅かったから、メモリのボトルネックを小さくするためにフェッチ回数削減とか命令コード長削減が重要だった、みたいな事情なのかいね?
>>117
レジスタをメモリ上に置くのは、集積度の都合もあったんだろうな
少し後の時期だと組み込み用の小型マイコン以外ではメモリマップ土レジスタはなくなっていったけど、
ポケコン用とかPICとか、アマチュアが触るようなメジャー組み込みマイコンではけっこう長く使われたよね PDP-8とか、PDP-11って、当時の製品は単独のマイクロプロセッサではなく、
主にTTLのランダムロジックで組んだボードだったのでは? ダム端末の
ADM-3Aとかだって、かろうじてUARTは載ってるけど、マイコンやCRTCなんて
積んでいない。
かなり後になって、DECがマイクロ11とかそんな名前の、PDP-11をワン
チップ化していたような記憶がある。
アクセス速度云々以前に当時のミニコンは、搭載メモリが今の32bitワン
チップCPU相当程度に少ない。それにOS載せてマルチユーザ/マルチタスク
やってたんだから。ROM/RAMあわせて64KBしかないZ80用にさえ、CP/M80の
マルチユーザ版のMP/M80Yというのがあった。
一時、物置代わりにPDP-11の19'ラックは持っていたんだが、CPUボードの
実物は見てないのだな。 ドイツではPDP-8を動体保存してるらしいよ。
ドイツ博物館ではCray-1の椅子に座れるし。 >>121
CPUモジュール部だけでも複数のICに分割されてたのは事実だが、TTLのランダムロジックで組まれてたわけじゃないんじゃないか? http://ja.wikipedia.org/wiki/PDP-8
> 最初のPDP-8機種(非公式に "Straight-8" と呼ばれている)は diode-transistor logic (DTL) を
> 採用したフリップチップ(英語版)基板で構成されており、小型冷蔵庫ほどの大きさだった。
> その後のシステム(PDP-8/I、/L、/E、/F、/M、/A)は並列実装で高速になった(元に戻った)が、
> TTLICを使用し、DTLより安価になっている。
> 1979年にリリースされた PDP-8 の最後の機種は特製のCMOSマイクロプロセッサを使用しており、
> "CMOS-8s" などと呼ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PDP-11
> 当初はTTLのICで構成されていたが、1975年にはやや大規模な集積回路を使いCPUをワンボード
> 化している。
> 1975年2月に登場した LSI-11 (PDP-11/03)[2] は大規模集積回路を使用した最初のPDP-11である。
> CPUはウェスタン・デジタル製の4個のLSIチップ(MPC-1600チップセット)で構成される。 >>124
なるほど、すまん
121の言ったとおりだったのか そういえばCRAY-1ってF100101相当の標準ロジックICだけで
ほぼすべての論理設計をしたとか言ってたな
(フェアチャイルド100KシリーズECL、5入力NOR)
同じ頃日本のメーカーは汎用機で培ったECLのLSI技術で勝負を挑もうとする
液体冷却だったCRAYに対して、単なる空冷ですんだので信頼性は圧勝だったらしい 俺はS/360のコアメモリ使ってたぞ。128KBで1tぐらいあった。
業務用のプログラム書くのに32KBとか56KBの制約があったので全部アセンブラ。 プリントする技術が発達する以前の製品なんだからそりゃしょうがないよ TVネギ「P資金うまうまwww」
PC本体「ちょっと回せよ。」
TVネギ「え?何のこと?www」
PC本体「TVの障害いっぱい出てんだよ。全部こっちに回ってくんだよ。」
TVキム「それはPCの障害でそ? うちら1部品だっしーwww」
PC本体「プラットフォーム部門腐ってやがんな。」
PF酋長「ちょ、うちらBIOSとかVGAとか細々やってる部族だし。」
PF酋長「TV関係パージするか・・・」(TV部門は別の事業本部へ)
TVキム「ユビキタス戦略とか次世代クライアントとか超かっけーwww」
PC本体「いいから障害直せよ。」
TVキム「うっせーな、今次世代なんだよ。いい所なんだよ。」
PC本体「TV内蔵モデル減らすぞ。」
TVネギ「いいっすよ。もう十分稼いだしwww」
PC本体「・・・」 電池ひとつで何年も勝手に計測する用にRL78重宝してます。 >>121
UNIXが動いたのはPDP-7、PDP-11でしょ
マイクロソフトはVersion 7を元にXENIXという8086上で動作するUNIXを売ってた
仮想記憶はVersion 7では実装されてなかったし
PDP-11は16bitミニコンでそれで動作するVersion 7が8086上で動作してもおかしくないからな
MS-DOS 2.xがUNIXの影響を強く受けてるのはこの辺が理由かも
PDP-8はDECの主力ミニコンで高価だったのでは?
ビルゲイツは高校時代に仲間たちとシアトルでTSSをサービスしてた会社で
アルバイトをしてPDP-8をいじり倒して熟知してたと帝王ビルゲイツの誕生という本に書かれてる
(土日は自由に利用できたらしい)
MS-BASICはDECのBASICの影響を受けてるという話がある 今、確認したらビルゲイツたちがいじり倒してたのはPDP-8じゃななくて、PDP-10だった
また、ポールアレンが大学時代に8008シミュレータを開発してて
それを基にして8080シミュレータを作ってビルゲイツがAltair 8800用のBASICを開発したとも
「帝王ビルゲイツの誕生」という本に書かれている
それがMS-BASICの始まり PDP-8が12bit、PDP-11が16bitのミニコン
8bitマイクロプロセッサや16bitマイクロプロセッサと
それを搭載したパソコンの出現は当時衝撃的なものだったんだな
1970年代後半に出たVAX11/780は32bitで
よくDhrystone MIPSの基準値として使われるがたったの1DMIPSで
10MHzの68000程度の性能しかなかったみたいだしな MC68Kなど幻想。幻想では虚しい人生となるだろう。
>>99のようなハンドアセンブルの為だけに直交性を求めるなど愚の骨頂。
設計者の頭の悪さではなく、ユーザーの頭の悪さも最悪だったのではないか。
32bit世代のプロセッサでハンドアセンブルはない。
1970年代当時ですら8bit向けAppleIIやマイクロソフトのソフト開発はクロス開発してる。
特にゲーム分野出身者はプレイステーションのMIPSですらアセンブラ開発
しようとしていた。彼らを知って吐き気がした。
アセンブラ至上主義者や原理主義はコンピュータ分野に限らず害でしかない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています