【Renesas】ルネサス総合 part9©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>99
誰の分析だったか、データパス長(信号線の引き回しの長さ・複雑さ)が680x0の高クロック化を妨げたとされてるね
それと、初期68000の頃と比べて追加された命令群、追加されたアドレシングモード、アラインメント境界の緩和などの影響で、
マイクロプログラムを必要とする場面が増えすぎてたのもネックだったんじゃないか。
命令が複雑すぎてクロックを上げられなかったことが祟って碌に性能が上がらず開発中断に陥った、
ホントにネックだったのは追加されたアドレシングモードの処理の重さだろうよ
たとえば、メモリ間接アドレシングモードなんて処理が重すぎるだろ x86は20年も前から内部でμコードに変換する仕組みだし、68kシリーズが同じような
アプローチをできていればマイクロプログラムも処理が重いアドレッシングモードでも
問題なしだろう、コンパイラの出力には使われないだろうが。
モトローラが68kシリーズについてはハイエンド製品はそこそこで諦めて060で止め
ちゃったからそういうアプローチを取るまでには到らなかったってだけ。 >>102
その「20年も前」が来る前に消えたから、68kでは集積度の限界ゆえに採用できなかったんだろ
あと5年か10年ぐらい長く生き延びれたら可能だったと思うけど。
つか、そもそも040以降で、一部の重い命令を削除して例外処理ルーチンに飛んでエミュレーション実行するように変えたのも、
命令変換の亜流みたいなものと言えなくもない気はする モトローラの製品発売の年表を作ってみると
1987 68030
1988 88100
1990 68040
1991 88110
1993 PowerPC 601
1994 68060
68030か040の辺りで68kシリーズについては見切りをつけた感じ。
68060が94年に出てるがこれば開発が遅れた結果だし、x86 ISAで内部でμコードに置き換える
NexGenの製品が出たのも同年だが、モトローラは既にPowerPCに舵を切っていたので68kで
同等のアプローチの製品が出るわけはなかった。
・68k→88k→PowerPC のアーキテクチャの見直しがなく68k一本でやっていたら?
・80860やItaniumのようなアーキテクチャの見直しがあってもx86を潰さずに残したインテルのように
モトローラにも開発リソースに余裕があったら?
と「もしも」の話題は尽きないが、まあ実際そういうことができなかったが故の結果だろう。 余裕があっても、新規MPUのマイクロアーキテクチャの迷走で使い潰してたかもしれんって気はする。
PowerPCって、IBM POWERに88000の外部バスを組み合わせた程度の、モトローラ製品と呼ぶには微妙なシロモノだったよな。少なくとも初期の数モデルは。 >>104
それは産業界が学術研究の成果を反映した結果では。
性能向上にRISCが有利だって学術的に異論なく認められたのって
1980年代の半ばくらいのはず。 まだやってんのか。
最近の仕事は、機能毎に小さいマイコンをたくさん載せる方向へ移行中。
みなさん、どう?
通信処理書くのがめんどいですが、
ハード的には、通信ライン以外の配線は局所化されて、
いい感じになりますねぇ。
あと、設計変更はやりやすい。
ソフト屋的には、RX200くらいで統一させてもらいたいなー 8bitパソコンの爛熟機を思いおこさせる指向ですねえ
といってもパソコンは今も似たようなものか。
キーボード内にコントローラマイコン、USBデバイス一つ一つにコントローラマイコン…… テストが大変で…
少しプログラム変えただけで、
複数のROMが焼き直しになると、ちょっと凹みます。
同じパソコンにE1複数つないでもなんか使えないし。。
シリアル番号入れれるから、識別はできると思うんですけど、
こんな状態は私だけでしょうか。 >>108
関係ないって言ってるおまえは
日立が68lのセカンドソース作ってたこと知らんのだろな。wwww >>108
この手の話題で日電日立三菱の謹製CPUがまったく出ないことが
実にルネサスにふさわしいスレ。 >>101
>たとえば、メモリ間接アドレシングモードなんて処理が重すぎるだろ
これが68kに搭載されてなかったら
C言語にポインタが搭載されていただろうか? >>114
68000の量産チップが出るのは1980年頃。
K&R が1978年で、C言語自体はもっと前からある。 >101
モトローラを引き継いだFreescaleがColdFireを作ったのは、そのためかも
しれないな。使ったことないけど68000の命令を簡素化してある程度の
互換性はあるらしい。
>114
C言語はミニコンのPDP-11でUnixを移植するのに作られたので、その影響が強い。
i++ なんかはそのまま機械語に落とすことができる。PDP-11がその後に出た
マイクロプロセッサに与えた影響は大きいと思う。
PDP-11は、メモリマップI/Oで、レジスタもメモリ空間に割り当てられていた。
おそらくC言語でほとんどのことができたはず。 >>114
C 言語の開発は 1972 年とされている。
MC68000 の発売は 1979 年。
C がああなったのは、当時の中型コンピュータ、PDP が複雑なアドレシング・
モードをもってたからぢゃね? そして、当時のプログラミング技術では、アド
レシング・モードの選択を伴う最適化をうまく実装できなかったので、プログラ
マーが “なんとなく” 選択できるように言語仕様を決めたんぢゃね?
いまとなってはじゃまな部分もあり ミ'ω ` ミ >>114,116
それはないだろ
Cの言語仕様の元になったCPUをモデルに68kがつくられたとはいえるが、密接な関係ってことはない
>>118
当時のメモリが遅かったから、メモリのボトルネックを小さくするためにフェッチ回数削減とか命令コード長削減が重要だった、みたいな事情なのかいね?
>>117
レジスタをメモリ上に置くのは、集積度の都合もあったんだろうな
少し後の時期だと組み込み用の小型マイコン以外ではメモリマップ土レジスタはなくなっていったけど、
ポケコン用とかPICとか、アマチュアが触るようなメジャー組み込みマイコンではけっこう長く使われたよね PDP-8とか、PDP-11って、当時の製品は単独のマイクロプロセッサではなく、
主にTTLのランダムロジックで組んだボードだったのでは? ダム端末の
ADM-3Aとかだって、かろうじてUARTは載ってるけど、マイコンやCRTCなんて
積んでいない。
かなり後になって、DECがマイクロ11とかそんな名前の、PDP-11をワン
チップ化していたような記憶がある。
アクセス速度云々以前に当時のミニコンは、搭載メモリが今の32bitワン
チップCPU相当程度に少ない。それにOS載せてマルチユーザ/マルチタスク
やってたんだから。ROM/RAMあわせて64KBしかないZ80用にさえ、CP/M80の
マルチユーザ版のMP/M80Yというのがあった。
一時、物置代わりにPDP-11の19'ラックは持っていたんだが、CPUボードの
実物は見てないのだな。 ドイツではPDP-8を動体保存してるらしいよ。
ドイツ博物館ではCray-1の椅子に座れるし。 >>121
CPUモジュール部だけでも複数のICに分割されてたのは事実だが、TTLのランダムロジックで組まれてたわけじゃないんじゃないか? http://ja.wikipedia.org/wiki/PDP-8
> 最初のPDP-8機種(非公式に "Straight-8" と呼ばれている)は diode-transistor logic (DTL) を
> 採用したフリップチップ(英語版)基板で構成されており、小型冷蔵庫ほどの大きさだった。
> その後のシステム(PDP-8/I、/L、/E、/F、/M、/A)は並列実装で高速になった(元に戻った)が、
> TTLICを使用し、DTLより安価になっている。
> 1979年にリリースされた PDP-8 の最後の機種は特製のCMOSマイクロプロセッサを使用しており、
> "CMOS-8s" などと呼ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PDP-11
> 当初はTTLのICで構成されていたが、1975年にはやや大規模な集積回路を使いCPUをワンボード
> 化している。
> 1975年2月に登場した LSI-11 (PDP-11/03)[2] は大規模集積回路を使用した最初のPDP-11である。
> CPUはウェスタン・デジタル製の4個のLSIチップ(MPC-1600チップセット)で構成される。 >>124
なるほど、すまん
121の言ったとおりだったのか そういえばCRAY-1ってF100101相当の標準ロジックICだけで
ほぼすべての論理設計をしたとか言ってたな
(フェアチャイルド100KシリーズECL、5入力NOR)
同じ頃日本のメーカーは汎用機で培ったECLのLSI技術で勝負を挑もうとする
液体冷却だったCRAYに対して、単なる空冷ですんだので信頼性は圧勝だったらしい 俺はS/360のコアメモリ使ってたぞ。128KBで1tぐらいあった。
業務用のプログラム書くのに32KBとか56KBの制約があったので全部アセンブラ。 プリントする技術が発達する以前の製品なんだからそりゃしょうがないよ TVネギ「P資金うまうまwww」
PC本体「ちょっと回せよ。」
TVネギ「え?何のこと?www」
PC本体「TVの障害いっぱい出てんだよ。全部こっちに回ってくんだよ。」
TVキム「それはPCの障害でそ? うちら1部品だっしーwww」
PC本体「プラットフォーム部門腐ってやがんな。」
PF酋長「ちょ、うちらBIOSとかVGAとか細々やってる部族だし。」
PF酋長「TV関係パージするか・・・」(TV部門は別の事業本部へ)
TVキム「ユビキタス戦略とか次世代クライアントとか超かっけーwww」
PC本体「いいから障害直せよ。」
TVキム「うっせーな、今次世代なんだよ。いい所なんだよ。」
PC本体「TV内蔵モデル減らすぞ。」
TVネギ「いいっすよ。もう十分稼いだしwww」
PC本体「・・・」 電池ひとつで何年も勝手に計測する用にRL78重宝してます。 >>121
UNIXが動いたのはPDP-7、PDP-11でしょ
マイクロソフトはVersion 7を元にXENIXという8086上で動作するUNIXを売ってた
仮想記憶はVersion 7では実装されてなかったし
PDP-11は16bitミニコンでそれで動作するVersion 7が8086上で動作してもおかしくないからな
MS-DOS 2.xがUNIXの影響を強く受けてるのはこの辺が理由かも
PDP-8はDECの主力ミニコンで高価だったのでは?
ビルゲイツは高校時代に仲間たちとシアトルでTSSをサービスしてた会社で
アルバイトをしてPDP-8をいじり倒して熟知してたと帝王ビルゲイツの誕生という本に書かれてる
(土日は自由に利用できたらしい)
MS-BASICはDECのBASICの影響を受けてるという話がある 今、確認したらビルゲイツたちがいじり倒してたのはPDP-8じゃななくて、PDP-10だった
また、ポールアレンが大学時代に8008シミュレータを開発してて
それを基にして8080シミュレータを作ってビルゲイツがAltair 8800用のBASICを開発したとも
「帝王ビルゲイツの誕生」という本に書かれている
それがMS-BASICの始まり PDP-8が12bit、PDP-11が16bitのミニコン
8bitマイクロプロセッサや16bitマイクロプロセッサと
それを搭載したパソコンの出現は当時衝撃的なものだったんだな
1970年代後半に出たVAX11/780は32bitで
よくDhrystone MIPSの基準値として使われるがたったの1DMIPSで
10MHzの68000程度の性能しかなかったみたいだしな MC68Kなど幻想。幻想では虚しい人生となるだろう。
>>99のようなハンドアセンブルの為だけに直交性を求めるなど愚の骨頂。
設計者の頭の悪さではなく、ユーザーの頭の悪さも最悪だったのではないか。
32bit世代のプロセッサでハンドアセンブルはない。
1970年代当時ですら8bit向けAppleIIやマイクロソフトのソフト開発はクロス開発してる。
特にゲーム分野出身者はプレイステーションのMIPSですらアセンブラ開発
しようとしていた。彼らを知って吐き気がした。
アセンブラ至上主義者や原理主義はコンピュータ分野に限らず害でしかない。 >>137
MIPS性能比では同じだがパソコンの性能とミニコンの性能は同じではない。
1MIPS程度でも磁気テープバックアップが出来てハードディスク搭載しteratermに繋がった
30台以上の端末を遅延なく同時使用出来てハードウエアレベルでホットプラグ可能で
稼動状態中でも電源落とさずにボード部品交換可能だったミニコンと
ソフトもなくフロッピーでシングルタスクのDOSしか動かないパソコンとでは大きく違いがあるのだが。
パソコンは衝撃的というよりも趣味の愛好者の期待が大きかっただろうが
ホストの人たちはパソコンは馬鹿にしていた例が多い。それが後のダウンサイジングの流れで淘汰される結果となる。
昔のホストは64KB程度のメモリであってもFPU専用回路とハードディスクは搭載していたので
仮想化も含めればパソコンと同じ性能と思ってはいけない。
パソコン分野がソフトウエア分野で遅れた原因の一つは為替の問題があるだろう。
当時米国で販売された8bit用Cコンパイラが現地価格100$(1万円)なのに国内輸入されると
4万円に跳ね上がる。輸出企業優遇しすぎた為替が原因。
結果BASICが一般化しC言語のリテラシが低下する。MC68K以前の問題。 >>142
>パソコン分野がソフトウエア分野で遅れた原因の一つは為替の問題があるだろう。
>当時米国で販売された8bit用Cコンパイラが現地価格100$(1万円)なのに国内輸入されると
>4万円に跳ね上がる。輸出企業優遇しすぎた為替が原因。
>結果BASICが一般化しC言語のリテラシが低下する。MC68K以前の問題。
パソコンは日本にしかなかったとでも言うのかな?? >>141
速度重視で設計された初期RISC CPUでも命令の直交性は高かったぞ
まあ、ハンドアセンブルでアプリ作るようなCPUじゃなかったけど。
>>142
80年代後半、16bitから32bitへの移行期ごろになればともかく、80年代前半だと1ドル200円ぐらいしたじゃん
100ドルは2万円+国内流通コスト+サポート料(マニュアル等の翻訳コストも含む)で、3〜4万ぐらいなら充分に妥当だったろ 8bitの頃はBASICなのはしょうがない
80年代初期はフロッピードライブが使えないモデルもあったからな
あとは手軽に使えたのはTurbo Pascal
1988年にはTurbo-Cが発売されてフルセットのC言語の価格破壊が起きたな
X68000ではGCCが使えたらしいけど MZ-80Kで、カセットテープで動かす実数型のHu-BASICコンパイラなんていう
ものもあったっけなぁ。
>Turbo-Cが発売されてフルセットのC言語の価格破壊が起きたな
Cマガジンの付録にLSI-Cの試食版が添付されたっけね
>X68000ではGCCが使えたらしいけど
Oh!MZ/Oh!Xのライター連中がよってたかって移植したんだっけ。 >>137
RL78/G13の32MHzで41DMIPS…
>>141
直交性が気になるのは、逆アセンブラ作った時やCPU自作しようと命令とコードを設計しようとした時だけだな。
>>146
>LSI-Cの試食版
なつかC〜w
X68Kといえば、秋月でMSM6258手に入れて、ウチの98も喋らせるぜ!と拡張ボード組んだが動かなかった思い出…
諦めて、バラしてからバスバッファ入れてないのに気付いた orz アセンブラでプログラム組むときなら分からんではないが、なぜ逆アセンブルするときに直交性が必要になるんだ?
全く意味が分からん。
LSI-C試食版はオレも入手して、ちょっとだけ使ったことがあったなあ。
Turbo-Cは、LSI-C試食版が出るより何年か古かった気がする かつて命令の直交性は重要だった。
RISCの出始めのころに、レジスタの多いRISCは変数のレジスタ塗り分けが
難しいから、コンパイラがコードを生成し難いって批判があった。
だから演算の結果をいちいちメモリに戻すCISCのほうが、コンパイラが
作りやすいから優れているって、学術論文のレベルでもそういう議論があった。 >>148
>なぜ逆アセンブルするときに直交性が必要になるんだ?
どこに必要と書いてある? 命令をデコードする処理を書く時に気になる程度の事って話だが。
Z80命令コード見て、「IX,IYもHi/Low分けてアクセス出来るんじゃね?」と思い、試してみた事
あるのは俺だけじゃない筈。 互換チップでやってみたらすんなり出来たが。
RL78は… 変態デコードだなw >>150
HLレジスタ用コードとIXやIY用コードの類似性からIX(L)とかIY(H)をオペランドにしてみるって、けっこう居たのでは?
某誌掲載プログラムにも使われたことがあった気がする
I/O命令でポート指定にCレジスタ使う場合に、Bレジスタの値もアドレスバスに出ていて、実質的にBCレジスタで指定するも同然だった件とかな。
ただ、アドレス自動カウント付きの命令で困るんだけど。(という記憶があるが、具体的な内容が思い出せない)
あと、(発案者は忘れたけど)条件分岐の相対アドレス指定型のヤツ、Jump relative JRのオペランドに-1を指定すると、
実行後のPCの値が分岐オペランドの-1のアドレスを指すことを利用して、条件付きリスタート命令(もどき)ってのも見たな
RST 38H の命令コードがFFなので。 >>153
>I/O命令でポート指定にCレジスタ使う場合に、Bレジスタの値もアドレスバスに出ていて、実質的にBCレジスタで指定するも同然だった件とかな。
Z80のマニュアルに普通に書かれてる マニュアル読んでて、その使い方はどういうときに使うんだろうって思ってた。
メモリmapped I/Oが16bitアドレスに割り当てられているときに、BCregにI/Oアドレス
入れて、Aregに出力したい値入れて OUT (BC) と書けばイイってこと? >>155
OUT (C),Aと書けばI/Oアドレス(BC)に出力されるってこと
OUT (BC),Aではない おおなるほど。納得した。実際には16bit空間に割り当てられる製品は無かったので
使うことはなかったけど。 8bit時代は簡単だったな
アセンブラやマシン語の本の最後の方にすべての命令1対1のコード表が載ってて
ハンドアセンブルも簡単にできた
割り込み関係もとっても簡単だったな
それに比べて32bitマイコンは命令セットも割り込み関係もとても複雑 あ〜ごめん、製品ってのはゼッパチや85を組み込んで動かす製品のほうでCPUのほう
のことじゃなかったの。 >>158
求められる成果物のレベルがその程度だったからだろ。
いまでも4ビットマイコンのアセンブラで仕事している人は多いんだから。 腕時計にWINDOWSが乗ってても、電源コード付きの腕時計なんて嬉しくない品 >>162
全くいないとは言わないが、4ビットマイコンの仕事をしてる人は、
もうほとんどいないと思うぞ。
製造プロセスが古くて、コストメリットがないし、メンテ性も悪いから、
余程のことがない限り、新しいデバイスに移行する。 そうだね。俺も30年前に4bit扱ったけど、同型機を15年ぐらい前に作り直した時は
8bit使って楽できた。参考にしてくださいって渡されたコードに親切な日本語コメントが
書かれていて、しばらく読んでたら自分の書いたものだったのに気がついた。 直すところはあった?
15年も経ってると、考え方変わって、書き直したくなりそう 8bitのカウンタを(4bitの)Reg2つに乗せて演算するルーチンとか、くだらない所で手間
かけてたのが無くなって良かった。クロックが1MHz未満とトロかったので、PTTボタンの
チャタを解消するコードに苦労した。<---二度取って同じならという手法はCPUのほうが
速くないと使えないので、PTT割込み処理の中で入力レベルをもう一度読んでチャタか
どうか判定するとか。 >>169
なるほど、なるほど。チャタ対策は知らない世界でした。
多倍長整数は32bitでもでますねぇ。。 安くて小さくて電力食わない石が4bitしかなかった時代ならともかく、8bitでその3条件
満たす石がいっぱい出てますからねえ。4bitにこだわる場面ってのが想像つきません。 そもそも日本のマイコンは4ビットは強くなかったしな。俺が使ってたのも量産まで行ったのは殆ど海外。
ロームとか、PCが特殊で面白かったんだけど生き残れなかった様だ。 >>172
そりゃ、新規で4bit採用は殆ど無いだろ 動作温度範囲 −40℃から85℃
これが保証値なら・・・ >>177
昔から4ビットは特殊用途だったけどな。低消費電力とかローコスト。
何れにせよ数量がかなりでないと意味が無い。最低で数万個とかのロットだから
信頼性の低いポログラムしか書けない℃素人には無理。 すごいな。こんなにいっぱい詰め込んで1.1V動作、低消費電力。
開発系はASMしかないのかな? ICEは使えるのかな? 開発ツールは自分で作れよ。
ICE よりPCエミュレータのほうが早いだろうし。 ICEは、実チップと置き換えるタイプになるんだろうね。
遊び半分でシミュレータ作ってみたり、Verilogで互換
CPU書いて、FPGAに山ほど詰め込んで並列動作させてみる
のも面白いんじゃない? 4bitマイコンの開発環境ってアセンブラしかないのね。
http://japan.renesas.com/products/mpumcu/720/4500_720/4509/soft_tools_index.jsp
ルネサスの↑はプログラムROM容量は4kワードらしいけど、
>>177のセイコーエプソンは16,384ワード×13ビットって、それなりに大きいな。 昔、NECの4ビットマイコンの講習に行ったときはCも有った。
℃素人がプログラムしなきゃいけないならCも必要だが、
大したプログラムサイズじゃ無いし、バグった時の責任問題を考えたらアセンブラが一番。 >>185
>>℃素人がプログラムしなきゃいけないならCも必要だが
いまの時代かなりの暴論だな。 >>189
Cしか出来ない奴は昔から
最 近 の の C は 良 く な っ た
とかほざくんだよな。 >℃素人がプログラムしなきゃいけないならCも必要だが
いまどきはこんなんも用意されてんだが、
http://japan.renesas.com/products/tools/coding_tools/coding_assistance/applilet_ez_pl_rl78/index.jsp
> 概要
> "Applilet EZ PL for RL78"は、プログラミング言語を用いずにパズル感覚で
> マイコン応用プログラムを簡単に作成できるソフトウェアです。
> 本ソフトウェアを利用することにより、プログラミング言語になじみが無く
> ソフトウェア開発経験が無いユーザーでも、PC上でのGUI操作でマイコン応用
> プログラムを簡単に作成できます。また、マイコンの基本的な動作の学習や
> 評価に最適です。
ある程度決まったことしかできなさそうだし、℃素人がCで変なコーディング
するよりは安全かもしれんな。 >>191
PSoC Expressの丸パクリだな。 Scratchでいいんじゃねぇの?って感じ。
>>190
Cが苦手な奴の典型的な反応ですな。 時代に取り残された骨董品のような会社
nVidiaあたりが買収してくれればいいのに こんなに業界の情勢が急変するとは誰も予想できなかった。
電機メーカを退職したオレもな。電子工学なんて行かなければよかった。 【社会】日立製作所を辞めたエンジニア、転職を激しく後悔し注目を集める「土下座してでも戻りたい」 ★2?2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1427726773/ >>197
電子工学科は昔から「暗い・重い・ダサい」の
三拍子ですよ。 たとえば自動車メーカーにしても、ルノーなんて技術者を雇わないんだよ
ゴーンになってからレース撤退に加え技術者を徹底的にリストラした
自分達で開発するのはギャンブルだしすごい開発費をかけても他社がそれを上回るのを開発したら無意味だからね
技術は開発するものではなく買う物になった
戦争で負けない方法は、最初から戦争しないことだ
それが一番合理的だし会社を存続させるには正解なのが現実だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています