https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/49977
「誰も意見しない中で、意見を言えば『できるじらー(優等生ぶっている)』と言われる」
「バイト先で、英語が喋れることが知れるといじめられるので、ひた隠しにしていた。ある日、外国人のお客様が困っていたので
つい英語で橋渡しをしてあげた。それ以後気まずい雰囲気が漂うようになって、間もなくそのバイトを辞めた」
「留学を目指して、英語の勉強に必死で取り組んでいた時期がある。すると『先生に気に入られようとしている』
『頑張っている感だしてウザい』と言われすごく傷ついた。私にとっても私の友人たちにとっても、こういう経験は日常的で珍しくない」
さらにこんな一文をレポートに書いてくる学生もいた。
「自分らしく生きろ、新しいことに挑戦しろ、と樋口先生がきれいごとを言えるのは、本土出身者だからだ。
沖縄で生まれ育った自分たちがどれだけのしがらみの中で生きているか、その立場になって考えてみたことがあるのかと言いたい」
そういう私にも数多くの経験がある。例えば、ある経済界の会合で、沖縄の教育問題を議論する場があり私が指名されたので
現場における問題を率直に語ったことがある。会場の空気が変わったその瞬間、その場にいた「重鎮」の一人が口を開き
「私も学生と接したことがあるが、どうしてどうして、素晴らしい時間でしたよ」と述べた。会場は一気に和み
「樋口の言いがかりを、重鎮がうまく収めてくれた」という雰囲気になった。
クラクションを鳴らした私は加害者になり重鎮はさらなる尊敬を集め、沖縄の教育問題は存在しないということになった。