私は今田舎に住んでいるが、オーディオマニアなので(500万円のステレオ)、都会の友人から羨ましがられる。大きな音で聴けて羨ましいと。
ネット時代になって、同好の士と簡単に知り合えるようになってからは、コアなオーディオマニアの友人達が出来、彼等は休日に我が家に遊びに来るようになった。
そして私の音を絶賛してくれるのだが、実は大きな音で聴けるのは休日のほんの数時間だけだ。
何故なら家族がいるから、平日は家人より「うるさい!」と怒鳴られてしまう。
それより、都会の友人達が話すコンサートで感動した話に加われず、ただ聞き役に徹することがもどかしい。
だが、都会より友人達を迎え、決して安くは無い料理でもてなすのは、そう言った四方山話を聞くためにある。
ここでは誰ともショスタコーヴィチの話など出来ないから。
田舎の人間が何を話しているか聞いてみるといい。パチンコと車の話だ。稀に芸能人と政治家の悪口、それで全て。
>>364に田舎のムラ社会の醜さが書かれているが、まさにその通りで田舎ではプライバシーは無いに等しい。
誰に聞いたのか、500万円のステレオというのは田舎では超絶なものらしく、見ず知らずの人が「お金を貸して欲しい」と尋ねて来たのには驚いてしまった。
ステレオに500万円というのは一般の人からすると狂気に見えるようだが、マニアではやっと中級という程度である。
生牡蠣が都会よりうまいと言うが、生牡蠣なんかより、コンサートの感動の方が遙かに価値がある。
それに、既に書かれていることだが、都会の友人達は都会でうまい生牡蠣を食べているのだ。
採れてから4時間後には都会の店の皿の上に並ぶ。どうして都会の生牡蠣がまずいなどと言えようか。
都会にも田舎にもいいところがある何て言うのは何も知らない浅薄子の言うことだ。
都会の人間は田舎のいいとこどりは出来るが、その逆は無い。
こういうことだ。田舎の良さは旅行で充分味わえるが(むしろ、定住するより旅行の方がいい)、都会の良さは旅行では味わえず、住まなければわからないと言うことである。