田舎の理屈

 先週土曜日、新宮市でトンネルの開通式がありましたので、参加してきました。
 国道168号から新宮市内に抜ける最後のトンネル。
 幅が狭く、大型車が行き来しにくい状況だったそうです。
 私も、このトンネルは延べで10数回通っていますが、そんなことを感じたりするときもありました。
 来賓の挨拶の中で、BバイC(費用対効果)の話が出ていました。
 「都会では1M一億の道路が、田舎ように陳情なしで出来ているのに、地方の道だと、BバイCが1以下はだめですとくる。
 まるで田舎を切り捨てているのと同じではないか?石油揮発油税(道路の特定財源になっていた)を多く納めていたのは、車がなくては生活できない、地方じゃないか・・・。
 私も都会に6年住んでいました。「田舎の道路はいらない・・・自然を残すことが大事なんだ・・・」同じ学部の都会の学生は口をそろえていっていたのを思い返します。
 私も、その時はそうなのかな・・・なんて思ったりもしていました。 

 田舎に住んでいても、進学し都会にいると、田舎の不便さなど忘れてしまい、そういった論調に流されてしまうように思ったりもします。(実際のマスコミもその傾向があるように思います)。
 「人口の論理」がどうしても先だってしまいます。

 私は、その都会生活から、田舎に戻ってきました。田舎の不便さや道路の必要性は実際、社会人になって痛感するんだということもわかりましたし、長になってそのことをさらに痛感しています。

 江戸の町も大阪の町も、元々は数千人の町だったと聞いています。そこから、集中投資をしたからこそ発展してきた。(だからといって、それが現在に当てはまらないこともあると思いますが・・・)故に、
 発展しないから悪いんだとか、無駄な田舎に予算を投じる必要がないといった「都会の議論」には本当に腹が立ちます。財源のないのはわかります。国の事業の進め方がいいと思わないこともあります。
 しかし、不便な所に対して、人のないところは自然と生きればいいじゃないか?とかその特性を生かしやればいいじゃないか?
 とういような、無責任な押しつけはやめてもらいたいとも思います。(自発的なら別ですが)

 少なくても、最低限のインフラ(ここの定義が難しいのですが大事)を整備した中で、色んな自治の道を選択できる環境を創る責任がある。

 そんな事を感じています。
 http://www.eonet.ne.jp/~genso/20090307.htm