0089名無しの権兵衛さん
2006/08/03(木) 22:25:47徳川幕府初期の江戸城および市中の普請、武家の制度、
風俗、世情のことなどを記した大道寺友山の落穂集ってのがある。
そこには、こう書いてある。
「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、
見當り不レ申候。若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには
犬にまさりたる物は無レ之とて、冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、
賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
今の言葉で判りやすく書くとだな・・・・
江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、
見つけ次第撃ち殺して食べたからである。
「犬が居たとすれば、『これ以上のうまい物はない』と人々に考えられ、
直ぐに食われてしまう」ような状況であったのである。