エロ本買った客のその後を想像しまう店員
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エロそうなおじさま、
はたまた買いに来た小学生?というお子様
もこみち風のイケメン。。
店員の皆様ははどう思われす?
学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。 しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。 吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。 彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。 こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。 それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度に何とかかんとか不平を鳴らしている。 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。 どこへ行っても跳ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。 いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。 吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍にいる事をつとめた。 これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。 その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上、天気のよい昼は椽側へ寝る事とした。 しかし一番心持の好いのは夜に入ってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。 この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入って一間へ寝る。 吾輩はいつでも彼等の中間に己を容いるべき余地を見出だしてどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼を醒ますが最後大変な事になる。 小供は――ことに小さい方が質がわるい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。 すると例の神経胃弱性の主人は必ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。 現にせんだってなどは物指で尻ぺたをひどく叩たたかれた。 吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。 ことに吾輩が時々同衾する小供のごときに至っては言語同断である。 自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。 しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い廻して迫害を加える。 この間もちょっと畳で爪を磨といだら細君が非常に怒ってそれから容易に座敷へ入れない。 台所の板の間で他が顫えていても一向いっこう平気なものである。 吾輩の尊敬する筋向の白君などは逢あう度毎に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。 白君は先日玉のような子猫を四疋産うまれたのである。 ところがそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。 白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅せねばならぬといわれた また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大いに憤慨している。 元来我々同族間では目刺の頭でも鰡の臍でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。 もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善いくらいのものだ。 しかるに彼等人間は毫もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪せらるるのである。 彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを奪ってすましている。 白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。 吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。 ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。 いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。 我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。 元来この主人は何といって人に勝れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。 俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝こったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。 後架の中で謡をうたって、近所で後架先生と渾名をつけられているにも関せず一向平気なもので、やはりこれは平宗盛にて候を繰返している。 この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後のちのある月の月給日に、大きな包みを提げてあわただしく帰って来た。 何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。 果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。 しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。 当人もあまり甘くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。 「どうも甘くかけないものだね。人のを見ると何でもないようだが自から筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」 「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。 昔以太利の大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。 どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」 「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。 その翌日吾輩は例のごとく椽側に出て心持善く昼寝をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後ろで何かしきりにやっている。 ふと眼が覚めて何をしているかと一分ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極め込んでいる。 吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。 しかしせっかく主人が熱心に筆を執っているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しておった。 彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩っている。 背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫に勝るとは決して思っておらん。 しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。 吾輩は波斯産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入の皮膚を有している。 かるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。 ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事は眼がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています