コミックレヴォリューションを語れ!
1987年から2005年まで、37回開催された伝説的同人誌イベント。
ベテラン同人者は言う。
Cレヴォこそがイベント・オブ・イベント、同人誌即売会黄金期に結実した
不世出の果実だった、と。
……って、本当にそうだったの?
実際に参加されてた貴兄、我々若輩者に語って聞かせて欲しい。
wikiの通り一遍の解説だけで憧れを押さえ込めるほど、俺たちは大人じゃないぜ! 主催のサカイさんと事務方ボスの工場長と現場方ボスのいっちゃんのトロイカ体制に無理があったよね >>4
工場長、別イベント立ち上げたけどダメだったな;; >>1
おっちゃん達、いま1年でいちばん忙しいからw
来月に入ってからにしてくれ、な ネットの普及・高速化と入れ替わりで終了していったイメージだな。
新しい(オンでの)フェイズを予感してたが…w >>4-5
場長は、とらのミスにつけこんでレヴォカタログの前売り卸しをやめたり、
レヴォのあとに立ち上げたイベントも感覚がズレてたし、
今にして思うと「なんだかなぁ〜」な人だったね >>10
とらがカタログの販促に表紙絵を拡大コピーして掲示したのを、
「無断使用許さん!」とブチ切れて取引停止だっけ? 場長は、中古同人誌も扱ってる(っていうか、そこから発祥の)とらに元々あまりいい感情を持っていなかったからな
つまり個人的な好き嫌いが主要因
いっちゃんがすべてを仕切れるコミ1になったら、あたり前のようにとらで前売りするようになったし >>10-12
虎のミスは口実に過ぎなかったわけだなw
Key全盛期のレヴォの
レイの間(A2・3ホール)の超混雑は今でも忘れられない。 サンシャインって天井が低いから、実際の人数以上に混雑感を感じたよな。
まあ実際の人数も多かったけど 最盛期レヴォのホール名の通称とか
・右の間:A1ホール
・左の間:A23ホール
・上の間:Bホール(本部が置かれた;全年齢向け創作や評論情報メカミリなどが配置されることが多かった)
・中の間:Cホール(ここまで活用されたのは数回→ホール前の空間に余裕がなく導線確保や混対が難しい)
・下の間:Dホール(エロ度100%;右左にくらべるとサークルも初動の一般も年齢層高め;bolze.鰻伝説発祥の地) Bホールはレヴォの中では割とまったりしてたよね。
それでも、今のサンクリの最混雑区域くらいの混雑はあったけど >>4
後は現場トップ下のにーの君と現場のズレも。
決め手は有明移転だったと思うけどな。
Cレヴォスレができたのかwww
今さら>>1乙
>>6じゃないがここで話し込むと、夏祭りヤバイwww 今週末なのだが
レヴォほどのわくわくが、オレにはもうもてない orz 財務省は1日、2013年度の2千円札の製造枚数が10年連続でゼロになると発表した。
13年度は1万円札は10・5億枚、5千円札は3・8億枚、千円札は17・2億枚が製造
される。
2千円札は00年度に7・7億枚、03年度に1・1億枚の計8・8億枚が造られたが、04
年度以降はゼロが続いている。日本銀行によると、昨年12月末時点で流通している2千円札は
1億枚にとどまっているという。 セラムン全盛期は部屋の色=キャラの色みたいなノリだったな。
カタログの紙を部屋別に変えたりとか凝ってたし。 右の間:A1、左の間:A23、上の間:B、(ほとんど使われなかった)中の間:C、下の間:D
っていう区分が一番わかりやすかった カタログのスタッフ募集のイラストが何度かヒラコーが描いてたのね。あと、さなずらの同人誌『キクコが行く総集編』(うろ覚え)にスタッフ話し漫画があったのだ。 俺のせいでサンシャイン下の公園のゴミ箱に人が飛び込んだのがいい思い出 ∧_∧
(´・ω・`) スレを保守すると気分が落ち着くね
.cく_>ycく__) "ほっ"と"しゅ"るよ
(___,,_,,___,,_) ∬
彡※※※※ミ 旦
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ ドッ!! / \ ワハハ! /
\ / \ ∞
l|||||||||||||| ∩,,∩ ∩,,∩ ∩,,∩ ミ∩ハ∩彡
(, )(,, ) ,,)( )( ) Cレヴォ時代は良く東京まで出てたなぁ
レヴォだけじゃなくて他のイベントも賑わってたし
8割赤の間に配置されてた
最近は地元のイベントしか行ってないわ >>31
普通は逆に
学生のうちは地元onlyで、
社会人になると東京のイベントしか行かなくなるんだけどな >>32
土日休めなくなっちゃったからね…
コミケはお盆だから行けるけどね 年末の方は三日目だけ行ける オフィス内に飾られた七夕の笹と短冊が美しい会社は、業績もよく賞与も高い
オフィス内に飾られた七夕の笹と短冊がいまひとつの会社は、業績もさえず賞与もたいしたことない
オフィス内に七夕の笹と短冊が飾られていない会社は、業績が悪く賞与も低くブラック企業のことが多い 主催の境さんと亡くなった元少女漫画家のあさぎり夕さんが
友人同士だったんだよね
だからCレボが始まった頃は聖闘士セイヤオンリーも同時に
開催してたし、そのチラシイラストをあさぎりさんが名前を伏せて
描いたりしていた >>2
その時代を知る人は流石にもう現役同人者にはほとんどいないかと
オレが最初に参加したのがちょうど同人でセーラームーン人気が爆発した頃だが
その頃はまだ女性向けイベントだった頃の残滓が少しはうかがえた >>41
「なかよし」で一世を風靡したあのあさぎり夕があんな同人誌を!
当時はそれなりにショックだったな、なかよし毎月買ってたし 境さんって今どうしてるんだろうな
赤豚の亡くなった前社長よりは若いだろうけど
レヴォが男性向けを受け入れていたから
レヴォイコール男性向けイベントの側面が強くなって
自分の手を離れてしまった感じだったんだろうし レヴォのカタログ、まだ持っている
表紙が七尾とみつみ、ビッグサイト開催の村様
サークル参加ワッペンも >>42
ほぼ同期。その頃はレヴォは女性向が強いと聞いてはいたし実際そうだった
その頃はシティも男女の比率がまだ4:6から3:7くらいとバランスが取れてたが
その後、シティが千葉でやらかしたことで男性系サークルがシティを見限ると
その余波を被る形でレヴォが男性向に乗っ取られていったように思う
結果的にシティが女性向、レヴォが男性向、という住み分けになった印象
シティはそのまま現在も続いてるが、レヴォは知らん間に消滅していたw 「同人誌ハンドブック」(阿島俊編,久保書店)で Cレヴォが男性向が多い理由として
「とある三つのサークルが個人的なイタズラを、八九年、C・レヴォ六で行なった。
イタズラといっても自ら原野商法と称したくらいだからほとんどサギのようなものだったが…
その後もイタズラを目的として参加し、たまたまそのうちの二サークルが男性に人気の高い
サークルでまともに同人誌の販売も行なったので、自然と男性の一般参加者が増え……」
と記されていたのだが,この「原野商法」的なサギ?を行ったサークルってどこなのか知りません?