>>528
もしあらゆる種類の「迷惑」の中に、かけても仕方がないものと許されないものの区別が存在するのであれば、それはただ単にある特定の社会文化に規定された基準に依る区別であるに過ぎないのだ。
カントによれば道徳性の根本理念はア・プリオリだとされているが、現在の哲学者たちの間ではその意見は概ね否定されている。
むしろフロイトの言うように、倫理道徳というものは、それぞれの社会文化や時代ごとに全く違うし、どれが正しいというわけでもない、という見方のほうが真実であるし、また俺自身もその考え方に賛同する。
さらにまたフロイトは、当時の西欧文化における道徳性により人間の本来的な性欲動が抑圧され、結果として神経症を生じる原因ともなる、と指摘している。
そうなのである、どんな文化社会による道徳性であれ、それが恣意的で人工的な理念である以上、かならずどこかに弊害が現れうるのだ。
それが例えば現代日本文化であっても同様である。