ジョンレノンとポールマッカートニーのどちらが偉いのか永遠に議論するスレ
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ビートルズのリーダーはポール・マッカートニー
ジョン・レノンはポールに引っ張ってもらったいちメンバー
終わり >>5
ビートルズはジョンによるバンド結成が起源
1957年 ジョンによる「The Blackjacks」の結成に始まって
1957年3月「Quarry Men」
1959年10月「Johnny and The Moondogs」
1960年1月「Beatals」
1960年5月「Long John and the Silver Beetles」、「Silver Beetles」
1960年8月「Beatles」
1961年1月「The Beatles」
ビートルズがレコードデビューする前はジョンがバンドのリーダーで
レコードデビューしてからはビートルズはバンドのリーダーを設定していない。
「Long John」というのはジョンの芸名です。
「Johnny」はジョンです。 >>6
ビートルズになる前のアマチュアバンドのお山の大将の話なんか誰も聞いていない
ビートルズはポール・マッカートニーか入ってからポール・マッカートニーが代表曲を書いてポール・マッカートニーが引っ張ったポール・マッカートニーがリーダーのバンドな >>6
ビートルズの解散はジョン・レノンが脱退した1969年9月20日かきっかけなんだよな
こんな勝手なアホの、なにがリーダーだっていうねw >>8
違う。
ジョンが脱退したのは1975年1月9日に交わした協定によってメンバー全員が
脱退してバンドが解散したとき。
騒動の発端は1970年4月10日付けDaily Mirror誌のポールの脱退宣言
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg
同年 12月 31日にロンドン高裁に提訴したのはポールで前述の1975年1月9日の解散は
ロンドン高裁の判決で確定したこと。 >>9
違う
音楽誌上では長年、“ビートルズ専門家たちが「誰がビートルズを解散させたか?」という議論を続けている。ヨー コに罪をなすりつけるケースが多いが、リンダやポールも責任者として糾弾されることがある。しかし、ビートルズを 崩壊させたのはジョンであり、彼自身がそれを認めた発言も度々活字化されている。自伝的エッセイ『ザ・バラッド・オブ・ジョン・アンド・ヨーコ』にジョンはこう記している。
株式仲買人たちの住む地区から飛び出す勇気だけではなくヨーコは僕のもう一方の婚姻関係をもじっくりと見直 す力を与えてくれた。僕の本当の結婚相手。それはビートルズであり、それは僕の私生活よりも息苦しい結婚生活と言えた。 度々考えていたことではあったが、もっと早く関係を終わらせるガッツが僕にはなかったのだ。・・・・・・バンドを始めた僕がバンドを解散させた。要はこれほど簡単なことだったのだ」
彼が勇気を出して、三人に離婚をしたいと話したとき、「リンゴやジョージが脱退を言い出したときとは違って、これ は本気だと彼らは分かっていた」とジョンは書いている。
ポールもジョージもジョン・レノン自身もジョン・レノンの脱退によってビートルズは崩壊したことを認めている ビートルズの解散問題(Wikipedia)の
『ジョン・レノンの脱退宣言』の項目にもちゃんと記されているな >>11
Wikipediaに投稿されている「ジョン・レノンの脱退宣言」は誤記
ビートルズからの脱退を宣言したのは
1970年4月10日付けDaily Mirror誌で報じられたポールの脱退宣言が最初
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg >>12
1970年1月3日アイ・ミー・マインのレコーディングで
テイク15の前に、ハリスンは同時期にデイヴ・ディー・グループを脱退したデイヴ・ディーをレノンに引っ掛けて、以下のような冗談を言った[42][41]。
You all will have read that Dave Dee is no longer with us. But Mickey and Tich and I would just like to carry on the good work that's always gone down in number two.[41]
(みなさまはすでにお聞きのことと思いますが、デイヴ・ディーが私たちの元を去りました。しかしながらミッキーとティック、そして私は、これまで優秀ながら2番手と見なされてきた仕事を今後も粛々と続ける所存であります。) >>13
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したなんてどこにも書かれていない。
ビートルズからの脱退を宣言したのはポールで、これがそのときの報道です。
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg >>15
ビートルズの元を離れたと言っている
脱退したとWikipediaにもはっきり明記されてある
このレコーディングはポール、ジョージ、リンゴが参加
この時点でジョン・レノンは脱退している
ジョン、ビートルズ脱退をポールとリンゴに告げる
69年9月20日、 ジョージを除く3人とアラン・クラインが一堂に会したキャピトル・レコード との新たな契約に関する会議がアップルのオフィスで開かれた。 その時に、 ライヴ活動再開を呼 びかけたポールに対し、 ジョンはこう返した――「頭がおかしいんじゃないか?」 「キャピトル の契約書にサインするまでは何も言わないつもりだったけど、俺はグループを抜けさせてもらう ぜ」。リンゴが入院中の9月上旬にはバンド存続への意欲を見せていたジョンのいきなりの脱退 宣言だった。 だが、 ビートルズの契約を有利に進めるためにというクラインの助言をジョンは受 け入れ、脱退は半年ほど公にはならなかった。
https://books.google.co.jp/books?id=gipREAAAQBAJ&pg=PT255&lpg=PT255&dq=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3+%E8%84%B1%E9%80%80%E5%AE%A3%E8%A8%80+%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4&source=bl&ots=jPNTxQXMdf&sig=ACfU3U06DS9hV7lZ6qcY3ul6TGdWeJIChA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwj93LPdwND5AhVDUPUHHRFnBBkQ6AF6BAgoEAI#v=onepage&q=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%20%E8%84%B1%E9%80%80%E5%AE%A3%E8%A8%80%20%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4&f=false >>16
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したなんてどこにも書かれていませんけど >>17
脱退という文字が読めないなら眼科か精神科に行ったほうがいいんじゃないか?
タイトルにも「ジョン、ビートルズ脱退」とあるのに
脱退はジョン・レノン自身も公言している事実 >>18
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したなんてどこにも書かれていません。
最後に「脱退は半年ほど公にはならなかった。」と書かれています。
その半年後がこの報道で、ポールによる脱退の宣言です。
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg >>19
脱退したと書かれている
公にならなかったのは当時のマネージャーであるアランクラインが止めていたから
脱退した事実はあったということでしかない
ポール・マッカートニー、ジョン・レノンがビートルズを脱退したと主張するが、目撃者によって裏付けられる-「彼(ジョン)はもう十分だった」
ビートルズの現役時代に唯一の公認伝記を執筆したハンター・デイヴィスが、ポールの主張を支持しました。
ジョンが脱退すると言ったとき、ポールは「取り乱していた」とし、マッカは「ビートルズに関係するすべてのことをまだ愛していた。アルバムを作ることを愛し、書くことを愛し、演奏することを愛していた。」
デイヴィスは、ポールが彼にこう言ったのを覚えている。
「ビートルズが解散したとき、私は崖っぷちに立たされているように感じました。」
「ビートルズが解散したとき、僕は落ち込んだよ。裁判のせいで、当時はみんな変な感じだったと思うよ。」
「ジョンに電話すると、彼は "俺を困らせるな "と言うんだ。ジョージに電話すると、彼は "Effing "や "Blinding "と言って、まったくハレ・クリシュナではないことを言ってきたよ」。
第三者もジョン・レノンの脱退を認めているな >>20
的外れ。
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したなんてどこにも書かれていません。 >>21
書かれている
ジョン・レノン自身も自分が脱退してビートルズを終わらせたと公言している
お前は何の根拠も出せずデマだゴシップだ誤記だと喚いてるだけ ジョンの方もほぼ脊髄反射的に快諾し、翌日には当座寄せ集めたプラスティック・オノ・バンドを率いてカナダに飛んで、同夜のうちにもう舞台に立ち、そしてそこで唐突にビートルズを辞めることを決意した。
戻ってきた彼はメンバーに向け、自分はもうバンドを去ることにしたと告げた。彼らはこれを極秘扱いとすることにも同意した。ちょうどマネージャーのかの悪名高きアラン・クラインが、バンドにもっと有利になるぞと嘯きながら新たな契約条件を調整している最中でもあったし、そうでなくてもジョージとリンゴは二人とも、一度辞めると宣言してから戻ってきた過去があったからである。
その後にも残務整理めいた仕事が幾つか続いた。まず「サムシング」のミュージックビデオが制作されたのだが、ここではバンドメンバーが、誰にせよほかのメンバーと一緒に映るようなことも一切なかった。それからファンクラブ用のクリスマスレコードも作られたが、個々が自分の分の素材を別々に送るような形だった。『レット・イット・ビー』用の最後の追加セッションは、ジョン不在のまま実施された。『アビイ・ロード』は様々な意味で、バンドが一緒になって目指してきたことの一つの到達点だった。しかし1969年10月1日に同作が店頭に並ぶ頃には、もうビートルズはすでに実質的に消滅していたのである。
2011年のローリングストーン誌ビートルズ特集号より >>22
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したなんてどこにも書かれていません。 >>24
書かれてある。
ビートルズメンバーもジョン・レノン自身も認めている事実。
ジョン・レノンは1969年9月20日にビートルズを脱退した。 >>25
的外れ。
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したなんてどこにも書かれていません。
―― >>26
的外れはお前
書かれてある。
ジョン・レノンはプレイボーイのヤン・ウェナーのインタビュー(レノン・リメンバー)の引用で
「So I said, ‘The group’s over, I’m leaving」
って書いてある
脱退どころか解散にも言及してる >>27
しつこい。
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したなんてどこにも書かれていないし、
そもそもそのような事実は無い。
1970年4月10日付けDaily Mirror誌で報じられたとおり
ポールがビートルズからの脱退を宣言している。
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg
ジョンがビートルズからの脱退を宣言したというのはデタラメ >>28
ジョン・レノン自身の発言もあるからお前が間違い
ポールのは脱退宣言ではなくて、「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」と発言し、マスコミから「脱退宣言」だと受け取られただけ
その前にジョン・レノンが脱退してる
ビートルズ解散のきっかけはジョン・レノン!?ポールが激白「残された僕たちは後始末を」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/10/13/kiji/20211013s00041000033000c.html >>29
ジョンがバンドからの脱退を宣言した事実など無い。
騒動の発端は1970年4月10日付けDaily Mirror誌による
ポールの脱退宣言であり、コレは広く知られていること。
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg
同年 12月 31日にロンドン高裁に提訴したのはポールで1975年1月9日の解散は
この提訴がロンドン高裁の判決で確定したことによるもの。
BBCラジオ4でのインタビューでも「ジョンがバンドからの脱退を宣言した」
なんてポールは言っていない。 >>30
ポールはジョンが脱退したと言っている。
ジョン・レノンも自分が脱退して終わらせたと発言している。
ソロのキャリアに行くという判断についてポール・マッカートニーは次のように語っている。「ちょっと待って。自分が解散を引き起こした人物ではないんだ。違うんだよ。ある日、ジョン(・レノン)が部屋に入ってきて、『ザ・ビートルズを脱退するつもりなんだ』と言ったんだ。これが解散を引き起こしたのかな? それとも違うのかな?」
ポール・マッカートニーはザ・ビートルズの解散を引き起こした人物をめぐる混乱について当時のバンドのマネージャーだったアラン・クラインがいくつかの契約を終わらせたにもかかわらず、秘密にしておくように言ったことが原因だと説明している。
「数ヶ月にわたって隠していなければならなかったんだ」とポール・マッカートニーはジョン・ウィルソンに語っている。「変な感じだったんだよ。僕らはザ・ビートルズの終わりを知っていたのに別れることができなかったんだ」最終的に秘密にしていることを不満に思っていたポール・マッカートニーは「隠しておくのにうんざり」して「秘密を漏らしてしまった」という。
ジョン脱退によって実質解散状態だったという隠されていた事実を公にしただけですね そもそもポールがDaily Mirror誌でビートルズからの脱退を宣言、というのがおかしい
ポールは『McCartney』のプレス用の見本盤に自分でまとめた質疑応答形式の資料を添付した
その内容をすっぱ抜いたのがDaily Mirror 誌 >>31
ジョンがバンドからの脱退を宣言した事実など無い。 >>32
おかしくない。
Daily MirrorのライターであるDon Shortとは旧知の仲で
ネタを渡し、そのまま1970年4月10日付けDaily Mirror誌の
スクープ記事になったのがコレ
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg
ポールはDon ShortやDaily Mirror誌に記事の撤回や訂正記事の掲載を
求めるどころか同年 12月 31日にロンドン高裁に他のメンバー3名を提訴し、
ビートルズの解散は裁判になっている。 >>34
だからドン氏と旧知の仲であろうとなかろうと
ドン氏がポールから直接記事にしてくれと頼まれたわけじゃないんだよ
おまえ事実をすべて自分の都合の良いように捻じ曲げて捉えている >>33
ジョン・レノン自身が認めている事実だ
1969年9月20日にメンバーとマネージャーの前で宣言して脱退している
正史を否定したいなら根拠を出して反論してみろ >>34
その前にジョン・レノンが脱退している
ポールは脱退したのではなく、すでに崩壊している事実を述べただけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています