その後、1970年4月10日にデイリー・ミラーに掲載されたインタビューで「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」と発言し、マスコミから「脱退宣言」だと受け取られた。こうして実質的にビートルズは解散した[36][37]。

マッカートニーは1971年2月18日、ロンドン高等裁判所にビートルズのパートナーシップ解消を求める訴えを起こす。この訴えはクレインの活動を封じることが目的であった。上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、すでに解散状態のバンドのメンバーの収入も、アップル設立時の「4人の収入は全てアップルに管理され、平等に分配される」という契約に縛られていた。4人がビートルズとしての活動以外で得た収入もクレイン(アブコ)が管理するアップルに支払われていた。クレインは用途不明の手数料をアップルに要求し続け、メンバーが稼いだ収益を吸い取っていた。この状況ではビートルズの財産が全てクレインに握られてしまうため、契約を法的に無効にするため、マッカートニーは裁判に持ち込んだ。


上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、