wikiより
ジョン・レノンの脱退宣言
1969年9月20日、ビートルズの4人と当時のマネージャーであるアラン・クレインは、
米国キャピトル・レコードとの契約更新の手続きのためアップル本社で会合を持った。
その席上において、レノンとマッカートニーはバンドの今後を巡って口論になり
(マッカートニーの自伝「Many Years From Now」における記述によると、
マッカートニーはライブ活動の再開を望み、小さなクラブでのギグをやろうと提案したが、
レノンはこれに猛反発したらしい)、挙句の果てにレノンはマッカートニーに向かって
「“契約書にサインするまでは黙ってろ”と言われたんだけど、君がそう言うんなら教えてやるよ。
俺はもうビートルズを辞めることにした」と吐き捨てた。
しかし契約更改するまでは脱退を許さないとクレインに説得され、レノンの脱退宣言はこの時点では
契約上では却下されたが、レノンはこれ以降ビートルズとしてスタジオに戻ることはなかった。

1970年1月3日テイク15の前に、ハリスンは同時期にデイヴ・ディー・グループを脱退したデイヴ・ディーをレノンに引っ掛けて、以下のような冗談を言った[42][41]。
「みなさまはすでにお聞きのことと思いますが、デイヴ・ディー(ジョン)が私たちの元を去りました。しかしながらミッキー(ポール)とティック(リンゴ)、そして私は、これまで優秀ながら2番手と見なされてきた仕事を今後も粛々と続ける所存であります。」