【THE BEATLES】LET IT BE 50周年Get Back【7/13BD発売】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
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ザ・ビートルズ、最後のオリジナル・アルバム 『レット・イット・ビー』がスペシャル・エディションで発売!
2021年10月15日 全世界同時発売
https://sp.universal-music.co.jp/beatles/
『レット・イット・ビー』収録曲のニュー・ステレオ・ミックス及び5.1サラウンド・ミックス、ドルビー・アトモス・ミックスに加え、
レコーディング・セッションの過程で残されたアウトテイク、リハーサル・テイク、スタジオ・ジャム等の未発表音源、
1969年にグリン・ジョンズによって制作された未発表の『ゲット・バックLP』ミックスも収録。
スレ立てする時に必ず次のコマンドを1行目に入れて下さい
↓
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>793
バンド内部の口論ゴシップなんて腐るほどあるし、真否は不明。
明らかになっているのは
1970年4月10日付けDaily Mirror誌でポールがビートルズの脱退を宣言し
ポールが同年 12月 31日にロンドン高裁に提訴したこと。
ようするに先にバンドを脱退したのはポールだということ。 >>792
ジョージがどんな発言をしようがジョンが1969年11月26日にアビイロードスタジオで
・「You Know My Name (Look Up The Number)」
・「What's The New Mary Jane」(「The Beatles Anthology 3」に収録)
の2曲をオーバーダブとステレオリミックスを行ったという事実は否定しようが無い。
いずれの楽曲もジョンのボーカルが明確に聴き取れる。 ID:3uAppO5j0は呆れるほどものを知らない
wikiのWhat's The New Mary Janeの項目より
アルバム『ザ・ビートルズ
(ホワイト・アルバム)』発売後も、レノンは本作の発売を計画していた。
1969年後期、レノンは同年に結成したプラスティック・オノ・バンドの3枚目のシングルとして
「ユー・ノウ・マイ・ネーム」を発売し、そのB面に本作を収録することを計画。
シングルには「Apple
1002」というカタログ番号が割り当てられ、イギリスで1969年12月5日に発売が予定されたが、
発売日直前に取りやめとなった。 >>802
間違い。
「You Know My Name (Look Up The Number)」は1969年11月26日に
ジョンがAbbey Road Studiosでオーバーダブとステレオリミックス
を行っており、「1969年4月に行なわれたセッションで完成した」
という記述は間違い。
1970年3月のシングル「Let It Be」のB面としてリリースされている。 デイリー・ミラーで脱退宣言なんてしていない
記者会見風のQ&Aをマスコミ各社に配布したら
解禁日破ってに勝手にスクープにしたのがデイリー・ミラー
トロント前に俺は辞めると記者にリークして
記事にして貰えなかったジョンとは大違い >>799
している
いろんな文献に載っているし
ポールもジョージも証言してる
デマと言ってるのはお前だけ >>800
ポールがジョン・レノンが脱退して解散に至ったと証言している
最後のレコーディングでのジョージの発言も残されている
メンバーだけでなく、色んな関係者の証言からもジョンが先に脱退していたのは明らか >>801
それはビートルズの現場ではなく、ジョンのソロプロジェクトとして現場に行っている
レコーディングスタジオは同じだから
結果的にビートルズとして発表されただけ
その時点でジョン・レノンはビートルズを脱退している >>809
喚き散らしてもデマ言ってるのはお前だけ
お前はジョン以外のビートルズメンバーを侮辱しているだけ
ポールもジョージも証言していることはお前の発狂して喚いてるものとは真逆のこと >>804
ただのジョン狂
ビートルズファンでもなんでもないキチガイだよ >>814
ポールもジョージもあらゆる関係者もジョンの脱退宣言を聞いている
Wikipediaにかいてあることがゴシップだというなら書き直してもらえよキチガイ Q: "Is this album a rest away from the Beatles or the start of a
solo career?"
PAUL: "Time will tell. Being a solo album means it's 'the start of
a solo career...' and not being done with the Beatles means
it's just a rest. So it's both."
Q: "Do you foresee a time when Lennon-McCartney becomes an active
songwriting partnership again?"
PAUL: "No."
ポールはビートルズとしての活動、ジョンとのパートナーシップの解消を
Daily Mirror 誌を通じて公言している。 ジョンがマスコミを通じてビートルズから脱退宣言した事実はありません。 wikiより
ジョン・レノンの脱退宣言
1969年9月20日、ビートルズの4人と当時のマネージャーであるアラン・クレインは、
米国キャピトル・レコードとの契約更新の手続きのためアップル本社で会合を持った。
その席上において、レノンとマッカートニーはバンドの今後を巡って口論になり
(マッカートニーの自伝「Many Years From Now」における記述によると、
マッカートニーはライブ活動の再開を望み、小さなクラブでのギグをやろうと提案したが、
レノンはこれに猛反発したらしい)、挙句の果てにレノンはマッカートニーに向かって
「“契約書にサインするまでは黙ってろ”と言われたんだけど、君がそう言うんなら教えてやるよ。
俺はもうビートルズを辞めることにした」と吐き捨てた。
しかし契約更改するまでは脱退を許さないとクレインに説得され、レノンの脱退宣言はこの時点では
契約上では却下されたが、レノンはこれ以降ビートルズとしてスタジオに戻ることはなかった。
1970年1月3日テイク15の前に、ハリスンは同時期にデイヴ・ディー・グループを脱退したデイヴ・ディーをレノンに引っ掛けて、以下のような冗談を言った[42][41]。
「みなさまはすでにお聞きのことと思いますが、デイヴ・ディー(ジョン)が私たちの元を去りました。しかしながらミッキー(ポール)とティック(リンゴ)、そして私は、これまで優秀ながら2番手と見なされてきた仕事を今後も粛々と続ける所存であります。」 ビートルズ解散の責任はジョン・レノンにある、ポールが告白
マッカートニーによると、レノンはバンドを離れることを「スリリング」で「離婚に似ている」と表現し、残りのメンバーは「後始末をする」ことになったという。
ビートルズの解散は、「私の人生の中で最も困難な時期」だったと語るマッカートニーは、一部のファンから、メンバーの意見の相違に弁護士を介入させて4人の関係を悪化させたと非難され、バンドの崩壊の責任を負わされることに苦悩していたと語っている。
マッカートニーが、バンドのマネージャーであるアレン・クラインがグループの財務を管理することを阻止するために、他のメンバーを訴えたことは有名だが、その時にはすでにレノンは他のメンバーに脱退を告げていたとマッカートニーは語っている。 先にビートルズを脱退していたのはジョン・レノンだったようですね
ポールは事実を告げただけ その後、1970年4月10日にデイリー・ミラーに掲載されたインタビューで「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」と発言し、マスコミから「脱退宣言」だと受け取られた。こうして実質的にビートルズは解散した[36][37]。
マッカートニーは1971年2月18日、ロンドン高等裁判所にビートルズのパートナーシップ解消を求める訴えを起こす。この訴えはクレインの活動を封じることが目的であった。上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、すでに解散状態のバンドのメンバーの収入も、アップル設立時の「4人の収入は全てアップルに管理され、平等に分配される」という契約に縛られていた。4人がビートルズとしての活動以外で得た収入もクレイン(アブコ)が管理するアップルに支払われていた。クレインは用途不明の手数料をアップルに要求し続け、メンバーが稼いだ収益を吸い取っていた。この状況ではビートルズの財産が全てクレインに握られてしまうため、契約を法的に無効にするため、マッカートニーは裁判に持ち込んだ。
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、 >>823
ジョンがマスコミを通じてビートルズ脱退を宣言した事実はありません。 >>824
ジョン・レノンがビートルズを脱退していたのは明らかになっていますが >>825
1970年4月10日付けDaily Mirror誌でポールが脱退を宣言している。
ジョンは脱退を宣言していない。 ID:3uAppO5j0はポールがDaily Mirror 誌に脱退宣言を取材させたように思いこんでいるらしいがそれは違う
ポールは『McCartney』のプレス用の見本盤に自分でまとめた質疑応答形式の資料を添付した
その内容をすっぱ抜いたのがDaily Mirror 誌 >>817
DMとポールが一問一答したとでも思ってるの?
ソロアルバム発表の記者会見をしないかわりに
Q&A風のペーパーをポール個人でなくアップルの
広報が会社としてマスコミ各社に送った
DMだけが指定解禁時間守らず記事にしただけ >>827
1969年9月20日にジョン・レノンが脱退を宣言している
ポール達はマネージャーにジョンが脱退した事実を口止めされていた ポールは「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」という現状を示しただけ
そのずっと前にジョン・レノンが脱退しているんだから
ポールが脱退したことによってビートルズが崩壊したなんてことを未だに言っているのは70年代のまま情報が止まった年寄りだけ >>828
すっぱ抜くもクソも無い。
アルバム「McCartney」の発売を控えてその質疑応答文書を
配信した先は Don Short で同氏は Daily Mirror 誌のライター
ようするにアルバムを宣伝してもらうことを目的としたポールの
行為であって、脱退宣言を報じさせた張本人はポールだということ。 >>832
ポールは脱退宣言をしたのではなく「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」という現状を示しただけ
そのずっと前にジョン・レノンが脱退している
アランクラインに口止めされていた事実を示しただけ
ポールが脱退したことによってビートルズが崩壊したなんてことを未だに言っているのは70年代のまま情報が止まった年寄りだけ 脱退をしたのはジョン・レノン
ポールもジョージもリンゴも最後までビートルズだった ジョン狂の年寄りは自分に都合の悪い事実はゴシップだデタラメだと喚くだけだからなw >>802
「ユー・ノウ・マイ・ネーム」を自分のソロとして出そうと画策していたってすごいな
思いっきりポールのボーカルパートも入ってるのに
本当に自分勝手なんだなジョン・レノンは >>836
「You Know My Name (Look Up The Number)」はビートルズの曲として
リリースしているので「自分勝手なんだな」なんて言いがかりでしょ。 >>833
> ポールは脱退宣言をしたのではなく「今後ビートルズのメンバーと創作
> 活動をすることはない」という現状を示しただけ
「今後は~」と「現状を示した」は一つの文章として矛盾している。
Do you foresee a time when Lennon-McCartney becomes an active
songwriting partnership again?
この質問に対してポールの回答は「No!」 1970年4月10日付けDaily Mirror誌のポールの脱退宣言が解散騒動の
発端で同年 12月 31日にロンドン高裁に提訴したのはポール
ビートルズの解散はメンバー全員が協定を交わした1975年1月9日で
ジョンはそれまでビートルズから脱退していない。 ビートルズ解散の協定書にサインするジョージとポール
The Beatles are Breaking up!
https://youtu.be/GFZf-wulftI >>840
占い師に日が悪いと言われ当日ドタキャンしたジョン >>837
結果的にビートルズの曲として発売されただけ
ジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンドのシングルとして発売するように手配したのは明らかになってる >>838
反論になっていない
実際にジョン・レノンは脱退していてビートルズとしての活動は不可能な状態だった
アレン・クラインから解散を秘密にしておくように指示されていただけの現状
その状態を明らかにしただけ >>839
脱退している
ポールもジョージもマネージャーも全て証言していてウイキペディアにも書かれてある
たはだやみくもにデマデマ言ってるだけのお前はキチガイ >>840
法的に解散が認められただけ
バンドはそれ以前に解散状態
ジョン・レノンの脱退が解散の引き金だったとはポール始め、関係者、ビートルズファンの常識 ジョン・レノン
「私は、トロントに行く前からもう決心していたから、アラン(クライン)にビートルズを脱退すると言った。エリック・クラプトンとクラウスにも脱退するつもりだと話した。その時は、多分、彼らをグループとして使おうと考えていたんだ。永続的な新しいグループを作るのか、何をするのか、それをどうやってやるのかなんて何も決めていなかった。そして、しばらくすると「くそったれ。誰であろうと一緒にやるなんてごめんだ。」と思った。それで、トロントに行く途中で、自分自身にもそして周囲の人たちに思っていることを打ち明けた。飛行機に同乗したアランに言ったんだ、「終わりだ。」って。」 >>845
「解散状態」なんて極めて曖昧な状態であってビートルズというバンドは
存在している。
バンドの「解散」が確定したのは1975年1月9日 >>846
ビートルズ解散は1970年4月10日付けDaily Mirror誌で
ポールが脱退宣言したのが発端 >>846
法的なビートルズ解散は1970年12月 31日にポールがロンドン高裁に提訴したことが発端
この解決はメンバー全員が協定を交わした1975年1月9日 >>848
それを言い出したら付けDaily Mirror誌のポールの発言も脱退とはならない
ポールが訴訟を起こしたから法的に解散と認められただけ
ほとんどのバンドは自然消滅であって存在しているしていないなんて言葉で濁すな
実質的にポールより前にジョン・レノンははっきりと脱退すると言ったし、アランクラインもポールもジョージもそれを認めている
脱退し、解散の引き金になったのはジョン・レノンの脱退 レコーディングもしない、コンサートもしない、新譜も出ない、こんな状態でバンドが存在しているというのは無理だろう >>849
ビートルズの解散は1969年9月20日のジョン・レノンの脱退が発端 >>850
曖昧な状態をポールがはっきりとさせただけ
ジョン・レノンはそれ以前に脱退していいる ジョン・レノンがビートルズを去ったのはジョージも発言している
ポールもビートルズ解散はジョン・レノンがきっかけと言っている
ジョン・レノンも自分がビートルズを終わらせた脱退のにと言っている
ビートルズメンバーの意に反しているジョン狂はビートルズを侮辱しているだけだな >>854-855
ビートルズ解散は1970年4月10日付けDaily Mirror誌で
ポールが脱退宣言したのが発端
それまでにジョンが脱退宣言した事実は無い。
無いものは無い。
嘘を投稿するな。 だから公式に発表しなかっただけで
他のメンバーにもクレインにも脱退を告げている >>857
真偽の確かめようが無い騒動のゴシップなんてどうでもいいこと。
アップルコアの資金運用でバンドともめていたAllen Klein
に関連することなんてそれこそ情報として怪しい。
1969年 8月のセッションを最後にジョンがビートルズの活動をしていない
なんて明らかなデマ
(ってか初期以外はジョンは活躍していないとかとんでもないデマ)
Allen Klein にからむゴシップに反してビートルズのメンバーはポールが
脱退宣言する直前までスタジオで作業しており、アルバム「Let It Be」
の制作を開始した 1970年 3月以降はプロデュースを依頼した Phil Spector
とポール以外のメンバーが繰り返しオーバーダブやリミックスに立ち会っている。
広く知られている「The Long And Winding Road」のオーケストレーション
でのポールとの衝突だが3人と距離を置いていたポールによる失態です。
アルバム「Let It Be」の完成に合わせて前述のDaily Mirror誌でのポール
の脱退宣言があったわけでこれでポールと3人の亀裂が修復不可能になった。 >>856
ポールもジョージもアランクラインもウイキペディアも事実だと証明している
お前が信じたくないからといってデマデマと叫んでも事実は覆らないぞキチガイ >>858
全部否定反論されている
同じこと喚き繰り返してもジョンの脱退が引き金だった事実は変わらない
ジョン自身が自分が先に脱退したと言っている
結局ポール憎悪に行き着くのがジョンオタ
だなら誰にも賛同されない
ビートルズメンバーの発言証言を否定したいならアンチスレで発狂しとけ ビートルズの解散はジョンよ脱退がきっかけ
もはや周知の事実です
ジョン狂以外には そもそも先に脱退してレコーディングにも参加しなかったジョンが外部プロデューサーに勝手に・セッションテープを全部渡したのが間違い
それでポールとマーティンを怒らした
詐欺師をアップル役員にしたのもジョン
迷惑しか書けていない >>859-862
ビートルズ解散は1970年4月10日付けDaily Mirror誌で
ポールが脱退宣言したのが発端
それまでにジョンが脱退宣言した事実は無い。
無いものは無い。
嘘を投稿するな。 >>864
驚きのスクープネタを受け取ったときの心情が読み取れますけど
Now, on that fateful evening in April 1970, I had to bring the
curtain down on what had been an historical decade.
It wasn’ t the story I wanted to write ? the -meltdown of the
Beatles ? but as a newspaperman this was a sensational exclusive
that I could not hold back. それってショートさんが直々にポールからネタを受け取ったということなの? >>866
Daily MirrorのライターであるDon Shortとは旧知の仲なので当然でしょ。
ネタを渡してそのままスクープ記事になったから他のメンバーを出し抜いた
いわゆる抜け駆けですね。
他のバンドのメンバーからしたらアルバム「McCartney」のキャンペーン
にビートルズからの脱退を利用されたからそうとう腹が立ったはず。 >>863
だからジョンが先に脱退したことはポールもジョージもジョン自身も証言している
あらゆる文献にもウイキペディアにも書かれてある事実を癇癪だけで否定しても無駄
キチガイ >>867
ジョン・レノンが怒ったのは自分が脱退して終わらしたのになんで俺が発表できなかったんだってこと
ジョンの脱退は契約上ビートルズメンバー全員が口止めされていたから >>814
ポールもジョージもジョン自身も認めている事実
あれあれ?メンバーの発言もウイキペディアに書かれてあることもデマだっていうの?
キチガイの主張と真逆の事実は都合が悪いから? ソロのキャリアに行くという判断についてポール・マッカートニーは次のように語っている。「ちょっと待って。自分が解散を引き起こした人物ではないんだ。違うんだよ。ある日、ジョン(・レノン)が部屋に入ってきて、『ザ・ビートルズを脱退するつもりなんだ』と言ったんだ。これが解散を引き起こしたのかな? それとも違うのかな?」
ポール・マッカートニーはザ・ビートルズの解散を引き起こした人物をめぐる混乱について当時のバンドのマネージャーだったアラン・クラインがいくつかの契約を終わらせたにもかかわらず、秘密にしておくように言ったことが原因だと説明している。
「数ヶ月にわたって隠していなければならなかったんだ」とポール・マッカートニーはジョン・ウィルソンに語っている。「変な感じだったんだよ。僕らはザ・ビートルズの終わりを知っていたのに別れることができなかったんだ」最終的に秘密にしていることを不満に思っていたポール・マッカートニーは「隠しておくのにうんざり」して「秘密を漏らしてしまった」という。
ジョン脱退によって実質解散状態だったという隠されていた事実を公にしただけですね >>870
Allen Kleinが絡んでいるゴシップは怪しいというかデタラメ。
1969年 8月のセッション以降もジョンはビートルズの
オーバーダブやリミックスに関わっている。
4人によるセッションとそれ以降の制作の区別さえできていない。
ってか Allen Klein はその後ビートルズとの金銭トラブルがあって
法廷闘争を経てクビになっているので人物そのものがNGかと・・ >>872
アランクラインどうこうではなく、ジョンの脱退があったかどうか
ポールもジョージもジョン自身もその事実があったと発言している
ゴシップではなく正史
アランクラインが絡んでるから怪しいなんて何の否定にも根拠にもならない >>867
直々にポールからネタを受け取ったことがわかるのは原文のどの部分? >>872
脱退宣言してからジョンはビートルズの現場には出ていない
オーバーダブや編集は自分のソロプロジェクトとして
ビートルズに興味がなかったのにビートルズのレコーディングをするわけがない ジョンの方もほぼ脊髄反射的に快諾し、翌日には当座寄せ集めたプラスティック・オノ・バンドを率いてカナダに飛んで、同夜のうちにもう舞台に立ち、そしてそこで唐突にビートルズを辞めることを決意した。
戻ってきた彼はメンバーに向け、自分はもうバンドを去ることにしたと告げた。彼らはこれを極秘扱いとすることにも同意した。ちょうどマネージャーのかの悪名高きアラン・クラインが、バンドにもっと有利になるぞと嘯きながら新たな契約条件を調整している最中でもあったし、そうでなくてもジョージとリンゴは二人とも、一度辞めると宣言してから戻ってきた過去があったからである。
その後にも残務整理めいた仕事が幾つか続いた。まず「サムシング」のミュージックビデオが制作されたのだが、ここではバンドメンバーが、誰にせよほかのメンバーと一緒に映るようなことも一切なかった。それからファンクラブ用のクリスマスレコードも作られたが、個々が自分の分の素材を別々に送るような形だった。『レット・イット・ビー』用の最後の追加セッションは、ジョン不在のまま実施された。『アビイ・ロード』は様々な意味で、バンドが一緒になって目指してきたことの一つの到達点だった。しかし1969年10月1日に同作が店頭に並ぶ頃には、もうビートルズはすでに実質的に消滅していたのである。
2011年のローリングストーン誌ビートルズ特集号より >>875
脱退宣言したのはジョンではなくポールだと何度指摘したら・・ >878
あらゆる証拠がお前の主張を否定してるぞ
「アップルにい ると」とこの時期、グループと親しくつきあっていたジャーナリストのレイ・コノリーはふり返っている。 「デレク・テイラー が入ってきて、『終わった、もうどうしようもない』と言ったんだ。でもそのわけは話そうとしない。その日、ジョンが脱退を 口にしたことを知ったのは、もっとあとになってからのことだ。するとその数週間後、トロントに同行していたわたしをジョン わきに引っぱって、『レイ、話したいことがある。オレはビートルズを脱けた。でもだれにも話しちゃ駄目だ。
ビートルズ解散の真実より ポール・マッカートニー、ジョン・レノンがビートルズを脱退したと主張するが、目撃者によって裏付けられる-「彼(ジョン)はもう十分だった」
ビートルズの現役時代に唯一の公認伝記を執筆したハンター・デイヴィスが、ポールの主張を支持しました。
ジョンが脱退すると言ったとき、ポールは「取り乱していた」とし、マッカは「ビートルズに関係するすべてのことをまだ愛していた。アルバムを作ることを愛し、書くことを愛し、演奏することを愛していた。」
デイヴィスは、ポールが彼にこう言ったのを覚えている。
「ビートルズが解散したとき、私は崖っぷちに立たされているように感じました。」
「ビートルズが解散したとき、僕は落ち込んだよ。裁判のせいで、当時はみんな変な感じだったと思うよ。」
「ジョンに電話すると、彼は "俺を困らせるな "と言うんだ。ジョージに電話すると、彼は "Effing "や "Blinding "と言って、まったくハレ・クリシュナではないことを言ってきたよ」。 >>878
1969年9月20日に脱退宣言をしたのはジョン・レノン
挙句の果てにレノンはマッカートニーに向かって「“契約書にサインするまでは黙ってろ”と言われたんだけど、君がそう言うんなら教えてやるよ。俺はもうビートルズを辞めることにした」と吐き捨てた。 >>881
1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実は無い。
1970年4月10日付けDaily Mirror誌のポールの脱退宣言が解散騒動の発端 >>882
ポールもジョージもリンゴもジョン自身もジョンの脱退宣言は事実だと発言している
あらゆるビートルズ研究の文献、書籍、Wikipediaにもしっかり記されている
お前が認めたくなくても事実は事実
ジョン・レノンは1969年9月20日にビートルズを脱退している ビートルズ解散はジョンのビートルズ脱退から
契約上アランクラインから口止めされていた >>883
1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実は無い。 >>885
ではなぜビートルズメンバー全員がジョンの脱退宣言を認めているんだ?
あらゆるビートルズ研究の資料、書籍、Wikipediaにも事実として記されてるんだ?
こっちは証拠を出してる
そんな事実はなかったというならその根拠と証拠を出して史実を書き換え >>885
1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実は散々証明されている
ただのジョン狂のお前がどんだけ「ない」といっても事実としてある
ビートルズはジョンの脱退によって崩壊してます >>886-887
1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実は無い。 >>889
ジョンが脱退を宣言したなどとはどこにも書かれていないし、
そもそも1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実は無い。
ビートルズから脱退してバンドが解散するという騒動になったのはポールの宣言がきっかけ
10 April 1970 Daily Mirror
https://www.beatlesbible.com/wp/media/daily-mirror-paul-quits-the-beatles_01-438x580.jpg 1970年12月31日にビートルズの解散をロンドン高裁に提訴したのはもちろんポール >>888
脱退している
ビートルズメンバー及びあらゆるビートルズ研究の書籍、Wikipediaにも事実として記されている
お前は何も反論できていない
1969年9月20日にジョン・レノンはビートルズ脱退した
それがビートルズ解散のきっかけ >>890
ビートルズメンバー全員がジョンがその日に脱退すると言った事実を認めている
お前の間違い >>891
その前に
ジョン・レノンの脱退のせいでビートルズは解散状態だった
法的に認められたのが訴訟によって
ビートルズの解散は1969年9月20日の突然のジョン・レノンの脱退によって
これはあらゆる証言、資料から明らかな事実 >>890
プレイボーイのヤン・ウェナーのインタビュー
(レノン・リメンバー)の引用で
「So I said, ‘The group’s over, I’m leaving」
って書いてある
脱退どころか解散にも言及してる >>892-894
1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実は無い。 >>896
否定も、反論もできていない
1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実がある
ビートルズメンバーが認めていること >>896
ではなぜビートルズメンバー全員がジョンの脱退宣言を認めているんだ?
あらゆるビートルズ研究の資料、書籍、Wikipediaにも事実として記されてるんだ?
はよ答えろキチガイ >>897-898
ビートルズメンバー全員がジョンの脱退宣言を認めるどころか
1969年9月20日にジョンが脱退宣言した事実は無い。
無いものは無い。
あるというなら証拠を示せ! >>899
全部読み返せ
お前が意図的にスルーしてる全てに証拠が、出されている
>>895でもジョン自身の発言があるだろ
ジョン・レノンは脱退した レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。