【THE BEATLES】LET IT BE 50周年Get Back【7/13BD発売】
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ザ・ビートルズ、最後のオリジナル・アルバム 『レット・イット・ビー』がスペシャル・エディションで発売!
2021年10月15日 全世界同時発売
https://sp.universal-music.co.jp/beatles/
『レット・イット・ビー』収録曲のニュー・ステレオ・ミックス及び5.1サラウンド・ミックス、ドルビー・アトモス・ミックスに加え、
レコーディング・セッションの過程で残されたアウトテイク、リハーサル・テイク、スタジオ・ジャム等の未発表音源、
1969年にグリン・ジョンズによって制作された未発表の『ゲット・バックLP』ミックスも収録。
スレ立てする時に必ず次のコマンドを1行目に入れて下さい
↓
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured ビートルズはリーダーのジョンが結成したバンドで、1980年に射殺されたことによってもともとカリスマだったのが普遍的な存在になった、それがジョン・レノン
この前提に立って、ポールはただのメンバーだしソロアーティストとしてはジョンの足元のゴミにも及ばない、ボウイとも比較にならないカスだと指摘してるだけ
なんでそんな指摘をわざわざしないといけないかというとジョン・レノンを尊重しないビートルズファンですらないキチガイが暴れてるから
ポールが云々とほざかなければポールの話題なんぞ出るわけがない この憎悪爺さんは同じことほざき続けてるけどジョンレノンがポールの上に立つことは絶対にないのが事実
ビートルズはポール中心に結成したポールがリーダーのポールのバンド、ジョンは一瞬たりとも中心にもリーダーにもなったことはない
ビートルズはポール・マッカートニーが中心で引っ張りポール・マッカートニーが代表曲を書きポール・マッカートニーが核で成り立ってるバンド とりあえず、ビートルズ無し、射殺特例購買無し、エルトン人気無しで
売れたジョン・レノンを挙げられてから文句言うべき
作品自体の力で売れたジョンレノンソロ作品と言うのは一つも無い >>719
クオーリメンはポールが入る前はギターのチューニングすら満足にできないド素人バンドだった
チューニングはコンサート前に楽器屋でしてもらうという始末だった
ポールが入って簡単にチューニングしてもらえるようになった
メンバーはギターのコードを3つしか知らなかった
ドラムは洗濯板だったw 最近初めてビートルズやソロになってからのジョンのMVを見たんだけど、あんな昔に随分映像技術高い映像作ってたんだなと思った。
そりゃ世界のビートルズなので世界一の映像作家が手がけたから当たり前なのかな?
MV全盛の85年〜だってあそこまでの映像あったかなあ? | _ _ ∩
|( ゚∀゚)彡 クオーリメン!
| ⊂彡 クオーリメン! >>736
素人に毛が生えてるだけだったその頃からなんの成長もせずに元ビートルズってだけのゴミに成り下がってしまったポールがかわいそうだな クオリーメンでお山の大将だった時代から楽器も出来ない素人のままポールに引き上げてもらったのがジョンレノンだからな
そりゃソロになってポールと明暗はっきりする >>733
ビートルズの事実上最後のパフォーマンス=ルーフトップコンサートで
最後に「グループを代表して申し上げます」って言ったのはジョンだったな
ポールがリーダーなら「ちょっと待ったあ!」って言うはずだろw I Hope We Pass The Audition (Let It Be)
https://youtu.be/D60xWhSWV80
I'd like to say "Thank you" on behalf of the group and ourselves
and I hope we passed the audition.
私(=ジョン)がグループを代表して「ありがとう」を言わせてもらう。
オーディションに通ればいいけどね。 ジョンの発言からジョンがビートルズの代表者、リーダー、代理人
であり他のメンバーはあくまでもバンドの1メンバーに過ぎないと
いうことがわかる。 あんな場でのジョークは誰が発言してもいい
この後ジョンレノンは脱退するがバンドは解散せずに継続した
ポールが脱退するとビートルズは解散
ジョンレノンはビートルズのいちメンバーであって実際にバンドを引っ張っていたのはポールというのが現実 ビートルズでリーダーに拘っていたのはジョンだけだった
ジョンレノンは単純に俺がリーダーだ!と声がでかいだけだったと周囲の証言がある >>745
真っ先にバンドを脱退したポールがバンドを引っ張るはず無いだろ(笑) >>747
真っ先にバンドを脱退したのはジョン
ゴミ曲しか生み出せないジョンが抜けたところでバンドは続いたがポールが抜けるとビートルズは解散
EMIが一番重宝したのもポール >>748
違う。
1970年4月17日の Daily Mirror 誌 で
ポールがビートルズの脱退宣言をしたのが発端 >>742
ポール自身が僕はあのジョン・レノンの相棒だったんだからそのあたりを汲んでくれないかなって姿勢なわけで
ビートルズファンとしてもはなからポールみたいなもんとジョン・レノンなんぞ同じ土俵で語れるもんじゃないなんて承知の上
そこにあろうことかビートルズそのもののジョン・レノンを否定してポールを上げるキチガイがいる、それってビートルズファンでも人間でもないよなあって話 >>749
その前にジョンレノンが脱退している
それでも解散していない >>750
ビートルズファンから20年間賛同されていないのがレノン狂
もともとビートルズありきだったからソロでも大爆死したのがジョン・レノン
ビートルズ時代でもソロでもポールとは比べ物にならないほど下のジョン・レノンみたいなもんを無理やり持ち上げようとすればツンボ主観を喚くだけの宗教になる ジョンがポールに勝てたところは何一つないのが現実
ビートルズはポールでもっていたというのが一般的常識
キチガイレノンオタ以外は ジョンレノンが活躍できたのは本当に初期のみ
だからジョンオタは初期ばかり崇める
もともとポールのほうが何もかも上だったけどポールの才能が広がっていく一方ジョンの才能はどんどん落ちぶれて行ったからな ジョンはあくまでキャラクターのスター!
それと
70年代前半まで 音楽バカのポール以外のメンバーが、それなりに積極性に活動したのは(出来たのは)
ビートルズのメンバー、ビートルズの元メンバーと、いうだけで関心を、持たれたから!
特にメンバー個人の人気が衰えていなかったアメリカでは!(リンゴのアメリカでのチャートが表してる) ・ポールに勝てたところは何一つない
・ジョンレノンが活躍できたのは本当に初期のみ
とかビートルズを知らないにわかファン丸出し 実際ジョンはアイドル的なもんだったと
ポールが曲と自分を切り離す作風なのに対し
ジョンはトゥモローとかウォルラスとかジョンのキャラありきの曲が多い
年取ってアイドルとして売れなくなったのがソロ時代なんだろう
死んでからはヨーコによってまた偶像化が進んでるけど >>757
ビートルズのほとんどの楽曲を手掛けているのに反論もクソも無えよ、このキチガイ >>759
ビートルズのほとんどの楽曲を手掛けてるのはポールだろキチガイ >>759
代表曲もポール
作曲能力も演奏力もポール
人気もポール
ジョンレノンみたいなゴミ糞が勝ってる部分答えてみ >>760
バンドとしてそのポールといっしょに楽曲を手掛けていたのがジョンだろ、このキチガイ ビートルズの楽曲にジョンが関わっていないかのような発想って
どんな現実無視だよ(笑) >>762
ポールに助けてもらってたジョンが勝ってる部分は無しということだな
このキチガイ >>763
そういやジョージの曲には参加してなかったなジョンは
名曲作るのにジョンなんていらねーんじゃ? >>764
互いに協力して楽曲を手掛けたんだろが
ジョンが活躍したのは初期のみとかデタラメを投稿するな、キチガイ >>766
互いに協力して作曲してたのは中期まで
それを活躍とはいわない
ジョンが活躍できたのは初期だけ
ジョンの才能は落ちていくだけだったからな
わかるか?キチガイ ジョンは最後までビートルズのレコーディングセッションに参加して
楽曲を手掛けているのに「活躍とはいわない」とか ID:J4GUqNtEM
は何らかの精神病かと >>768
レコーディングに参加して楽曲を手掛けてるのは当たり前だろキチガイ
そんな当たり前のことを活躍活躍とほざいてるジョン狂いのお前がキチガイ ジョンは勝手に脱退して最後のレコーディングは参加してないけどな >>765
アルバム「Abbey Road」のためのセッションには最後の 1969年 8月 20日
までジョンは参加している。
ジョンを除いた3人によるレコーディングセッションは「I Me Mine」を
レコーディングするためだけに行われた1970年1月3日だけ
以降は「I Me Mine」、「Across the Universe」、「The Long And Winding Road」
のドラムのオーバーダブでリンゴだけが参加した以外は
ジョン、ポール、ジョージはビートルズのレコーディングセッションは行われていない。 >>770
ジョンを除いた3人によるレコーディングセッションが行われた
1970年1月3日にはビートルズはまだ解散しておらず
ジョンはバンドを脱退していない。
Daily Mirror 誌 でポールがビートルズの脱退宣言をしたは
その後の1970年4月17日 >>771
ビートルズの最後のレコーディングセッションは「I Me Mine」
その4ヶ月前にジョン・レノンはビートルズを脱退しているので参加していない
最後のレコーディングでジョージが言った言葉
「みなさまはすでにお聞きのことと思いますが、デイヴ・ディー(ジョン)が私たちの元を去りました。しかしながらミッキー(ポール)とティック(リンゴ)、そして私は、これまで優秀ながら2番手と見なされてきた仕事を今後も粛々と続ける所存であります。」 >>772
ジョージの発言の通りジョンは脱退している二度とビートルズの現場にも戻っていない
そしてこれもジョージの発言の通りジョンが辞めてもビートルズは解散しなかった
ポールが脱退宣言をしてビートルズは終焉 真っ先にバンドを脱退したジョンがバンドを引っ張るはず無いだろ(笑)
ということ >>775
先にバンドを脱退したのはポール
1970年4月17日付け Daily Mirror 誌 で報じられた
ポールの脱退宣言が発端 >>775
先にバンドを脱退したのはポール
1970年4月10日付け Daily Mirror 誌 で報じられた
ポールの脱退宣言が発端 ジョンレノンは70年代は政治活動(平和運動)に夢中になってたからな ポール自身が最新インタビューでジョンは相棒なんだ、ジョンが圧倒的にすごいと思われてるけど対等に300曲ちかくを叩き上げてつくったんだ、アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼアだってそうだって言ってたな
ポール本人は自分がリーダーだの牽引しただのジョンはダメだのほざいてないわけで、ビートルズ板で騒いでるだけのキチガイがポールオタってわけ >>776
その前にジョン・レノンが脱退している
ジョージの発言も残っている
ビートルズ最後のレコーディング・セッションにも参加していない >>779
リーダーにこだわっていたのはジョンだけ
だがどう考えてもビートルズを引率していたのはポール・マッカートニーだということ
キチガイジョンオタ以外のビートルズファンには常識 キチガイジョンオタは20年間ポール憎悪とジョン上げをしてるだけ >>780
> その前にジョン・レノンが脱退している
デタラメ
1970年4月10日付けDaily Mirror誌のポールの脱退宣言が解散騒動の
発端で同年 12月 31日にロンドン高裁に提訴したのはポール
ビートルズの解散はメンバー全員が協定を交わした1975年1月9日で
ジョンはそれまでビートルズから脱退していない。 >>783
それを言うならポールも75年まで
法的に脱退出来てないじゃん ジョンはチキンだから自分で公にする気がなく
新聞記者に口止めしながらもリークし、誘惑に
負けた記者に記事にしてもらうというセコい手を
使おうとしたが、記者は律儀にスクープしなかった
ポールの脱退記事が流れると「何で俺が言ったとき
すぐに記事にしなかったんだ」と記者を怒鳴ったのが
ジョン >>784
ポールはDaily Mirror誌を通じてビートルズから脱退することを
対外的にリリースしているので意味合いが異なる。
それまでにジョンがバンドを脱退したなんて完全にデマ wikiより
ジョン・レノンの脱退宣言
1969年9月20日、ビートルズの4人と当時のマネージャーであるアラン・クレインは、
米国キャピトル・レコードとの契約更新の手続きのためアップル本社で会合を持った。
その席上において、レノンとマッカートニーはバンドの今後を巡って口論になり
(マッカートニーの自伝「Many Years From Now」における記述によると、
マッカートニーはライブ活動の再開を望み、小さなクラブでのギグをやろうと提案したが、
レノンはこれに猛反発したらしい)、挙句の果てにレノンはマッカートニーに向かって
「“契約書にサインするまでは黙ってろ”と言われたんだけど、君がそう言うんなら教えてやるよ。
俺はもうビートルズを辞めることにした」と吐き捨てた。
しかし契約更改するまでは脱退を許さないとクレインに説得され、レノンの脱退宣言はこの時点では
契約上では却下されたが、レノンはこれ以降ビートルズとしてスタジオに戻ることはなかった。 >>787
それも間違い。
ジョンは1969年11月26日にアビイロードスタジオで
・「You Know My Name (Look Up The Number)」
・「What's The New Mary Jane」(「The Beatles Anthology 3」に収録)
の2曲をオーバーダブとステレオリミックスを行っている。
ビートルズの脱退をマスコミを通じて宣言して先にバンドを離脱したのはポール >>788
その2曲をプラスティックオノバンド名義でリリースするつもりだったからな
ビートルズの活動とは関係ない >>783
1969年9月20日にジョン・レノンが脱退してるのはビートルズファンの常識
ジョージの発言もそれを示している
デタラメだゴシップだと喚けばなんとかなるもんじゃないぞ >>786
デマではない
ジョン・レノンが脱退して二度とビートルズの現場に姿を表さなかったのは事実
直前にクラプトンなどにも脱退する意を知らせている
お前ビートルズファンではなくただのレノン狂 >>788
その前にジョン・レノンが脱退している
ジョージも最後のレコーディングでその発言をして残っている
お前はジョージも嘘つき呼ばわりすんのか? マッカートニーによると、ある日レノンが部屋に入ってきて、ビートルズを脱退すると宣言し、「とてもスリリングだ。離婚のようだ」と話したという。
その後、メンバーは新しいマネジャーのアレン・クラインから解散を秘密にしておくようアドバイスされたという。マッカートニーは「数カ月間、偽り続ける必要があった」とし、「皆がビートルズの終わりだと分かっていたのに立ち去れなかった。奇妙な感じだった」と振り返った。 ★ 差別はジョンvsポールのしつこい書き込みから生まれています
差別はジョンvsポールのしつこい書き込みから生まれています
しつこい書き込みをしているのはミジンコ組です
通報しましょう
私の通報後(>>732以降)に上級国民なったワッチョイがあります
規制がかかり浪人を購入したはずです
ぜひ確認してください
ミジンコ組は10年以上ポール憎悪厨を口実に障害者やお年寄りやパン工場で働いている方を見下してきました
そして毎日ミジンコさんの死や不幸を願ってきました
ミジンコ組の人間性の低さに気づいてください
ミジンコ組の人間性の低さがビー板を傷つけビートルズのファンを傷つけているのです >>676
全員一致のルールなかったことにして
クライン雇ったのもジョンだけどな ビートルズ脱退してレコーディングに参加しなかったのにセッションテープを勝手に外部に渡してポールとマーティンを怒らせたのもジョン・レノンだけどな
全員一致なんてルールはそもそもジョン・レノンの頭にないんだよ >>791
それがデマ
1970年4月10日付けDaily Mirror誌でポールが脱退を宣言している。
ジョンは脱退を宣言していない。 >>793
バンド内部の口論ゴシップなんて腐るほどあるし、真否は不明。
明らかになっているのは
1970年4月10日付けDaily Mirror誌でポールがビートルズの脱退を宣言し
ポールが同年 12月 31日にロンドン高裁に提訴したこと。
ようするに先にバンドを脱退したのはポールだということ。 >>792
ジョージがどんな発言をしようがジョンが1969年11月26日にアビイロードスタジオで
・「You Know My Name (Look Up The Number)」
・「What's The New Mary Jane」(「The Beatles Anthology 3」に収録)
の2曲をオーバーダブとステレオリミックスを行ったという事実は否定しようが無い。
いずれの楽曲もジョンのボーカルが明確に聴き取れる。 ID:3uAppO5j0は呆れるほどものを知らない
wikiのWhat's The New Mary Janeの項目より
アルバム『ザ・ビートルズ
(ホワイト・アルバム)』発売後も、レノンは本作の発売を計画していた。
1969年後期、レノンは同年に結成したプラスティック・オノ・バンドの3枚目のシングルとして
「ユー・ノウ・マイ・ネーム」を発売し、そのB面に本作を収録することを計画。
シングルには「Apple
1002」というカタログ番号が割り当てられ、イギリスで1969年12月5日に発売が予定されたが、
発売日直前に取りやめとなった。 >>802
間違い。
「You Know My Name (Look Up The Number)」は1969年11月26日に
ジョンがAbbey Road Studiosでオーバーダブとステレオリミックス
を行っており、「1969年4月に行なわれたセッションで完成した」
という記述は間違い。
1970年3月のシングル「Let It Be」のB面としてリリースされている。 デイリー・ミラーで脱退宣言なんてしていない
記者会見風のQ&Aをマスコミ各社に配布したら
解禁日破ってに勝手にスクープにしたのがデイリー・ミラー
トロント前に俺は辞めると記者にリークして
記事にして貰えなかったジョンとは大違い >>799
している
いろんな文献に載っているし
ポールもジョージも証言してる
デマと言ってるのはお前だけ >>800
ポールがジョン・レノンが脱退して解散に至ったと証言している
最後のレコーディングでのジョージの発言も残されている
メンバーだけでなく、色んな関係者の証言からもジョンが先に脱退していたのは明らか >>801
それはビートルズの現場ではなく、ジョンのソロプロジェクトとして現場に行っている
レコーディングスタジオは同じだから
結果的にビートルズとして発表されただけ
その時点でジョン・レノンはビートルズを脱退している >>809
喚き散らしてもデマ言ってるのはお前だけ
お前はジョン以外のビートルズメンバーを侮辱しているだけ
ポールもジョージも証言していることはお前の発狂して喚いてるものとは真逆のこと >>804
ただのジョン狂
ビートルズファンでもなんでもないキチガイだよ >>814
ポールもジョージもあらゆる関係者もジョンの脱退宣言を聞いている
Wikipediaにかいてあることがゴシップだというなら書き直してもらえよキチガイ Q: "Is this album a rest away from the Beatles or the start of a
solo career?"
PAUL: "Time will tell. Being a solo album means it's 'the start of
a solo career...' and not being done with the Beatles means
it's just a rest. So it's both."
Q: "Do you foresee a time when Lennon-McCartney becomes an active
songwriting partnership again?"
PAUL: "No."
ポールはビートルズとしての活動、ジョンとのパートナーシップの解消を
Daily Mirror 誌を通じて公言している。 ジョンがマスコミを通じてビートルズから脱退宣言した事実はありません。 wikiより
ジョン・レノンの脱退宣言
1969年9月20日、ビートルズの4人と当時のマネージャーであるアラン・クレインは、
米国キャピトル・レコードとの契約更新の手続きのためアップル本社で会合を持った。
その席上において、レノンとマッカートニーはバンドの今後を巡って口論になり
(マッカートニーの自伝「Many Years From Now」における記述によると、
マッカートニーはライブ活動の再開を望み、小さなクラブでのギグをやろうと提案したが、
レノンはこれに猛反発したらしい)、挙句の果てにレノンはマッカートニーに向かって
「“契約書にサインするまでは黙ってろ”と言われたんだけど、君がそう言うんなら教えてやるよ。
俺はもうビートルズを辞めることにした」と吐き捨てた。
しかし契約更改するまでは脱退を許さないとクレインに説得され、レノンの脱退宣言はこの時点では
契約上では却下されたが、レノンはこれ以降ビートルズとしてスタジオに戻ることはなかった。
1970年1月3日テイク15の前に、ハリスンは同時期にデイヴ・ディー・グループを脱退したデイヴ・ディーをレノンに引っ掛けて、以下のような冗談を言った[42][41]。
「みなさまはすでにお聞きのことと思いますが、デイヴ・ディー(ジョン)が私たちの元を去りました。しかしながらミッキー(ポール)とティック(リンゴ)、そして私は、これまで優秀ながら2番手と見なされてきた仕事を今後も粛々と続ける所存であります。」 ビートルズ解散の責任はジョン・レノンにある、ポールが告白
マッカートニーによると、レノンはバンドを離れることを「スリリング」で「離婚に似ている」と表現し、残りのメンバーは「後始末をする」ことになったという。
ビートルズの解散は、「私の人生の中で最も困難な時期」だったと語るマッカートニーは、一部のファンから、メンバーの意見の相違に弁護士を介入させて4人の関係を悪化させたと非難され、バンドの崩壊の責任を負わされることに苦悩していたと語っている。
マッカートニーが、バンドのマネージャーであるアレン・クラインがグループの財務を管理することを阻止するために、他のメンバーを訴えたことは有名だが、その時にはすでにレノンは他のメンバーに脱退を告げていたとマッカートニーは語っている。 先にビートルズを脱退していたのはジョン・レノンだったようですね
ポールは事実を告げただけ その後、1970年4月10日にデイリー・ミラーに掲載されたインタビューで「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」と発言し、マスコミから「脱退宣言」だと受け取られた。こうして実質的にビートルズは解散した[36][37]。
マッカートニーは1971年2月18日、ロンドン高等裁判所にビートルズのパートナーシップ解消を求める訴えを起こす。この訴えはクレインの活動を封じることが目的であった。上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、すでに解散状態のバンドのメンバーの収入も、アップル設立時の「4人の収入は全てアップルに管理され、平等に分配される」という契約に縛られていた。4人がビートルズとしての活動以外で得た収入もクレイン(アブコ)が管理するアップルに支払われていた。クレインは用途不明の手数料をアップルに要求し続け、メンバーが稼いだ収益を吸い取っていた。この状況ではビートルズの財産が全てクレインに握られてしまうため、契約を法的に無効にするため、マッカートニーは裁判に持ち込んだ。
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、
上記のように既にレノンはビートルズを辞めてしまい、 >>823
ジョンがマスコミを通じてビートルズ脱退を宣言した事実はありません。 >>824
ジョン・レノンがビートルズを脱退していたのは明らかになっていますが >>825
1970年4月10日付けDaily Mirror誌でポールが脱退を宣言している。
ジョンは脱退を宣言していない。 ID:3uAppO5j0はポールがDaily Mirror 誌に脱退宣言を取材させたように思いこんでいるらしいがそれは違う
ポールは『McCartney』のプレス用の見本盤に自分でまとめた質疑応答形式の資料を添付した
その内容をすっぱ抜いたのがDaily Mirror 誌 >>817
DMとポールが一問一答したとでも思ってるの?
ソロアルバム発表の記者会見をしないかわりに
Q&A風のペーパーをポール個人でなくアップルの
広報が会社としてマスコミ各社に送った
DMだけが指定解禁時間守らず記事にしただけ >>827
1969年9月20日にジョン・レノンが脱退を宣言している
ポール達はマネージャーにジョンが脱退した事実を口止めされていた ポールは「今後ビートルズのメンバーと創作活動をすることはない」という現状を示しただけ
そのずっと前にジョン・レノンが脱退しているんだから
ポールが脱退したことによってビートルズが崩壊したなんてことを未だに言っているのは70年代のまま情報が止まった年寄りだけ >>828
すっぱ抜くもクソも無い。
アルバム「McCartney」の発売を控えてその質疑応答文書を
配信した先は Don Short で同氏は Daily Mirror 誌のライター
ようするにアルバムを宣伝してもらうことを目的としたポールの
行為であって、脱退宣言を報じさせた張本人はポールだということ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています