こんなビートルズは嫌だ
メンバーチェンジを繰り返し
オリジナルメンバーはポールのみ 効いてる効いてるw
中卒ヒッキーのポールヲタ(笑)ビー板全スレ発狂中(笑)
そんなに悔しかった?(笑)
さっさと全スレ埋めろやバーーーーカw
144 名前:ホワイトアルバムさん [sage] :2017/10/24(火) 09:00:08.03 ID:???0
静岡にレスしてるバカもまとめて氏ね!
ほんときもちわりい 1961年
シルバー・ビートルズに改名。
「お年寄りに席を譲ろう」「雄弁は銀なり」をオーディションで披露。直後に落選。
1962年
ゴールデン・ビートルズに改名。
「沈黙は金なり」がオーディション通過。同曲でメジャーデビュー。マネージャーが10000枚購入し事務所が倒産。
1963年
「泡踊り」がヒット、債務履行に追われる。
1964年
2年前に買い占めた1万枚のデビューシングルをアメリカのレコード会社に転売し債務完了、事務所復活。
1965年
ライブの空席をマネージャーが買い取り事務所が再び傾き始める。
1966年
ステージで奇行を繰り返すレノンを見たフィリピンの観客が激怒し暴徒と化す。続くアメリカツアーは閑古鳥で遂にライブ活動を諦める。
1967年
アルバム制作に金をかけすぎて借金が嵩みマネージャーが自害。
1968年
レコード会社を追われ、自身のレーベルから失意の2枚組『真っ白な灰』を発表、ようやく黒字に転じる。
勢い余って新人を発掘しまくったが全く売れず、瞬時に会社倒産。
1969年
身ぐるみ剥がされレコーディングスタジオからも追い出されたビートルズは屋上に逃げるが寒さに耐えられず、ひとまず倉庫に隠れる。
ここで録音したテープをプロデューサーに渡すが却下され、最後のチャンスを与えられる。
スタジオに向かう途中、ポールが横断歩道で車に轢かれ亡くなる。代役をポール兄が務め、アルバムはビートルズの最高傑作と評される。
1970年
もう一方の破棄されたテープは失業中のフィル・スペクターが目ざとく見つけて無断で手直しし、レコード化して富を得る。
しかしポールを失ったビートルズは解散を発表。
ジョンは夫婦漫才、ジョージはF1観戦、リンゴは夜遊び、ポール兄はソロ活動と、それぞれの道を歩んだ。 フリーペーパーでメンバー募集を募るビートルズ
ジョンとジョージ急募
【応募資格】[ジョン]包茎(仮性、真性、カントン問いません)[ジョージ]キンタマ顔
【時給】[ジョン]980円[ジョージ]970円
【勤務地】国内・海外(直行直帰有り)
【交通費】1日500円まで支給 >>14
エプスタインより金交渉に関しては有能だったかも…… 東京ビートルズランド(TBL)
アクセス 京葉線舞浜駅下車徒歩5日
アトラクションのご案内
・スプラッシュフルチンマウンテン
・空飛ぶブリーフ
・ゲオルグさんのオールドブラウン筋ハント
東京ビートルズシー(TBS)
アクセス 海ほたる下車クロール5日
アトラクションのご案内
・ウン筋ガーデン
・イエロー染みマリン号
・トイレットペーパーランド 【帝国きどり、軍産″】 マイトLーヤ『アメリカは侵略の過ちを認め、イスラエルは跪き許しを乞え』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529709983/l50
シオニストとエヴァンゲリストが、ロシアを悪者にしてニセ終末を演出し、WW3を起こす可能性がある! >>16
真夏は熱中症対策にミストが撒かれるがオールドブラウン臭とアンモニア臭の2種類の香りがブレンドされている。 まあ、ラトルズは「こんなビートルズは嫌だ!」そのものだったなw
好きだけどww ベントルズ - Kusopedia
リヴァプールの船着き場をうろつく浮浪者が集まりチーム・ベントルを結成、街中に糞を撒き散らし、うんこまみれにした。
満を持してデッカいうんこレコードのオーディションに臨むも落選、ショックのあまりメンバーのション・ベンが失禁、舎弟のオツージ・ハリスンも脱糞し気を失った。サンポール・マッカートニーは無事だった。
不合格の原因はゲリピート・ベストのドラムにあるとみたションは、マネージャーのブラチン・エプスタインにゲリピートの解雇を要請する。
ベントルズの解雇はゲリピートにとって生涯最大の事件となり、現在までこのネタで食っている。
ベントルズの新メンバーにはチンコ・クサーが迎えられた。鼻の形がちんこに似ている、という理由であった。
ベントルズはパーロ糞というEMIの汚物処理専門レーベルに拾われ、そこで待機した。
世話係となった情事マンチンが初対面のベントルズに意見を求めた。
オツージが「あんたのウンコはネクタイと同じ色をしている」と述べたところ、オツージの自作曲は解散までほぼ採用されなかった。
パーロ糞からメジャーデビューしたベントルズはヒットを連発した。
「糞の味」「糞する二人」「肥溜めに落ちたら」「色の違い」「糞がモリモリ」「糞を撒き散らそう」などを世に送り出した。
超有名人となったベントルズは1969年、再びデッカいウンコレコードのために屋上で演奏するが、またもや不合格となる。 ディッグ・ア・ポニー
ポール・マッカットニー(略してポニー)について歌った曲 ホワイト・アルバム・ウルトラ・エディションが追加発売!
本来の構想であったLP1枚のオリジナル・エディットで登場!
収録曲
バック・イン・ザ・U.S.S.R.
ディア・プルーデンス
オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
ジュリア
ヘルター・スケルター
ロング・ロング・ロング
マーサ・マイ・ディア
アイム・ソー・タイアード
ブラックバード
バースデイ
クライ・ベイビー・クライ
アイ・ウィル
グッド・ナイト ライブで
ボーカルは全てリンゴ
曲順が
レットイットビー
イエスタデイ
ドントパスミーバイ
イエローサブマリン
オクトパスガーデン
アンコールで
イエローサブマリン
ちなみに観客5万人 1960年頃、イギリスの佐世保といわれる港町、リヴァプールでビートルズは湧いて出た。
ジョジョ、マック、ピーター、ハリー、スッチーと呼ばれる5人衆は、どんなことがあってもメンバーは変えないという固い絆で結ばれたのだ。
翌朝スッチーが逃走し、現在まで音信不通。暫くの間、他のメンバーは彼が居なくなったことすら気づかなかったという。
残った4人は無謀にもいきなり大会社ホンマデッカソウデッカのオーディションに臨むも案の定不合格。
その後も100社を受けたが全敗。郵便配達、スーパーのレジなど、手当たり次第応募した。担当者はデモテープを見て困惑しただろう。
運命の101本目、コピーテープは極限まで劣化しており、これを聴いたエミ・レコードのジョージア・マティーニはガールズ・グループと勘違いし、興奮してすぐに電話をかけた。
どうやら相手は男共だったが、他にこれといった仕事もなく、彼らを呼んだ。 やって来たのは目一杯背伸びをした糞ガキ達だったが、なぜかジョージアは自分と同じ匂いを感じた。
それが単にポマードの匂いだったと気づいたのはビートルズのメジャーデビュー後だった。
ジョージアがビートルズに初めて会って演奏を聴いた時、その音楽は全くなっていなかった。しかしアドバイスを入れると、幾分マシになってきたのでジョージアの心は動いた。
決定的だったのはジョジョの顔のデカさと下品なアドリブ、マックのタレ目、ハリーの虚弱さで、見ていて飽きないものだった。
エミ・レコードの庶務課から派生したペロホン・レーベルの小部屋で毎日悶々としていたジョージアは、ビートルズを新しい友達として迎え入れた。
しかしピーターだけは他の3人と異質で、「本物」だった。リーゼントも一番気合いが入っていたし、ケンカも強そうだった。怖いもの知らずのジョジョでさえ、ピーターからは一歩引いて行動していた。
ジョージアもピーターが苦手であった。2人で一週間過ごしても、お互いのことを何も知らずに終わるであろうことは容易に想像できた。
そこでジョージアはオーディションと銘打って4人に演奏させる前に、ジョジョに耳打ちをした。
「2番の歌詞を適当に間違えて歌ってくれ。オナラをしたっていい」
ジョジョは屁をこきながら卑猥な言葉を混ぜ、爆笑しながら歌った。マックとハリーはちゃんとやれ、と怒ったが結局釣られて笑ってしまった。ピーターだけは表情も変えず、黙々とドラムを叩いていた。一回も笑わなかった。
これでジョージアの決意は固まった。ジョジョ、マック、ハリーの意思を確認し、マネージャーのエピーにピーターの代わりを探すよう伝えた。
エピーは精神安定剤をガブ飲みし、ピーターに歩み寄った。
「ピーター、人生最大の決断だ。君ならジェームス・ディーンになれる。ビートルズでいることは惜しい」
ピーターは黙って扉を開けた。 エピーは思った。初めからピーターの代わりを探していればホンマデッカに受かったかもしれない。そうすればこんな零細レーベルでデビューするよりも安泰だった。くっそぉ〜。
ホンマデッカの審査員に少しでも余裕があれば、同じ事をアドバイスしただろう。しかしホンマデッカは忙しく、ペロホンのジョージアは暇を持て余し、考える時間があった。成るべくして成った結果といえる。
早速代わりのドラマー探しが始まった。そこそこ叩けて優しい顔が条件だった。色々当たったが見つからない。ジョージアも苛立ってきた。
リッチーことリチャード・スッタモンダッキーは竜巻というダサめのバンドでプレイしていたが、当時はビートルズより格上で人気者だった。うってつけの人物に思えたが要求はハンパなかった。
「ギャラは4等分、歌わない、曲は作らない、1日の労働時間中半分以上が自由時間」
エピーとマーティンはキレそうになったが時間がなかった。徐々に丸め込もうという思惑の下、メンバーに迎え入れた。