ビートルズの最高傑作はラバー・ソウルだろ [無断転載禁止]©2ch.net
124ホワイトアルバムさん (ワッチョイW 9efe-Tn/L)2020/11/05(木) 02:14:17.88ID:vxP+16Ct0>>125 実は1964年に既に、ストロベリーフィールズのイントロは出来ていた動画が あったんだけど、みんなどう思う?w https://youtu.be/tcoaOXNK4ME 125ホワイトアルバムさん (ワッチョイ d2ac-D/bg)2020/11/05(木) 08:29:16.88ID:HGZD2heK0 >124 それは、ストロベリーフィールズはイントロも、 ジョンが作ったという証拠だね。 . . 『ビートルズ「イエスタデイ」のこと』 かつて「日刊ゲンダイ」が「ローマDPA時事」の通信として、 以下のように伝えたことがあったと言う。 「イタリアの著名な作曲家リッリ・グレコ氏が18日夜、同国のテレビ番組で、 ビートルズのイエスタディは1895年に作曲されたナポリ民謡のカバー曲だとの新説を唱えた。 グレコ氏は、1965年にイエスタディを作曲したポール・マッカートニーは 世界の音楽について幅広い知識を持っており、特にナポリ民謡がお気に入りだったと主張。 同氏が番組の中で演奏した「原曲」は、確かにイエスタデイに酷似していた。 ビートルズの伝記には、ポールがイエスタデイの作曲直後、無意識のうちに盗作したのではないかと心配し、 「一ヶ月ほど音楽関係者に、この曲を以前聴いたことがないか尋ねて回っていた」と述懐したと記されている。 【ローマDPA時事】(日刊ゲンダイ 7/21)」 とりたてて盗作などと騒ぐよりも、 忘れられかけていた音楽を発掘したポール・マッカートニーの功績と考えることもできるのではないか。 そんなふうに考えるのは、音楽シロウトのポールファンの単なる甘い認識というものなんだろうか・・・なんてね。 http://ji-ji-wanwan.seesaa.net/article/179755037.html ナポリターナ原曲を聴いてみたいね。 ↓ この動画の(1分40秒)から聴けば分かるが、 ポールは、ナポリ民謡”Piccere' Che Vene a Dicere”のメロディに イエスタデイの歌詞を付けて歌っているだけ。 ↓ https://angeloforgione.com/2016/10/05/canzone_napoletana_mondiale/ イエスタデイは、完全に盗作です。 . ◆スレを上げてもIDが出ていなければミジンコ組の書き込みである >>454 > この動画の(1分40秒)から聴けば分かるが、 > ポールは、ナポリ民謡”Piccere' Che Vene a Dicere”のメロディに > イエスタデイの歌詞を付けて歌っているだけ。 レコード・楽譜を見せていない以上、 動画の演奏は単に「グレコ氏の頭の中にあるメロディ」を再現しただけに過ぎない グレコ氏以外は誰も知らなかったPiccere' Che Vene a Dicereという曲について、 彼一人の記憶が実在の証拠として採用されるなんてことはありえない よって、原曲の実在の証明にはレコードor楽譜の公開が必須だが、 14年経っても彼は出すことが出来ない グレコ氏は何故レコードや楽譜を公開しないのだろうか? ポールが父親のレコード・コレクションからナポリ民謡をパクったとかいうコピペがあったけど、 それが真実ならレコードは実在したということなのだろう そもそもポールは楽譜は読めないらしいから、仮に盗作したのなら、レコードから盗作したという説がどっちみち有力になる そして、グレコ氏もそのレコードを発見したからこそ盗作説を発表したということなのだろう …というわけで、ナポリ民謡のレコードは? なぜ動画では肝心のものを見せずに、ピアノ演奏と歌だけでお茶を濁しちゃったの? イタリアのWikiではこう書かれている Nel 2006 il produttore e compositore italiano Lilli Greco affermò che Yesterday era fortemente ispirata, al punto da sfiorare il plagio, a una canzone napoletana del XIX secolo intitolata Piccerè Che Vene a Dicere. Dalle successive verifiche, però, non fu possibile ritrovare traccia di tale canzone. 翻訳オプションを使うと、 (2006年、イタリアのプロデューサーで作曲家のリリ・グレコは、昨日は盗作に触れるところまで、 ピチェレ・チェ・ヴェネ・ア・ディザールと題された19世紀のナポリの歌に強いインスピレーションを受けたと述べました。 その後の検証から、この曲の痕跡を見つけることはできなかった。) また、引用元を探ると、2006年7月20日に、 Inesistente la canzone partenopea che avrebbe ispirato i Beatles (ビートルズにインスピレーションを与えたであろうナポリの歌は存在しない) という見出しの記事がCorriere del Mezzogiornoというナポリの地方新聞に掲載されていたようだ つまり、18日夜にグレコ氏が発表してから2日後での速攻の否定である Piccerè Che Vene a Dicereという曲名、そして1895年作曲という2つのデータが一応発表されているから、 それを基にして曲の調査をしたものの見つけられなかったということなのだろう しかもグレコ氏からレコード・楽譜の提示も無かったのだから、証明も何もあったものではないということ 海外との時差もあるかもだが、日刊ゲンダイが21日に紹介した時には既に決着していた案件だったということではないだろうか >>1 825ホワイトアルバムさん2018/05/18(金) 20:11:09.67ID:???0 1967年全世界を網羅する史上初の衛星生中継番組「アワ・ワールド」に番組出演が決まると、 どの国の視聴者にも理解できるシンプルな内容の曲づくりを依頼され、 ジョンとポールは別々に着手した。自然な流れでジョンの曲に落ち着いたという。 普遍的な「愛」を訴える曲のメッセージは、当時の若者が抱いていた理想を見事に写しとったと評価されている。 「あの曲のいいところは、誤解する余地がないところだ。 愛がすべてという、明快なメッセージを持った曲だから」と当時のマネジャー、ブライアン・エプスタインは語っている。 ちなみに“落選”したポールの曲は「ユア・マザー・シュッド・ノウ」だった。 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/070625.html ↑ >>1 >(なお、マッカートニーは自作の『ハローグッドバイ』の採用を強く推したが、 >スタッフ関係者全員から却下されたという経緯がある) 「ユア・マザー・シュッド・ノウ」でジョンに競り負けたくせに、 悔しいポールは涙目で執拗に『ハローグッドバイ』の採用を強く推していたんだねw ジョンはサージェントの製作過程について 「ポールは自分の曲が揃ったら『レコーディング始めるぞ』と せっかちに言ってスタジオにメンバー集めたが、 僕はヨーコといろんな活動をしていたので1曲も用意していなかった。 それでもアデイインザライフやルーシーなどを急いで書いたよ。」 と言っていたが、 「アワ・ワールド」の曲づくりを依頼され、 2人が別々に同じ条件で作曲を競った 「愛こそはすべて」と「ユア・マザー・シュッド・ノウ」の出来を見れば2人の実力差は歴然。 以上の経緯で「ユア・マザー・シュッド・ノウ」はポール単独作。 だからポールは1つのメロディを繰り返すだけで、サビや展開していくメロディが書けなかった。 その兆候はソロ1作目から鼻歌レベルの曲の断片集(ラブリーリンダ、メイビィ、、)でも如実に表れている。 要するにポールはジョンの助けが無ければ未完成の曲を量産するしか能が無いということです。 >>463 いちいち、ここに書き込むな お前のスレでヤレ Nowhere Man の出だしのコーラスは、ジョン一人での重ね録音って本当? 我は願い、主を崇める。主は鉄槌を与える。ぴ~こぴこ~☆はんまぁ~♪ read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる