ビートルズはなぜ解散したのかPart19 [無断転載禁止]©2ch.net
これだけやっても真相はでてこない...。
※前スレ
ビートルズはなぜ解散したのかPart18
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1453644066/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512 EXT was configured しかし、長い遅いの理屈を吹き飛ばす
より強力でシングルA面に相応しい曲が
登場した為ジョンの熱意はねじ伏せられた
ヘイ・ジュード(この曲も長いのだが)の
B面にレボリューションは甘んじることに
なってしまった
アバンギャルドな部分、レボ9もアルバム
収録を反対されたが、ジョンが断固譲らず
アルバムに残ることになった
(出たのはシングルよりもアルバムの方が先)
ポールは渋々同意し、マーチンは最後まで
アルバム収録に反対していたとされるが
マーチンの著書では自分とジョンが一緒に
取り組んだ作品だと好意的に評している 結局新しく打ち出した路線(とヨーコ)が
メンバー達に受け入れられなかったジョンは
それ以後アビーロード、レットイットビーでも
必要最低限の曲数しか提供せず、制約のない
プラスチックオノバンドに軸足を移していった
ジョンは、ヨーコと出会って突然変わった訳でなく
元々なりたかった自分になる為の協力者であり
インストラクターをみつけたのだった
ポールがジョンの政治・平和路線に少しでも
同調したらビートルズがもう少し長続きしたかも
知れないが、その場合、後世の評価は
どう変わっていたか判らない ジョンてイギリスに戻りたかったんだよね。ヨーコと離婚して。ジョンがイギリスに戻ってれば暗殺されずにすんだかもね。 >>543
1979〜1980年の最後の2年間にアシスタントだった
フレッド・シーマンの著書だと、ヨーコの方が離婚したがってた
(シーマンはジョンの死後、ジョンの手紙や写真を持ち出し
ヨーコに訴えられて負けた)
死ぬ2日前の12月6日にジョンがミミ伯母さんに
年が明けたらイギリスに行くと電話してた 孤立したのは新機軸路線が受け入れられなかった
ジョンだけではなく、他の3人もそうだった
ポールの場合は、ポール自身の言動もそうだが、
他の3人との階級意識の差が根底にあった
「5人目のビートルズ」というと色々候補が挙げられるが
ジョージ・マーチンがその最有力になることが多い
しかし、初対面でマーチンのネクタイが気に入らないと
ジョージ(ハリスン)が言ったように、上流階級に対する
若者特有のそして地方出身者のロンドン人への反発心が
ポール以外の3人には強かった(ポールは上昇志向が
強く自分にプラスになるならむしろ積極的に交流した) ジェフエメリックの著書にもメンバーは「背広&ネクタイ
を体制派の象徴と見ており、EMIの服装規定で
ネクタイを締めなければいけなかった自分や
マーチンや仲間のエンジニアたちに余所余所しい
態度をとる中、ポールは気さくに接してくれた」と
書いていた
また、アップルの経営難時や解散裁判時に登場した
税理士・弁護士といった連中「背広野郎」へ
ジョンは皮肉じみた発言をしている
ポール以外の3人のジョージマーチンに対する不満は
解散後のソロをマーチンにプロデュース依頼していない
ことでも判る(リンゴのセンチメンタル・ジャーニーは
グループ在籍中) 「イエスタデイ」をポール一人で録音させ、ソロで
出すよう奨めたことも他の3人を不快にさせた
リンゴは初対面で別のドラマーを用意され
ドラムでなくタンバリンを叩かされた
ジョージも、ある意味ポールから受けた以上に
マーチンから半人前扱いされ続けていた
これはビートルズといえど、初期は予算内、
時間内にレコードを作らねばならず
ジョージのソロが巧くいかなくても、何度も
リトライさせる訳にはいかず、ポールに
替わりにギターを弾かせたり、ギターソロを
別の楽器に差し替えるなど、手早く終わらせる
決断をするのは致しかない部分もあった 「俺は心底助けてくれと叫んでいたのに誰も
気づかなかった」と解散後にジョンが怒った
ヘルプも最初はスローなナンバーだったが
マーチンによってテンポアップされ映画の
主題歌にふさわしい軽快で洗練されたポップ
チューンにされたことを快く思っていなかった
また、「皆、俺の曲で実験していた」とサイケ期
の曲のアレンジへの不満もあった >>536
デビュー時に、当時のバンドはフロントマンを
置くのが常だったので、ポールを起用しようと
考えていたのもマーチンであった
(これはマーチン自身がジョンの声が魅力的で
ボーカル担当が複数いるのは強味だと思い直した)
※エメリックも最初のセッションのときポールが
リーダーだと思っていた また後に「あいつらは反抗的だった」と
ジョンが語ったように「レボリューション」に
否定的だったのを始め、後期はペパーも、
アビーロードもポール側のコンセプトに
立っていたのも癪に障っていた >>539-541
自分の曲よりポールの曲の方がスタジオで
多くの時間が割かれているという疑念を
ジョンは持っていた。中期に書きあげ
中々形に出来なかった傑作アクロス・
ザ・ユニバースでは「俺の曲になると
みなサボタージュする」と不満を漏らした マーチンの弁解によると、ポールは自分の理想に
近づくため、色々手を尽くすのに対しジョンは
その場で思いついたことが直ぐに実行されないと
怒って出て行ってしまい、帰ってくるまでに
スタッフが何か方法を考え出していても、
もう関心をなくしていることが多かったという
エメリックの著書にも「天井から吊り下がって
ぐるぐる回りながら歌う」とジョンが言いだし
ロープがないと言われると「すぐに買ってこい」と
怒り、マルは買いに行くふりをしてスタジオを
出たが、しばらくして手ぶらで戻ってきたときは
ジョンはもうロープのことは忘れていたという
エピソードが書かれている ホワイトアルバムセッションは
やる気を取り戻したジョン(&ヨーコ)と
ペパー以降主導を握ったポールの
対立になった >>534-535
セッションで一番最初に取り組んだ曲
レボリューションで、アンプの上に座ったり、
スタッフを召使い扱いし、ビートルズに
「ザ」をつけないヨーコに、ポール、
ジョージ達は神経を逆なでされた
その苛立ちをポールはジョージ、リンゴ、
マーチン、そしてスタッフに向けた 広報のデレク・テイラーは1968年の
ポールほど嫌な人間はいなかったといい
コントロールフリーク(支配魔)と
陰口を叩かれ、恐れられていた
ジョージもこのセッションでポールの曲
ヘイジュードでボーカルに絡むような
ギターを弾いて、余計なことをするなと
言われたことが、後のゲットバック
セッションの口論の伏線になる、
ポールから何回もやり直しさせた挙句
ミスを咎められたリンゴは脱退した
ジョンのレボリューションとポールの
オブラディが何度もテイクを重ねる毎に
雰囲気は悪化しポールがマーチンを
怒鳴りつけたときエメリックは仕事を
降り、マーチンも休暇をとってしまう そんなトラブルを抱えながら完成した
ホワイトアルバムはアップルの第一弾の
アルバムとして2枚組ながらセールスは
好調だったが、会社は設立1年で早くも
破たん寸前になっていた
ポールは(他の3人には知らせず)
会社再建を模索し、伝手を頼り
専門家に会い、エプスタインの死後
空席になっていた常勤のマネージャーが
必要だとアドバイスされていた >>475 1968年末、交際中だったリンダの家族と
会ったポールは、父リー・イーストマン、
兄ジョン・イーストマンが弁護士で
ミュージシャンの取漏れ印税の回収等の
音楽業界の仕事も取り扱っていることを知り
アップルのことを相談し、イーストマン
親子も協力を約束した
一方1969年1月にデレク・テイラーに
ジョンを紹介してもらったアランクラインは
同じく、アップルの経営再建を申し出る
孤児だったというクラインの境遇に共感した
ジョン(実親から育児放棄された)は
クラインに全てを任せる気になった >>447 こうして2組のエプスタインの後任候補が現れ
ストーンズのマネージャーとして悪評のあった
クラインだが、ジョンのときと同じく軽妙な
話術でジョージとリンゴに親近感を持たせた。
対するイーストマン親子はポールの恋人の
父と兄ということもあり、これ以上
ポールが権力を握るのを3人は危惧した 当のポールは、身内だからこそ自分には
悪いようにしない=自分にとって良いことは
グループにとっても良いことだろうという
程度の軽い認識でいたが、他の3人に
とっては単なる公私混同だった
ジョージは遠回しに「仕事が終わって
家に帰っても、アラン・クラインは
俺たちの家にはいないぜ」と表現した また、特に父のリー・イーストマンは、
喋り方も態度も、ジョン、ジョージ、
リンゴが嫌うNYの上流階級出身の
「背広野郎」の典型的人物だった
1969年2月、結局3対1で、当面
クラインが暫定マネージャーになり経理を、
イーストマン親子が監査役として法務を
見ることになった 3月にポールとリンダは結婚したが
イーストマン親子は3人と対立し
(特にリンゴが彼らを嫌った)
5月にクラインが正式にマネージャーに
就任し、イーストマン親子は解任された
>>445-446
ポール以外の3人にとってクラインが
魅力的だった最大の理由は「現金」だった
元々アップルはエプスタインの生前に
節税対策のために設立した会社で収入の
8割は会社に入り残りの2割がサラリー
としてメンバーに支払われていたが
それ以上はメンバーと言えど勝手に
引き出したりは出来なかった そんなジョンたち3人にクラインは
まとまった現金を融通した
3人は会社にある8割の中から給料の前借で
支払われている程度に考えていたが
実際はクライン(の会社)からの融資で
後年、3人がクラインと決裂すると多額の
利子と手数料を支払う羽目になった
その後、クライン体制でのポールは
常に3対1で孤立し、フィルによる
自曲の改変やソロアルバムの発売日
延期問題がありグループを去ることを
決意した >>463-464 1970年4月9日
ポールはジョンに電話をした
ポール「君と同じことをやろうと思う
ソロアルバムを出して、グループを抜けるよ」
ジョン「いい判断だな、分別のある
メンバーは俺とお前の二人だけだ」
しかしその翌日、デイリーミラーが
ポール脱退を報じ、ポールが解散の
引き金を引いたこと、つまり自分が
出し抜かれたことについて、当初ジョンは
余裕のコメントをしていたが >>458
後に嫉妬と怒り交じりにこう揶揄した ジョン「あいつがどうするつもりでいたか
黙っていたせいで俺たちは傷ついた
(その半年前にジョンも、グループを辞める
つもりでいたことを、他の3人に黙っていた)>>450
俺が(解散発表を)やるべきだったし
やりたかった。つまり(解散を)自分の
ソロアルバムの売り(宣伝)にすることをだ
あいつは世界一のセールスマンだ」>>440 ポールの脱退報道でマスコミ対応に
追われたクラインは「マッカートニー氏は
相当年数アップルに対して債務を負っている」
とポールを牽制し、「メンバーは誰であろうと
他のメンバーの同意なしには、いかなる
サービスも提供することは出来ない」と
会社名義で正式な声明も出した
しかし、このクラインの行動はかえって
ポールに反撃の材料を与えてしまった ジョンは、彼のソロ活動については
全く好き放題にやっており、ポールが
(ジョージやリンゴも)何か同意を
求められたことは一度もなかったからだ
(だからトゥー・ヴァージンズも出せた)
この年の12月にポールがパートナーシップ
解消を求めて裁判を起こしたときも >>480
この件はパートナーシップが既に4人の間に
存在しない実例として主張することが出来た ジョージは周りから自身の成長を
認めて貰えないことに不満を感じていた
ポールからいつまで経っても弟(半人前)
扱いされていたこともあったが
(マーチンからも半人前扱いだった>>547)
ツアー中止以降、スタジオが時間無制限で
使い放題になると、ジョンやポールは
これまで以上に自分の曲に時間を費やし
その合間に回ってくるジョージの曲の
順番待ちの時間が長くなった
「ポールは自分の曲を10曲ほどやった後
やっと俺の曲に時間を割いてくれる」 そしてジョンからは「無視」という
扱いを受け続けていた
リボルバーのラブ・ユー・トゥ以降
(オーバーダブを除いて)ジョージの
曲の録音をジョンは欠席していたのだった
オールド・ブラウン・シューでは久々に
参加したが、その後また欠席した
ホワイトアルバムセッションが終わった後
ボブディランのアルバムに参加したとき
ジョージは、ジョンやポールより各上の
ディランが自分を対等の存在として遇して
くれたことに喜ぶよりもむしろ驚き、これ以上
グループに留まる意義を考え続けていた 1969年1月ゲット・バック・セッションで
ジョージが新曲を披露したときポールは
慇懃無礼に感想を述べ、ジョンは無言の
まま冷笑と2人は相変わらずだった
そして1月10日、朝にジョンと喧嘩し、
同じ朝にポールと口論、これは映像にも
残っている有名な「弾き方指図」で、>>552
その日の昼飯のときにもう一回ジョンと
喧嘩(殴り合いになったとも)し、
遂に「辞める」と言って出て行った
(ジョンが代わりにクラプトンを
入れようと言ったのはこのとき) 1月12日にリンゴの家に全員集合
今後のグループの存続について話し合うが
ジョンは全く喋らずヨーコがひたすら喋り
またジョンとジョージが口論
ジョン「俺はお前が理解出来ない」
ジョージ「俺はお前が信じられない
俺が辞める理由のもう半分はヨーコと
一緒にやっていけないことだ」 1月17日までにジョージが戻らないなら
解散だと、ジョンとポールは合意した
デレク・テイラーに「ポール一人に映画と
アルバムを全部任せておいていいのか」と
説き伏せられ、1月15日に復帰する
ジョージを連れ戻したテイラーだったが
説得の際の言葉が漏れたのか、ポールから
「糞ったれ」と書かれた葉書を受け取った
テイラーは元々、ポールと折り合いが悪く>>552
クラインをジョンに引き合わせた張本人も
テイラーだった >>554 ジョン「あいつ(ジョージ)は今年になって
やっと自分が何者なのか知ったんだろうよ、
俺たちが今まであいつしてきたクソみたいな
仕打ちも含めてな」
ホワイトアルバムではクラプトン、
ゲット・バック・セッションではプレストンと
助っ人を呼んだジョージだったが、アビーロードの
セッションでは逆にポールにベースの弾き方を
指示し弾き直させた。ギタープレイも堂々とし、
マーティンも、エメリックも絶賛している アビーロード完成後の1969年9月の
ミーティングで今後の活動方針を話し合ったとき
これからはアルバムに入れる曲数をジョンとポールと
同じにするよう主張し、またジョンと口論になった
ジョージはジョンとポールと対等な立場、自分の
作品を発表する場を要求していたが、その時ジョンは
既にグループを脱退していたのだった。 >>450
そして、この日が4人が一つの部屋に一堂に
会した最後の日になったのだった ビートルズ解散の原因はヨーコ
ヨーコがジョージのビスケットを無断で食べた瞬間、ビートルズの歴史は終わったと言っていい
それは1960年代における最大の修羅場だった リンゴはある意味、最初から孤立していた
最年長だが、最後に入ったビートルだった
最初のレコーディングのときはマーチンに
よってドラムを叩けなかった >>547
元々の性格もあったが、多数派に乗る
悪く言えば日和見的な態度だったが
それがリンゴの護身術であり、彼までが
自己主張していたらビートルズの解散は
もっと早かったかも知れず、リンゴ自身も
それを自覚していたように思える
また、作曲をしないということも他の3人と
ライバル関係になることなく、バランサー
として機能し続けた しかしツアーをやめ、レコーディングが主体に
なると、リンゴは暇を持て余すようになった
ホワイトアルバムで、マルチトラック録音が
導入され、3人が同時進行で自分の曲を録音し
スタジオも時間制限なく使うようになると
セッションの始めから終りまで、誰かの曲で
お呼びがかかるまで、長時間ずっと待機
せねばならず、セッションドラマーのような
扱いになってしまった
「チェスが上手くなったよ」とリンゴが語った
とおり、待機時間中ニールかマルを相手に
ずっとチェスをして時間を潰していた セッションも緊迫していく中で、いつものように
リンゴが一番にスタジオに入っても他の3人が
中々来ずイライラを募らせたりするなど
まともなモチベーションが保てる訳がなかった
ポールとのセッションの時に何度か凡ミスを
続けてしまい、ポールがスティックを持ち
「こう叩くんだ」と怒鳴るとリンゴは
「辞めてやる」と出ていってしまった リンゴ復帰のエピソードは、ポールが詫びを入れ
スタジオに花が飾られ、歓迎ムードだったという
しかし、リンゴ不在の間も、ジョンのプルーデンスの
録音を行うなどリンゴ不在でもレコーディングは粛々と
進行しており、しかも、リンゴ不在の2曲がアルバムの
冒頭に並んだことは、色々と憶測を呼んだ
一時脱退したもののレコーディング自体は前作より
楽しめたとリンゴはコメントしている この脱退騒動の直前、リンゴは既にセッション
ドラマーのような自分の立場に不満を募らせ
他の3人に「お前らは仲がいいけど、
俺は仲間外れだから辞める」と言って回り
3人とも「仲がいいのは俺以外の3人だろ」と
答えたという有名なエピソードがあるが
4人それぞれが孤立を感じていた
1969年9月20日ジョンが辞めたと宣言
したとき>>450、リンゴは「やっとか」と
グループの緊張から解放されることにホッと
した気持ちになったが、家に帰ると作曲を
しない自分が今後どうやっていくか
将来への不安に気持ちが沈んだという 幸い、クラインが金儲けに忠実だったおかげで
一番売れそうにないビートルを不安視し
儲け口を模索した挙句、映画の仕事をとってきて
それが成功しリンゴの新境地を開いてくれた
また、不安視していた音楽も他の3人が
リンゴのアルバにに楽曲提供やゲスト参加するなど
「友人たちからのささやかな手助け」で
70年代のリンゴはポールの次いで2番目に
シングルヒットの多いビートルとなった 解散に対するメンバーの見解
リンゴ
みんなやりたいことがバラバラになり
グループの枠に収まり切れなくなった
ジョージ
ビートルズは最初やりたいことを達成
するための手段だったが、いつの間にか
ビートルズでいることがやりたいことを
制限する足かせになった ポール
誰が悪いという訳でなく、バカだったんだ
こんな状況に自分たちを追い込んだ
俺たち自身がね
ジョン
俺が作って、解散させた、それだけの話だ
でも3人には中々言い出せなかった
(ヨーコがいなければ)その勇気がなかった リンゴは大人の見解
ジョージも大人の見解
ポールは分別がついて正直になった=いつごろの回想か?
ジョンはやっぱり生きて欲しかった
回想がコロコロ変わるので、その時思ったことをただ正直に話す
子供っぽいが自分の思ったことだけを話す
事実関係も交えてだろうが
特にヨーコ云々は嘘臭い >>580
ポールのは70年4月のイブニングスタンダードの
インタビュー、デイリーミラーの脱退報道の後 >>582
サンクス、デイリーミラーのソースが独り歩きしているのも
その後の対応の不味さからなんだろうな。本当に勿体ない
あと脱退宣言の1週間後にソロアルバム出したが
そこのブックレートでQ&Aがついていたが質問にNOを連発
解散は永久的なものと印象づけ
ジョン&ヨーコの活動も見ててちっとも興味がないとコメント
アルバムもお遊びに捉えられた部分もあり
ヨーコからポールにもバッシングされた事を考えると非常に残念だわ >>552
>広報のデレク・テイラーは1968年の
>ポールほど嫌な人間はいなかったといい
>コントロールフリーク(支配魔)と
>陰口を叩かれ、恐れられていた
ジェーンと別れた、というかフラれたことも一因だろうか ビートルズの他のバンドで完全にビートルズを超えているギタリストとドラマーが一気に回りを取り囲んだからさ
それでも曲の完成度を追求することをやめなかったから、解散したのさ
簡単な話じゃない?
ビートルズがいたら、他のバンドは当然ビートルズを抜くことを目指すじゃない?
ギターとドラムは完全に抜かれてるよ
ボーカルも一部抜かれてる
曲としては歌詞、メロディは今でも抜かれて無いところはたくさんある
あのまま解散しなかったら、歌詞、メロディも抜かれるから、抜かれないようにあえて解散したんだよ
まあ、アビーロード発表直後にキングクリムゾンが歌詞、メロディでビートルズを抜いてる所もあるけど、キングクリムゾンもビートルズの罠にはまって難解な世界に行った
レッドツェッペリンは始めからビートルズの完成度に照準を絞ってるから、デビュー時に完成度がピークになってる
ビートルズが出来なくてレッドツェッペリンが出来たことはロックを確立したところ
ビートルズはビートルズっていうジャンルだけど、レッドツェッペリンはロックだからね
ポールマッカートニーにもピンクフロイドの独自の世界には興味を持っていてライブ見に行って、プログレの世界に脅威を感じていた
プログレを作り出したのは間違いなくビートルズだよ
ピンクフロイドとかもビートルズとは違う世界を作ったからね
でもレッドツェッペリンを作りだしたのはビートルズじゃない
レッドツェッペリンを作り出したのは、ドラマーとギタリスト
ビートルズが劣っているところを攻めたのさ
音楽の世界だって競争さ
一番がいたら、一番を超す奴らが出てくる
何の世界でも一緒
オクトパスガーデンとかアルバムに収録してる場合じゃなかったのさ
アイミーマインとかアルバムに収録してる場合じゃなかったのさ オノヨーコの存在?
何の関係も無い
日本の若い女性が嫉妬してオノヨーコのせいにしてるだけ
オノヨーコは1960年代の始めから前衛芸術家をやっているけど、音楽に関してはビートルズに何の影響力も発言力も持ってない
おそらくビートルズのメンバーもオノヨーコがスタジオに入ってきてビートルズの音楽に対して発言をしても何も聞いちゃいないさ
唯一凄いのはレボリューション9さ
あれはジョンレノンがバンドの中でアルバムにどの曲を収録してどの曲はお蔵入りにするかの決定権を持っていたかの証明さ
ビートルズに対してはオノヨーコは影響力は持ってないけど、オノヨーコの世界をレボリューション9に注ぎ込むのがジョンレノンの凄い所
ポールの入りこんだ跡が無い
if u become nakid...
の世界さ ブライアンエプスタイン?
ビートルズが自分のマネージメント可能な領域を遥かに超えて、そりゃブライアンエプスタイン自身には巨額の富が入っただろう
しかし、自分のマネージメントできる領域を遥かに超えたから疎外感とかが出てドラッグに溺れて中毒死してるだろ?
つまりある時期を境にビートルズがエプスタインを必要としなくなったのさ
ポールとジョンでアップル設立して、マネージメントしようとしたけど世界一のミュージシャンでも世界一のマネージジャーとは限らないからね
でも結局は、版権にしたってあれだけの世界的な成功を収めてしまえば、それ以上稼ぐとか稼がないとかも果たしてジョンとポールにはあったのか疑問 ジョージマーチンがいなければ、ビートルズは初期で消えていたんじゃないかな?
ジョージマーチンの曲全体の構成力ってジョンもポールも持っていない世界
もちろんジョンとポールの作った曲の原石が凄いから、ジョージマーチンの構成力が加速させているようなところがある
解散の流れに入っていく分岐点は、ジョージマーチンがレットイットビーから降りた所だね
ここが大きい
何故降りたのか?
曲の原石の凄さとかは後年発表されたレットイットビーのネイキッドで証明されてる
ジョージマーチンの曲の構成力の凄さは後年発表されたラブで証明されてる
ジョージマーチンの手にかかれば、過去に発表された曲でもまた別の構成にいくらでも出来ることの証明がされてる 結局、解散の流れに入っていく分岐点であるジョージマーチンがレッドイットビーを降りた所
諸説あるけど、それはほとんど知られているところだから説明はいらない
ジョージマーチンはレッドイットビーを降りて、アビーロードでジョインしてる
レコーディングはアビーロードのほうが後
発表はレッドイットビーのほうが後
これはレコード会社との契約の問題があるから、発表しないわけにはいかない契約上の問題があったと考えるのが自然
アップルレーベルは独自レーベルとは言ってもそれまで世界中で販売されていたレコードを独自レーベルに変えても製作費、
それまで多額の費用をかけて築き上げた流通のルート、販売網に入りこんでいる業者が無数にあるから、仮にビートルズがレットイットビーをお蔵入りにしたくても出来ない
ここらへんの巨額な金の動きがビートルズとは関係無いところで莫大な利権として確立されてるから、ビートルズを解散させる方向に流れる訳が無い
でもビートルズはレットイットビーを放棄した跡が有り、ジョージマーチンも降りてる つまりは、ビートルズ自体が世界的な成功を収めてしまったので、商品としてのビートルズの価値、レコード販売枚数としてのビートルズの価値がビートルズのメンバーの存在以上に桁違いに上がってしまった
するとある大きなところが見えてくる
世界的に成功を収めたバンドは、世界的な成功を収めた瞬間から巨大な音楽ビジネスの手中に置かれてしまうってこと
メンバー同士の仲が良かろうが、不仲だろうが、音楽の方向性が違うかかろうが、巨大な音楽ビジネスを一手に握る人物なり組織からしたらビートルズは極めて商品価値の高い商品でしか無い
この視点から陰謀だのを論ずるつもりもないが、ブライアンエプスタインの手の及ばない何者かがビートルズが世界的な成功を早い時期に収めた瞬間から、利権化しようと戦略を練っていたと考えるべき
むしろ考えないほうがおかしい
ちなみに最初にこの巨万の富を生み出すビートルズに目をつけていたのはイギリス本国
国が外貨獲得の手段としてビートルズを選ばない筈はない
ビートルズもタックスマンやアディインザライフでサインを出してる痕跡がある
アディインザライフの
I saw a film today oh boy
The English Army has just won the war.
って所
これは歴史的にもイギリスは戦争に勝ってるけど、イギリスはビートルズにも勝っているって意味が隠されている
イギリスにとって見ればビートルズはイギリス有数の世界的な価値がある商品
全世界規模で売れる商品であると同時に単に金銭的な価値を超えて、文化、ライフスタイル、人間のある種の価値観、考え方にまで影響を与える存在になっている つまりビートルズを解散させたのはイギリスという国と音楽ビジネスの一番根底の所を握りこんでいた人物または組織
国なり人物なり組織からビートルズを解散させたということではなく、ビートルズ自体が結局、国などの支配下に置かれていることに嫌気が指して解散したのさ
まずはジョンレノンがこのことに一番先に察知している
どんなに世界的な成功を収めても世界は変えられないこと
この後のジョンレノンの動きが証明している
mbe勲章をイギリスに返してる
レボリューションの曲の中で
「自分はこの革命のメンバーとしてカウントしないでなくれ」とサインを出している
つまり、この時点から自分の死が見えていた
ジョンレノンのインタビューで、想像を遥かに超えたこの世界の巨悪によって自分が殺されるかもしれないと発言している
つまりは戦争を肯定しないという考え方だ
ジョンレノンは戦争は肯定が出来ないし、ポールのように戦争に関するキーワードを避けるような人間では無いから、戦争を肯定しない路線に入っていく
イギリスはよほど嫌いな国だったのだろう
アメリカと闘い永住権を得ている
なんでイギリスにいないで物騒なアメリカに永住するのかというのは一般論であって、巨額の外貨獲得の役割をビートルズ解散によって降りたのだからイギリスを敵に回したことになり、本人はイギリスにいることのほうが危険だと判断した跡がある ジョンレノンはソロになってから音楽活動を中止している時期がある
ジョンレノンが音楽活動を休止することは不自然
ソロになる前からプラスティックオノバンドで戦争を全否定の路線に入りこんでいる
ニューヨークでのwar is overの活動
ソロになってからの戦争を否定する曲
アメリカではイマジンは放送局では流せない
アメリカは戦争も商売の道具としている国
ジョンレノンは最終的にはこの世界で最も厄介な敵と闘う宿命を負わされる
ビートルズにならなければ、違う人生もあったのにここまで発言力、影響力を持ってしまうと大きな敵は誰なのかがわかってくる
ビートルズはイエスキリストより有名であるとビートルズ時代に言った言葉によって、自分の敵の存在を知ったことがわかる
大きな敵の存在を知っていれば始めからこんな発言はしない
ソロになってcold turkyという曲を発表しているが、スラングでcold turkyとは、ヘロインを摂取した後に来る快楽の前の死ぬより辛い苦痛のこと
歌詞を追う限り、実体験が無いとこんな歌詞は書けない
つまりジョンレノン自身、自分の死は見えていたのでドラッグ中毒になっている時期もある
音楽活動を休止したのも精神破綻した跡がある ビートルズ解散の理由は、ビートルズの影響力が桁違いに大きくなってしまい、特にジョンレノンが大きな敵の存在がわかってしまったということだろう
ジョンレノンがイギリスにmbe勲章を返した理由として
1.イギリスがビアフラに軍事介入をしたから
2.cold turkyがヒットチャートのランク外になったから
上記の理由を公言している
1の理由が一般的には通っていて、2はジョンレノンのジョークとしてしか伝わっていないが
cold turky自体がビートルズ解散直前に発表されている
つまり、ビートルズの敵、ジョンレノン自身の敵が誰かがわかってヘロイン中毒になるほどシビアな現実から逃れたかったのに、イギリスは何もしてくれなかったと言うことに対する抗議をしている
そしてジョンレノンがここまでわかってビートルズを終わらせたのさ
ポール脱退が先で、その後ビートルズは解散したことになっている
ポールにはビートルズをやめる理由が無い 後にも先にも戦争を否定するメッセージを込めた曲を歌ったのはジョンレノンだけ
世界的な成功を収めた影響力を持つ人間が戦争を否定したらどうなるか?
殺される
本人が一番わかっていたのさ
レッドツェッペリンのデビューアルバムのジャケットを見たらわかる
敗戦国のドイツの誇っていた飛行船ヒンデンブルグ号が燃えながら落ちていく写真がジャケットになっている
つまり、レッドツェッペリンはそう言うことも全て計算の上でデビューしている
戦争や国に対して何らかの異議を言うって命がかかってる
レッドツェッペリンは始めからドイツと言う国を敵に回す形でデビューしている
たとえ相手がどんなに巨大な敵でも向かっていく
それがロック ビートルズが世界に与えた影響力は国単位で起きている
ビートルズは単なる音楽では無く世界を変えるパワーを持っている
ビートルズ信者とかそういう話では無くて
旧ソ連でビートルズの曲を聴いただけで刑務所に入れられる時代があった
そんな時代でもビートルズのレコードをレントゲン写真に針を入れて密輸入し、密かに国民が聴いていた
その人が今の大統領のプーチン
ビートルズもバックインザUSSRを1968年に発表している
USSRとは旧ソ連のこと
レコード密輸入の話はビートルズも知っていたからこう言う曲が出せる
旧ソ連時代に鉄のカーテンが降ろされ、今の北朝鮮並みの言論統制が敷かれていた時代に歌詞の中で
ウクライナのおんなは抜群でさ
なんてふざけた調子で歌ってるビートルズ
だから近年、ポールがモスクワの赤の広場でコンサートを開催したりできるわけ
ビートルズはもはや音楽を超えて歴史になってる
ここのスレにはもう書く事もないが、、、、
ポールがどうの、ジョンがどうのと自分と同じ目線にポールやジョンがいる訳ないのわかろうよ ザ フーのドラマー
クリームのドラマー
レッドツェッペリンのドラマー
ピンクフロイドのドラマー
こんな連中が勢ぞろい
リンゴのドラムはストロベリーフィールズやトゥマローネバース聴いたら、前にこんな叩き方する奴いないのに何でリンゴはこんな凄叩き方できるの?
って今でも凄いとは思うけど、スタジオ録音なんだよね?
ドラムの音を収録したトラックのテープの回転数変えられるし、当時テープ逆に回したりとかいろんなことしてるからね
そうするとピンクフロイドあたりのライブとか他のバンドのライブのドラムの凄みがわかってくる
ライブに復活して演奏したら、他のバンドのドラムにはかなわない
だから、いろんな意味でルーフトップでのゲットバックの演奏終わった時に自嘲気味に
「これでこのグループはオーディションは通ったかな?」なんて言ってるところがある
アビーロードの最後でドラムのソロがあるけど、まあリンゴが叩いてるとして、半拍刻みが早いところがある
プロのドラマーなら絶対にしない
リンゴも孤立していただろうけど、聴いてるほうも辛いぜ ポールの厨房曲は時が経つと飽きられ色褪せ評価は下がる一方だが
ジョンの普遍的で本物志向の曲は時と共に評価が上がっていく。
↓
●●後期ビートルズもジョンのおかげで持った●●
イギリスの音楽誌『アンカット』が、ビートルズ・ファンの
アーティストや音楽関係者を対象にビートルズ・ナンバーの人気投票を行なったところ、
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が1位になった。
5月31日発売の同誌6月号によると、
投票したのはポール・ウェラー、ブライアン・フェリー、
オアシスやレディオヘッド、REM、トラヴィスのメンバーなどおよそ100人。
1位は「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」
2位は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、
3位は僅差で「アイ・アム・ザ・ウォルラス」
4位「トゥモロー・ネバー・ノウズ」、
5位「イン・マイ・ライフ」、
6位「アクロス・ザ・ユニバース」
7位「サムシング」、
8位「レイン」、
9位「ヘルター・スケルター」、
10位「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」
ポールの曲は1曲のみという結果に! >>592 ジョンはカム・トゥゲザーでその存在を暴露してるでしょ。Shoot me!なんて煽ってる。あの曲は凄く危険な曲。マイケル・ジャクソンも自身のライブであの曲をカバーしたとき、冒頭で例のハンドサインを出してる。 >>591
レボ1では「カウントミーアウト、イン」って
まだどっちつかずだったのにジュードのB面の
リテイクの方はアウトって言い切ってるってのは
昔から色々憶測を呼んでたからな ビートルズが70年代もそのまま活動したとしても周囲の状況がスーパーバンドだらけになっても
おそらく人気は維持できたと思うよ
昔ジョンの魂、イマジンとポールのバンドオンザラン、ラム、ジョージのオールシングスとダークホース
の曲を混ぜてマイベストのテープを作って車で聞いていたが
ツェッペリンやフーよりも全然いい感じだった。ポップなセンスとクオリティが高いが個性もばらけて
飽きがこない
スタジアムライブでもなんとか乗り切っていたんじゃないの?演奏や声量はともかくもカリスマ性は
凄かったわけだし >>600
確かに、
ポールやジョンがソロになった後でも良質な音楽を出し続けている
ポールは音の散りばめ方が最高だし、ジョンは音は散りばめはしないけどストレートな歌が多い >>599
そう、レボ1ではまだcount me in outって歌ってる
この時期はストーンズが悪魔を憐れむ歌で、
誰がケネディを殺した?なんて歌詞を歌ってる時代
ベトナム戦争真っ只中の時代で、世界的に影響力のある人間の言葉ってインパクトを与えていた時代 完成度が高くなって、さらに完成度あげようとしたら、ジョージのギターとリンゴのドラムって不要
ジョンのギターも不要
ポールにしたってベースが進化していない
作詞、作曲はもっと完成度上げられただろうけど、楽器がついていけなかった ジョンのたった一度のNY.MSGライブを見ているとビビりがハンパないからな
マザーのところでレコードのように声がでない
苦笑いし首を傾げては恥も外聞もなくキーを落していったところは笑えたが
キーボードも弾き方がピアノ弾きじゃないもんな。指を伸ばして
コードを叩いている感じが精一杯なのにそれなりの演奏ができるのか不思議というかセンスなのかね
でも、青息吐息で凄くぎこちなく素人半がやっているようにしか見えない
ヨーコは幼少からたしなんでいたから
確かにピアノは上手いな、今にも滑りそうなジョンを必死にサポートしていた >>705
キーボードだったね
何がいいたいのかというとライブに対する自信が丸ごと喪失した出来事だったという事
2年後エルトンのライブに飛び入りしたが酒浸りで声が潰れているのおバレて話にならず
ジョージもこの時期ツアー失敗したから共倒れの様相
ポールがそれをみたのか別としてライブを一番楽しんでいた時期と重なる
なおジョンはこのライブ盤を出す気は最初あったよう。サムタイムが酷かったから
これで挽回するつもりもあったのだろうが出来の悪さに意気消沈してオクラ入りにした
ジョンが死んで6年後の1986年ヨーコが切り売りバーゲン第何弾目か忘れたが
そいつをリリースさせた
一方ジョージは1974年ライブは一生出さないと決心したのだろう。今でも陽の目みない スマンアンカー間違えた
>>705ではなく
>>605の間違い、俺も酷いわw スマンアンカー間違えた
>>705ではなく
>>605の間違い、俺も酷いわw ジョンレノンはトータルでは凄いとは思う
ただ、How do you sleep?
ってどうなの?
ってことは思う
あとはGodの歌詞
自分を信じるって歌詞はわかる
自分とヨーコは信じるって歌詞は嫌だ
自暴自棄さえもさらけ出す所がジョンレノンにはあるけど、
ビートルズの時の
I am so tired
とかさ
俺は疲れてるって歌詞を歌う神経が嫌
誰もお前が疲れてるなんて叫びなんて聞きたくない >>609
じゃあヘルプも聞きたくないのか
コールドターキーなんてもっての他だな >>609
How do you sleep?はポールが雌羊であちこちで主語だけ抜いた
当てこすりをしたから倍返ししたんだろう
後年やりすぎとか自分に当てたものとか下手な嘘をついているが
当時ポールに対して憎悪や嫉妬していたのは事実だから
辛辣なジョンが聞けてかなり面白いと思ったけど
これは俺の見方だが、ホワイトのジュリアあたりからヨーコの影響は顕著になったよね
ネタ元も彼女の詩集のものに頼ってさ
だから自己を曝け出すというより、妻ヨーコの影響下で取った合法パクリだと思うよ
ただ話を盛ってしまうところあるね、ビートルズ末期からのジョンの特徴で誇大妄想なんだろ
Godではヨーコと俺を信じるとか半分嘘ついてさ、エゴが強くて我儘し放題
妻を捨ててヨーコに乗り換えて変な活動してばかりで周りは引いてもお構いなし、本音は俺だけだろって感じ
一方でヘルプは自分で悩んだ末の気持が精一杯というかヤケな状況がよく出ていて好きだ
なんていっても疾走感がある曲がいい。これこそロックンロールなんだなと思う
真夜中を突っ走れは曲はイマイチだが、同じ理由で歌詞は好きだな
プラスチックオノバンドって、本質はジョンのブラックジョークのまんまで
プラスチック(紛いもの)なんだよ
アーサーヤノフの原発治療も効果は認めるが泣き叫ぶ写真を撮ろうとしたの見て
幻滅して失望し治療をやめたとか言っている juliaのocean child
ってとこ
まんま洋子ってこと
でもソロになってからjuliaと同時期に作曲された
look at me
とかのギターのアルペジオ
これはいつ聴いても染みる 結局、ポールからしてみればジョンは
「この反戦野郎!」
ジョンからしてみればポールは
「この商業主義野郎!」
なわけですよ
お互い、相入れないようなところがある
例えばホワイトアルバムのマーサマィディアと
アイムソーみたいな対比
聴いてるほうはこの対比がビートルズの面白いところの一つなんだけど、それぞれが曲書いて歌ってる時の状況て、どっちがビートルズとして後世で評価されるのかみたいなもんはあったと思うよ
あれだけ世界中から注目されているビートルズがリボルバーあたりまではある種の危険なビートルズの雰囲気があってマジカルミステリーツアーでジョージまで危険な雰囲気が出てきて、、、
そんな中でハローグッバイとか無いじゃん?
ポールは危険な世界に入っていきたく無かったような曲まるだし
ハローグッバイとかマーサとか
ジョンレノンはセイウチとかどんどん危ない曲が書ける
ジョンレノンが危ない方向に行けば行くほど、ポールは安定路線維持みたいなところはあるなあ シルバービートルズの頃の曲とか音聴くと、こいつらあぶねえ奴らだなって思える曲がある
メンバーはビートルズのメンバー以外も入ってるんだけど音自体が相当な不良がやってるような音
キャバーンクラブで連日連夜、演奏した後、どれだけ危ない日々を過ごしていたのかって感じ
そういうある種の危なさがビートルズにはあって、レコード屋のエプスタインがそれじゃ有名になれないからって優等生な格好や髪型にしてデビューから始めの数年は優等生バンドやってる
ラバーソールあたりからかな?
それまでの優等生バンドは辞めて、歌詞も危なくなってメロディーも危ないメロディーがちょいちょい出て来てる
drive my carとか
リボルバーなんてtomorrow never knows
でもろわかり
こんな曲を書ける背景は、やはりドラッグの影響がある
危ない路線に行ってる
そこがまたビートルズの凄いとこなんだけどね ピートベストとかまんま不良だし、サトクリフはあの若さで脳腫瘍だかなんだかで死んだことになってるけど、ビートルズがあそこまで有名になったから、ビートルズの過去の暗い部分なんて隠すだろうな
死因なんて薬物中毒かもしれないし本当の本当の話なんて出てこない
ジョンレノンもポールも10代で結婚してるし、裏でどれだけいろんなことやってたかなんてビートルズの華やかさを打ち消すから表になんか出てこないでしょ?
ノルウェーにしたって、ジョンレノンの内緒の女との生活が出てくるし だいたいポールにしたって、デビューから数年で普通なら一生かけても体験できないような男女の愛を10代のうちかはこうつらつら書けんのかと思うよ
才能もあるけど、かなりいろんな体験がベースにある
だいたい普通のバンドなら名声、財産、女のあらゆるものを手に入れたらあとは、手抜きして好き勝手にやるじゃん?
ところがビートルズって何で一曲、一曲でガラッと変え続けられるのかって思う
こんなにいろんな実験を繰り返したバンドって他に無い
繰り返し続けて、繰り返すことが無くなって解散したのかなって部分もあるね
ジョンレノンは、その点、プラスティックとか奇妙なことをやり始めるようなところがあるけど、ポールには自分が築きあげた黄金の旋律みたいなところははずしてないね
ヘルタースケルターはかなり凄いと思うけど ビートルズ時代のポールはそれなりにスリリングだと思ったよ
オブラディ、マックスウェルはもうジョンの欠片もなくてさ、ていうかヨーコといちゃついて
全くデモも聞いてなくて「ポールOK」だったんだろ
反面ポールはジョンへの意識は最後まであっただろうね
危険な才覚や閃きとか、わけのわからんヨーコの影響も混ざってきてたけど
カムトゥゲザー、アイウォントユー、レボ1やハピネスなど聞くとさ
こいつやっぱりすごいものがあるなとポールなりにビビる
他方で滅茶苦茶A面に拘ったのは一体なんだろうな
モロにA面向けの曲を向きになって量産してさ、ハローグッドバイは露骨すぎる
あれはレノンマッカトニーの生態を壊すようなことなんだよな
ジョンはひねくれてしまったが、意地があったのかジョンとヨーコのバラッドを出せと
ポールに迫ったりしたからな
その代りポールのドラムにケチはつけん、リンゴも面倒くさいから呼ばんでええ
前から思っていたがお前の方が実は上手いと思っているとか言ってたんじゃないの
もう相当ふたりの間は破局に近づいていたが彼なりのビートルズ愛はそこそこあったかもな ハローグッバイがレノンマッカートニーの生態を壊した
それはあるね
マジカルミステリーツアーのあたりが分岐点なのかと
ジョージも深い霧の中に入りこんでいくような曲を出したり、東洋世界に目覚めちゃって、自分の音楽の世界に取り入れたりしていってる
他のメンバーもビートルズでしか出来ないような世界を追い求めてるような跡があって、オールユーニードとか、今までのホールでのライブでは無く、テレビで世界7ケ国同時中継とか、新しい試みを行っている
単なるポップなバンドからメッセージ性のあるバンドへと成長を遂げてる
もちろんポールだってその後、深みのある曲は書いて
る
てもなあ
あのハローグッバイだけは無いなあ リボルバーはポール作の潜水艦で沈没。
アビーロードはポール作の銀金槌で破壊。
509 :ホワイトアルバムさん:2013/10/03(木) 22:10:06.53 ID:???0
ビートルズは、狡猾なポールの裏切りで解散。 ビートルズはジョンで始まり
ポールで終わった
そこにヨーコがとどめw >>615
う〰️ん
唸ってしまった
興味深い 結局の所、ビートルズとしてデビューする前に裏でどんなことをやってたかってこと
女なんか山の様に群がっていただろうから、とっかえひっかえの毎日だったのさ
危ない薬とかアルコール、未成年とかお構い無し
キャバーンクラブでヒーローだった訳だから、規模は小さくても興行的には成功していた
金も動いて、金に群がる興行主も当然いただろう
元はリパプールのどちらかと言えば貧しい家庭で育った不良な訳よ
一攫千金を目指してハングリーな中でやっていたデビュー前のビートルズが原点
いったいこの不良共は、日々どれだけの危ない日々を送っていたかなんてビートルズが世界的な成功を収めたから誰も言わないだろう
国から受勲されて、外貨獲得。
そんな彼らにビートルズのコアな部分があると思うね
レコード屋のエプスタインが目を付けたのも、こいつらは他のどのバンドとも違うものを感じ取ったからなんじゃないかな?
ビートルズってアブねえ奴等なんだよ
もちろんエプスタインもコイツらが化けて金儲けの道具に出来るから彼らに近づいていったのさ
髪を整えて、不良の匂いのする革ジャンとか脱がせて優等生的な身なりにさせ、デビューさせた
エプスタインもビートルズが世界的な成功を収めた後は莫大な富を得たし、莫大な富を得てしまえば何でも金でできることは一通りやっただろう
女、ドラック、酒、栄華を極めた生活
やがてエプスタインのスピリットがいかれちまったのさ ビートルズの解散の理由?
それはビートルズのメンバーしか知らないし、今後も一切明かされない
断片的にはメンバーのコメントも時を経て出ることだろう。
なので、このスレに書いてある全てのことは私自身の物も含めて主観的な物に過ぎない ジョンは格下と思っていたポールの才能開花にショックを受け、ヨーコやドラッグに逃げた。
リーダーシップをとれなくなったというか、とらなくなった。結果、ポールがみんなをひっぱろう
としたが、音楽的才能はあるがリーダーには向かない性格だった。結果解散となった。 ポールの書いたデビュー曲「ラブミードゥ」はヒットせず
ジョンの「プリーズプリーズミー」で大ブレイク
ジョンの「抱きしめたい」で世界制覇
初映画「ハードデイズナイト」の主題歌はジョン
次の「ヘルプ」もジョン
世界初の宇宙中継「愛こそはすべて」もジョン
サイケ時代の代表曲もほとんどジョン
好きな曲アンケートも、会いたいメンバーもジョン
肝心の部分ではすべてジョンなんだよ
これ以上お前らは何を望む? ?
赤盤青盤の
ラブミードゥ
オブラディ
サブマリンは屑。
ポールの糞曲はビートルズの恥。 ★初リードヴォーカル曲対決
ラヴ・ミー・ドゥ(全米1位)
ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット(全米2位)
プリーズ・プリーズ・ミー(全米3位)
ジョ、ジョージさんにも敗北・・藁
★初オープニング対決
アルバム:ポール(AB面共)
シングル:ポール(AB面共) ポールの厨房曲は時が経つと飽きられ色褪せ評価は下がる一方だが
ジョンの普遍的で本物志向の曲は時と共に評価が上がっていく。
↓
●●後期ビートルズもジョンのおかげで持った●●
イギリスの音楽誌『アンカット』が、ビートルズ・ファンの
アーティストや音楽関係者を対象にビートルズ・ナンバーの人気投票を行なったところ、
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が1位になった。
5月31日発売の同誌6月号によると、
投票したのはポール・ウェラー、ブライアン・フェリー、
オアシスやレディオヘッド、REM、トラヴィスのメンバーなどおよそ100人。
1位は「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」
2位は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、
3位は僅差で「アイ・アム・ザ・ウォルラス」
4位「トゥモロー・ネバー・ノウズ」、
5位「イン・マイ・ライフ」、
6位「アクロス・ザ・ユニバース」
7位「サムシング」、
8位「レイン」、
9位「ヘルター・スケルター」、
10位「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」
ポールの曲は1曲のみという結果に! 憎悪厨板を荒らしまくる宣言
647 ホワイトアルバムさん[sage] 投稿日:2018/11/24(土) 17:17:52.43 ID:???0
ポールファンスレ以外に適さない書き込みは書き込んだことを後悔し惨めな気分になるまで徹底的に叩きのめす ジョージハリスン関連で間違いがありました
ちゃんと確認せずに思い込みで書いてしまいました
ごめんなさい
>>540
ジョージはレボリューション9に参加しており
(彼とスタッフの会話が収録されている)
収録に賛成だったとのことです
>>566
ジョージが辞めると言って出ていった
日について間違いがありました
ゲットバックセッションの全日程が
詳しく載った本によると
69年1月6日
ポールとジョージの口論(アンソロジー8収録)
1月7日
ポールが全く何も言わないジョンに不満を言う
1月9日
ジョンとジョージの間が一触即発に
1月10日
昼食時にジョンとジョージが喧嘩になり
ジョージが出ていく >>584のジェーンとデレクテイラーに
ついての補足です
ジェーン・アッシャー
ポールはイギリス北部出身者の典型的な
亭主関白気質を持っていたが、
ジェーンは子役時代からの叩き上げで
10代で女優としてのアイデンティティを
確立しており、家庭に入って夫を支えるという
考えは相手が世界一のポップスターであろうと
全くなく、遅かれ早かれ破局は不可避だった
そんなジェーンへのポールの苛立ちと不安は
I’m lookin’ through You などに現れている
ジェーンは、酒と言えばビールか
ウイスキーのコーラ割りだったポールに
ワインを教え、デートは映画、演劇、
ミュージカル、美術館巡りと上流階級の
文化をレクチャーしてくれる
ナビゲーターでもあった そしてジェーンの兄ピーターとその友人の
バリー・マイルズ(後のアップルの前衛部門
ザップルの責任者、ポールの伝記「メニー・
イヤーヤーズ・フロム・ナウ」の著者)は
ロンドンのサブカルチャーをポールに紹介した
>>533
また、ジェーンの母マーガレットはポールに
とても優しく、ポールがアッシャー家に
下宿していた頃、不眠症だったせいもあったが
どんなにポールが夜遅くに帰っても温かい
夕食を用意し、服を洗濯してくれた マーガレットは王立音楽院でオーボエの
講師をしており、同僚のピアノの講師を
ポールに紹介し、ポールは本格的なピアノの
手ほどきをを受けることが出来た
そして何よりマーガレットの教え子が
ジョージ・マーティンだったのだ
マーティンはアッシャー家と仲が良く
ジェーンもよく知っていたことから
他の3人はマーティンがポールを
贔屓しているとやっかむ一因になった 仕事重視のジェーンに不安を
抱きつつも婚約し、アッシャー家を
出て自宅を買い同棲を始めたが
ジェーンは長期の劇団公演のために
渡米してしてしまう
ジェーンとの直接の破局の原因は
ジェーンのアメリカでの仕事中に
連れ込んだ浮気相手との現場を
予告なしに帰ってきたジェーンに
見られたことだった この浮気相手はフランシー・シュオーツ
というアップルに勤務していたアメリカ人で
ジョンがホワイトアルバムの録音でヨーコを
スタジオに連れ込むようになるとポールは
フランシーを口説きスタジオに入れた
ジョンのすることは自分にもする権利が
あるという幼稚な対抗意識だったのか
「お前のやってることはこんなにみっとも
ない」という当てつけだったのか、
とにかくジョンには全く効果がなく
スタジオの雰囲気を更に悪くしただけだった