ビートルズ - Kusopedia

概要
イギリスのお笑いカルテット。
メンバーはタレ目(パウル)、ガリ(ゲオルグ)、鼻(リングオー)、顔デカ(ジオン)。
パウルが3人にツッこむスタイルで1960年代のお笑いシーンをリードした。
お笑い最大手のホンマデッカでオーディションを受け、鉄板ネタ「クール宅急便」「スッパムーチョ」を披露するも落選。
しかし1962年、EMIのお笑い専門レーベル、ペーロフォンに左遷され路頭に迷っていた城島Pに拾われ「ラブ・ミー・プゥ」でデビュー。
1963年には「泡な放尿ハンド」でお笑い界の頂点に立つ。
パウルがガニ股のジオンに「インキンか!」、ガリガリのゲオルグに「虚弱か!」、物憂げなリングオーに「無気力か!」と突っ込み一躍時の人となるが、1965年頃から空席が目立ち始める。
急遽パウルは「イエスタデイ」を書き上げ、ビートルズは音楽バンドに転身。
しかし「お笑いが忘れられない」という理由でジオンは徐々にグループから離脱し、1970年、ついにビートルズが解散。
パウルはソロでも音楽で世界的ヒットを飛ばし続けた。

フィリピン事件から解散まで
フィリピンでは「聞いてないよ〜」とボケをかますが全く受けず、フルボッコにされる。
以来ビートルズはスタジオにこもり、パウルは音楽に専念した。
一方のジオンは芸人の尿子に出会い、フルチンパフォーマンスで体を張ったお笑いを見せつけたが無視された。
また8分を超える渾身の新ネタ「お笑い革命第九」をアルバムのハイライトに配したが誰も聞かなかった。
ゲオルグの誘いでインドのお笑い仙人にも接触したが逆効果だった。
ゲオルグはインドで田島春から排泄効果音を学びビートルズに取り入れたがこちらも酷評された。
リングオーはお笑いライブ停止以降暇を持て余し、夜の街に繰り出した。友人と飲み歩いている間にビートルズは解散していたという。