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■ナポリ君を観察するスレ■ [転載禁止]©2ch.net
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0001ホワイトアルバムさん
垢版 |
2015/11/27(金) 21:38:18.41ID:CwTXitG20
ビー板名物の自作自演の妄想、ガセネタレスを10年以上に渡り
延々と貼り付けているナポリ君の心情を考察しましょう
0013ホワイトアルバムさん
垢版 |
2015/11/29(日) 09:31:07.81ID:???0
ビトルズ - Minipedia

概要
イギリスのお笑いカルテット。
メンバーはタレ目(サンポール・マッカートニー)、ガリ(オツージ・ハリスン)、鼻(チンコ・クサー)、顔デカ(ション・ベン)。
サンポールが他の3人にツッこむスタイルで1960年代のお笑いシーンを牽引した。
1962年、EMIのお笑い専門レーベル、ペロペーロフォンより『ラブ・ミー・プゥ』でデビュー。
1963年のシングル『アホな放尿犯』の勢い溢れる尿酸は遥か彼方のアメリカ大陸に着地した。
サンポールがガニ股のションに「インキンか!」、ガリガリのオツージに「虚弱か!」、物憂げなチンコに「無気力か!」と突っ込み大人気となるが、1965年頃からスタジアムに空席が目立ち始める。
急遽サンポールは「イエスタデイ」を書き上げ、ビートルズを音楽バンドに転身させた。
以後ビトルズは主にサンポールの作品によって世界一の音楽グループとなる。
しかし1970年、「お笑いに専念したい」という理由でションが脱退宣言し、ビトルズが解散。
ソロ時代もサンポールは音楽で世界的ヒットを連発した。
ションは相方ニョーコとフルチンパフォーマンス等でウケを狙ったが無視された。
0014ホワイトアルバムさん
垢版 |
2015/11/29(日) 09:34:08.56ID:???0
フィリピン公演以降の来歴
フィリピンでは「聞いてないよ〜」のボケをかますが全く受けず、フルボッコにされる。
ビトルズはスタジオにこもり、お笑いを封印した。
と思われたがションは芸人のニョーコに出会い、『レボリューションNO.9』などのギャグを飛ばした。インドのお笑い仙人マエバリシの講義にも積極的に参加した。
こうした中、サンポールはカメラマンのリンダ・イーストキンが類い希なる「音程外しの達人」であることを知り、近い将来形成するであろうお笑いバンドに欠かせないと判断、結婚に至る。
一方オツージは地味ながらも徐々にセンスを磨いていき、1966年にはインドのお笑いを取り入れ才能を開花させる。
チンコは存在そのものがギャグであった。友人と飲み歩いている間にビトルズは解散していたという。
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