もしもビートルズが70年代も活動してたら
70年代も解散せずに続けてたらどうなってたと思う? 売り上げの方は相変わらずあったと思うけど・・・ 70年代も解散せずに活動とはいうもののジョンとヨーコの関係はどうなんの? 変わらないだろ ビートルズ活動時から、ヨーコと2人で活動してアルバム出してるし 並行してやってたんじゃないかな 70年代後半は、やっぱジョンの隠居で休止だろうけど 最もビートルズ再開の可能性が高かったのは 84年あたりに、MJがビートルズの版権を買おうとして JとPが協力して取り戻すパターンだね アメリカデビュー20周年記念で大々的にレトロブームの流れで再活動! 翌年のバンドエイドの大トリでライブ復帰! だったら最高だったなあ・・・ >>197 生きてたらの仮定の話つながり>>186 実際ライブエイドの時には直前までジュリアンを入れて再結成の噂出てたよね。 1984年のある日 「なんかアフリカ難民を救済する企画があるんだってよ、ジョン」 「なぬ?それだったら重い腰を上げてやらなくもないぜ、ポール」 って感じで、二人が一生懸命ひざ詰めで楽曲を共作しました。 コンペの結果ボブ・ゲルドフ作の「ドゥーゼイノウイッツクリスマス」が選ばれました。 歴史が変わらなくてめでたしめでたし 人類は反宇宙に行かなくて済んだのです (おしまい) J「平和運動なら昔取った杵柄だ、任せろ」 P「いやカンボジアやってる自分が」 G「いやいや、難民救済なら拙者の出番でござる」 P「ならプロデュースは吾輩が」 A「金の話なら儂がおるぞ」 R(こいつらどこから湧いて出たんだ・・・) ただジョンは、ボブ・ゲルドフと上手く意気投合したかどうか疑問w USAフォーアフリカにも、なんだかんだ皮肉言って噛みついてたかもなあ ビートルズの版権の事で、MJには良い感情持ってなかっただろうし ライブエイドで、皮肉たっぷりに「Money」歌って欲しかったw ジョンの射殺もなかっただろうな それだけが残念だな >>205 いや、あそこで死んでなかったらボウイみたくなってたよ 80年に復帰して、もしシングルが1位になってたら ジョンはイギリスに帰るつもりだったんだよね ミミ叔母さんも高齢だし、家族でいつでも会えるように近くに引っ越したいと・・・ イギリスに帰っていたら事件は起きてなかった プログレやったりグラムやったり サザンロックやったりパンクやったりしてたんじゃね? なんか笑えるな >>208 富田勲とのコラボは規定路線だよ。もし生きてたら。 (富田先生自身がラジオで語っておられた、直接のオファーがあったと。) ジョンが次にトミタとやりたがったちゅーことは、ルーツ回帰ではなく プログレ→アンビエント?路線まっしぐらで何か壮大にやらかした可能性は大w (それが壮大になったか粗大になったかは、イフの世界) でもイーノやフリップとも組んだんじゃないかな? その感じでいうと。 いや、ジョンは音楽的にそこまで好奇心は無い 基本的に「ロックだけがリアルで他はどうでもよかった」って人だから 清志郎や内田裕也がロック以外に興味持ったか? それと同じ ヨーコがいるからそこまで保守的にはならなかったと思うんだけどなあ >>210 いや、そういった印象論じゃなくて 現に死の直前に「ジョンレノンが富田勲にオファーしていた」 という事実に基づく推論だよ。 本文の趣旨を理解しろw >>210 まービートルズ時代に”9”のようなミュージックコンクレート作品含め 音楽的にあらゆる可能性を追求してたのが、メンバー中でもむしろジョンレノンだったろ? 好奇心がない、なんてことありえねぇよw 逆。 ソロ期(70年代)にはその気配がなかっただけで、 本来気まぐれ屋だから、封印してたプログレ・サイケ的な昔の音楽性に 80年頃に再度気が乗った、としても不思議でもなんでもないと思う。 だから、それはプログレじゃなくて、 ヨーコ経由で知ったジョンケージの影響だろって、 「〜は過大評価」スレでも訂正してただろ。 何で、そうプログレに関連付けたがる? プログレに金でも貰ってるのか? プログレッシヴという単語の意味で受け取れよ 相当コンプレックスあるんだなお前 プログレくん、相変わらずだな ジャンルを指すような使い方じゃん、>208以降の流れはどう見ても サイケ路線もビートルズ期にやり尽くして、ソロでは逆に 余分なものを極限まで削ぎ取った境地に達した ロックの初期衝動に戻ったカバーアルバムを残して隠居し 復帰作では「メリーゴーランドからはもう降りた あとは勝手に回ってくれ」と歌って生涯を終えた なんか、決まってたかのような人生だな まあ当時馬鹿にされまくったからなあ さぞやうらみつらみもあるんだろうよ>>216 には もしもビートルズが西暦700年代にも活動していたら さっぱりわからない。 情報が少なすぎ。 ブリテン島の8世紀は野蛮すぎ。 ハードロックやサザンロックの影響でヘヴィなロックアルバムを製作 次作でプログレの要素を3分間のポップソングに纏めたようなアルバムをリリース パンクブームの裏でレゲエやミニマム音楽製作するなど迷走期 80年代直前、商業音楽時代到来を予見したポールの提案でAORやダンスミュージックの要素をもつシンセポップに転向(ほぼ全曲ポール作) ミルク&ハニーのクォリティの低さを見るとジョンの才能も枯れ始めていたんじゃ…と思わせる 70年代末期、ジョンはSFやオカルトブームにどっぷりだったらしいねw MTVも、もしかしたら面白がって長編MVとか作ってたかもしれない 80年代に入ると、日本が好景気でバブルに一直線だったから もしかしたら日本に移住してたかも 70年代後半まで続いて ビートルズのディスコサウンドなんてのも聴いてみたかった ポールの「グットナイト・トゥナイト」がそれだったんだろうなあ ジョンは、テクノやトランスまで行きそうだけどw >>224 そうして'80年ジョンの暗殺でThe Endとなる 70年代もビートルズが活動してたら暗殺も無かったかもよ 続けて低迷期なんかあったら嫌だから、良い時期に解散したと思う きっとウィングス以下だったと思うよ。 足を引っ張り合って ジョンとジョージが新たなコンビになったんじゃないかな それまではジョージがそのレベルになかったが、後期は対等にやれたと思う ポールと違って、ジョンとジョージはポールと違って精神世界でも通じ合い、音楽以外でも価値観や考え方が似てるから レノンマッカートニー以上の、メッセージ性に富んだ深みのあるコンビになったかもしれない ただ、そうするとポールが嫉妬してあれこれジョージに嫌がらせしたりして、結局4人では長く続かないだろうな ジョンとジョージがやっても、大してヒット作は作れて無かったよw 2人とも、ポールほどのサービス精神も無いし仕事人間でもないし ライブだってやりたくなかった人だからね ビートルズ時代から、ジョンはジョージは子分程度にしか見てない キャンディーズより先に後楽園球場つかったかもしれん… 蔵前国技館もな 圧倒的にださくなってただろうから解散は賢明だったな。 グラムに入れ込んでみんな化粧するも1人だけ抵抗して解散 完全に一体感が無くなり演奏がかみ合わない 楽器でド突き漫才をやりだす ライブの途中で帰る人続出 ロックの最盛期は80年代後半、70年代は発展途上の出来損ない [無断転載禁止]©2ch.net http://mint.2ch.net/test/read.cgi/hrhm/1472063731/l50 >>1 曲作り、アルバム作りの為にますます麻薬に依存! 早死にしたのでは? 33 解散後のジョージやジョンのコンサート見ればわかる この二人はライブでの自分の能力の限界を知ってライブから足を洗った この二人に限って言えばライブは無理 ただポールだけは違うけどな だからライブ全盛時代の70年代でウイングスでブレイクできた 本当? ジョン レノン、そんなにライヴでダメだったの? トロントやニューヨークのライヴ、そんなにダメだった? イマジンやスターティングオーバー、maybe amazedやband on the run があの4人で演奏されていたらと思うと >>245 >>246 ジョージの1974年全米ツアーは酷い・・・。 自分たちのソロをバックバンドとともに(リンゴだけ出ずっぱり)数曲づつやり、最後に「さあ お待ちかね。4人(+Yoko)で演奏」のコーナーで、やはりバックバンド+豪華ゲストで誤魔化 しつつメドレーで3曲やって、歓声の中、逃げるように退場、というイメージ >>246 自分が歌うだけならいいんだけど、バントだから他メンバーのバックもやんないといけない訳で、例えばグッナイト・トゥナイトのバッキングはジョンとジョージにはムリ。 >>250 つうか演奏するに値しない曲としてそもそも却下。 ビートルズ年表 1960頃 シルヴァー・ビートルズ発足 1962年 ビートルズ、メジャーデビュー 1970年 ヨーコ、リンダが加わりゴールデン・ビートルズに改名 1980年 ジョンが倒れブロンズ・ビートルズに改名 1998年 リンダ夭逝 2001年 ジョージが逝きアイアン・ビートルズに改名 2018年 ヨーコが ビートルズが解散した後はその方向性には草も生えとらんやろ。 (・ω・) ビートルズっぽいって注目された曲はあっても軽音楽界を牽引するムーブメントにはなっとらん。 '70年代に持ち越さんでキリがええ、言い変えると'60年代軽音楽はビートルズに始まり終わったんやろ。 68,69年あたりで既に旧世代感が出てる 解散して正解 ワントゥワン1回こっきりでライブから逃げたジョンが一番ダサい ジョージはなんだかんだいって貧弱な声帯を潰してまでライブツアーを敢行したから 限界まで挑戦した意味ではジョンよりエライ ダブファン出して翌年日本からツアーをやる計画あったと死後でたがなんか嘘っぽい というかジョンはライブにはあまり興味や関心がなさそう スタジオライブみたいな作品作りに没頭するタイプ スティーリーダンのような ジョンの場合は、ジョン&ヨーコとセットになったりして音楽活動以外にも染めたり 米国政府と永住権巡って対立したりと音楽一筋というタイプじゃないな。なによりジョンが複雑怪奇なんで 実際ソロで音楽にどっぷりつかっていた時期って断片的というかコマ切れで、イマジンを制作した時期と エルトン、二ルソンや旧友ポールも呼んでセッションを繰り返してた時期ぐらいだろうな 決してスティーリーダンのようなやるべき方向性がガチっとしてたわけでなく 生きながらえていたら、ライブは苦手だから回避し、チャリティイベントなんかでのゲスト出演で収め 日本に例えるとTV中心のタレント活動に近いことをやってそう 一方で創作力は枯れていく一方で、ヒット性の乏しいロックンロールばっかりになっていたかもな まあ明るさが覆っているダブルファンタジーは、ジョン流の毒は薄くなっているが決して嫌いじゃない スティーリーダンは (・ω・) 力道ルー山ナンバー♪歌っとったバンドやの。 >>258 私小説的というかさ完全にパーソナルな作品ばかりだもんな あの4人の演奏力では70年代はキツイだろう ソロになってそれぞれバックに別のミュージシャン使えたんだから かえってよかったんじゃないか だからビートルズではなく それぞれのソロアルバムから曲を集めればいいアルバムになる 1976年11月2日、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターの4人に《5人目のビートルズ》ジョージ・マーティンがLAの「ダブレン・スタジオ」に集まり、5曲の新作を録音、その事実を示すテープが発掘されたというのだ。 ギャリー・ジメットというニューヨークのキュレーターが最近になってブツをGET、オークションに出品した。 テープのラベルには4人の名前と5曲のタイトルが記されている。 1.HAPPY FEELING 2.BACK HOME 3.ROCKIN ONCE AGAIN 4.PEOPLE OF THE THIRD WORLD 5.LITTLE GIRL >ほんとであって欲しかった >>261 ポールがウィングスでそれなりのことをやってかなり成功を収めたから 再結成が条件だが、70年代でもトップアクターとして通用したかも知れない ストーンズやツェッペリンのように別にステージを走り回らなくても 名曲三昧で観客を熱狂させるのが、ビートルズの強みだからな ただジョンとポールがまたハモってシャウトしあうなんて想像つかないな もうやっていることが違い過ぎるからな ジョンはアンタそんなに再結成、再結成いつと言うなら、今夜あそこでやるウィングスを見に行ってこいよ! 言ってたからな、やる気はなかったな 日本的にいうとものまね王座の審査員したり御本人さん登場!みたいになったりしてる絵が浮かぶ 海外のアーティストでそういうキャラになった奴っているのか? チャック・ベリーはギター一本だけ持って土地々々のセミプロのロックバンドをバックとして雇ってライブツアーを渡り歩いたらしい。 ほとんどリハーサルも打ち合わせもなくチャック・ベリーの思いつきの曲順とアドリブでライブが構成される。 バックバンドのギャラは90%ぐらい先払いで残りの10%ぐらいはバックの演奏が良かった時のみ支払われる。 (・ω・) 打ち合わせせんでもオレの曲知らんロックバンドは居らんやろ。 ビートルズメンバー、特にヒットメイカーのポールに真似できるやろか? >>13 パンクを創ったのはビートルズなんだが??w 敬意を込めてるんだけど、いわゆる不良時代のクオリーメンとかシルバービートルズを名乗ってたときの ステージングは酷かったってな 客に悪態つくわ酒を飲んで演奏するわあけぐそのまま寝るわで 後のパンクの前夜みたいだよなあ ビートルズの遺産のジョンはイマジン、ポールはラム、ジョージはソロ2作めの一部、リンゴはそれなりにまでだと思うわ その後ええ曲はない、ポールはバンドオンザランまでの一部は入れてやってもええが >>266 昔、チャックが来日した時に、ライターが言ってたが チャックの曲は基本8ビート、エンディングは チャックが床を蹴るなど合図する。 だからリハは、殆どやらない だって まあ4人だけでの演奏だと、後期ビートルズのレコードのよさも再現出来んわけで、案外 割り切ってサポートミュージシャン入れたりしてライブを乗り切ってたのでは、という感じ もするが。 ただ、散々書かれてるが、ジョンとジョージはライブをやる意義が見いだせなくて、嫌がっ ただろうけど。 67年までコンサートをやっていれば マハリシの説教やラビシャンカールのシタール共演を入れてポール相手にオラつくジョンとジョージ それ見てイラつくポールと、別にどーでもいーじゃんなリンゴが目に見える ポールは解散後もジョンの住まい訪ねてたらしーけど 何回も来るもんだからジョンにもう60年代じゃないんだからて言われたんだよな ポールは再結成もくろんでた節があるな ビートルズ解散後のソロは暫く魔法が解けた様に駄作連発してたけど ポールが本領発揮したのは80年代からだと思うわ ビートルズは才能のある人間がバンド作って出すアルバム毎に良いアルバム出して 始まりから終わりまでを完璧な形で終えたバンドだわな だから10年が限界ての見せてくれた気がする 70年代に活動があったとしてもそんなに長い活動はしなかったと思うわ 解散は必然て気がする 同世代のバンドの最後のまともなLPは ストーンズ 81年 タトウ ユー キンクス 83年 ステイト オブ コンフュジョン フー 78年 フーアーユー からするとビートルズも80年くらいまではなんとかなったかもしれない ただ俺はライブが曲を鍛えると思うのでビートルズも恥をかいても3000〜5000人くらいの会場をドサ廻りするところから始めてもらいたい ポールはラムまでビートルズだよな なんであんな曲書けなくなったの マイラブからして既に違う 良くて70点が並んだだけのアルバムしか出せなくなる バンドオンザランなんて名作じゃねえよ ジェット、ジュニアズ・ファーム、幸せの予感あたりはビートルズとは違った特有の倦怠感とこなれたメロディに病み付きになった時期があった。 大きな穴がポッカリ空いたような虚しさ溢れるサウンドというか。 ジョンの死後は逆に自分を取り戻していったように思う。 >>278 C'mon Peopleを聴いた時 ビートルズの曲として出してたら間違いなく1位だなと思った https://www.youtube.com/watch?v=qofgmnz1ciw ソロ名義の作品がすべてビートルズ名義になり、一部の例外を除いてほぼすべてのレコードが英米でナンバーワンヒットを記録 ジョンの死後は遺言に基づきヨーコが正式メンバーとして迎え入れられるが、世界各国で反対デモが起こり賛成派と衝突 機動隊そして軍も巻き込み各地で紛争が勃発 やがて米露がそれぞれを主導しついに世界大戦の危機が訪れるが、ヨーコが引責辞任すると世界情勢は一転し和平ムードへ突入する 2018年、現在は2名のビートルズだが、メンバー追加の予定はない。 >>278 何をやっても「さすが元ビートルズ」と言われそうなのが癪で、彼流の解釈で意図的にビー トルズっぽくない方向を目指してた…ってのが真相じゃないのかな。 良い悪いは別にして「ジョンが聞いたら、アイツはどうせ批判するんだろうけど構わんさ、 これがオレ流なんだ」みたいな意識もあっただろう。それが創造性をむしろ萎縮させたとか… >>1 ビートルズのアルバム「Band on the Run」に1曲だけ加わる。 1 Band on the Run 2 Jet 3 Bluebird 4 Mrs. Vandebilt 5 Let Me Roll It 6 Mamunia 7 No Words 8 Helen Wheels 9 Mind Games 10 Picasso's Last Words (Drink to Me) 11 Nineteen Hundred and Eighty-Five もしもビートルズデビュー時にPro Toolsがあったら? 流石にスティービーやマイケルとのコラボはやってないだろうな >>278 ラムはビートルズだがマッカートニーはホワイトアルバムの駄作レベル >>284 割とジョージが内省的になるかもな ソロの電子音楽みたいなのにどっぷり浸かって まさかほんとにジョージ脱退になったりして >>284 その設定自体あたま悪い。コンピューターがそこまで進歩してて、アンプや楽器やPA が62年当時のままなんてチグハグな状態があり得るわけがない。 リバプールにはビートバンドの代わりにテクノバンドだらけだったろうw 七面鳥のつぶやき(レノン/マッカートニー) 明日に恋する願いのもどかしさ(マッカ/ハリスン/スターキー) インスタント・テディ・ボーイ(レノン/マッカートニー) ヒーズ・ソー・ファイン(マック) オール・ザ・フォトグラフ・マスト・パス(ハリスン) イマジン(オノ) アンクル・アルバート〜アント・ミミ〜ファーザー・マッケンジー〜マザー・メアリー〜ハルセイ提督〜ペパー軍曹〜キャプテン・リンゴ(レノン/マッカ) read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる