もしもビートルズが70年代も活動してたら
70年代も解散せずに続けてたらどうなってたと思う?
売り上げの方は相変わらずあったと思うけど・・・ 1976年と言えば、ジョージVジョン&リンゴが最悪な時期じゃん。
ジョージがモーリンを強姦して以来、ジョンは結局たったの一度もジョージと演奏する事はなかった訳で。 ジョージがモーリンを強姦?本当か〜?そんな話聞いたことないぞ。 割と有名な話だよ。ジョージがリンゴの奥さんと寝た話。 フー、クリムゾン、ゼップ…アメリカにはドアーズ、ヴェルヴェッツ…
どう考えても居場所はないね。ほんと、最良の時期に幕を引くことが出来た
これほど汚れていないロック神話ってないよ
まさにヨーコさまさまだねw 70年代に身を引かなかったらローリングストーンズみたいにフーやドアーズ、ベルベッツ等に
公開処刑されてただろうな。
ビートルズは運がいいよ。 >>168
通ぶりたい奴らがそういうこと言うけど、リアルタイムでそれ程それらの
グループが注目さてたわけでもない。 >>168
こういう奴ってとりあえず名前だけ挙げてるだけで聴いた事すらなさそう もしもビートルズがウッドストックに参加していたら、どうなっていたんだろう? 例えばルーフトップコンサートみたいな感じをウッドストックのステージで?
でもあれは真冬のロンドンのイメージと一体になってるから想像できない。
むしろ I want you を延々30分、Helter Skelterを30分ならあり。 >>171
ウッドストックじゃなくてビートルズのイベントになっちゃうよ
延々と前座の >>175
猿は意外とひくときはひくよw ここ一番ってときには。 >>171
>>172
やる気満々なのがポールだけで緊張感皆無の演奏になりそうな気もする
却ってビートルズの解散が早まったかも?
逆に上手くいったらライブ活動再開もあったのかね エプスタインが死ななかったら、経営上のトラブルは無く解散は免れてた可能性は高い
ただ精力的に活動することは無かったと思う
それぞれソロアルバムを出しながら
1974年に、EMIとの契約が切れた時点でグループは休止状態になってただろうね
あとは、ジョンが生きてたらという話だが
たぶんビートルズ以外でポールと一緒に何かやってたかもね 加入候補はわらわら居たはずだしな
本人が加入希望もしくはポールとのグループ結成希望だけでこんなメンバー・・・・。
ジミ・ヘンドリックス
キース・ムーン
エルトン・ジョン
エリック・クラプトン ジミヘンは死亡(他殺?)
キースムーンは奇行が原因で休養or脱退
戻ってきたとしても離脱中にアル中発症してて劣化
エリックも薬物依存で劣化
その面子で使い物になるのがエルトンジョンしかいないっていうw 尊師への予告
iOSゲーム 司法試験 公務員試験 シベリア超速報 なんU 警察 批判要望
生き物苦手 サブカル オークション スマホアプリ ジャニーズ2 資格全般
モータースポーツ 邦楽グループ
愛す:批判要望 コロッケにする:ペット大好き 爆破:鉄道総合
脱糞(ああああああああああああああ!!!)
アウトロー 宣伝掲示板 モ娘(羊) あみ&あゆ ガチホモ アニメ アニメアンチ
スマホアプリ アクアリウム 軍事 アニメサロン アニソン等 バンド プロ野球
ビートルズ おいらロビー キャラネタ なりきりネタ 漫画 同人イベント 漫画サロン
リーマン 演歌 エヴァ FF・ドラクエ ゲームキャラ 格闘ゲーム ゲーム速報 ロボットーゲー 同性愛サロン 薬物中毒でラリってる奴が迷い込んできたなあ〜・・・・ >>187
70年時点だったらエルトンはまだ三下だな。 >>187
希望したなら入ってたはずだけどな、ウィングスなりに
ジミヘンとポールの掛け合わせって音楽的に想像も出来ないけど・・
>>186
80年代以降にJとPがユニット組む可能性はあったかもわからないね
ただイベントにかこつけた「ちょっとした余興です」くらいな軽さの。
しかし二人の共作となれば、死ぬほどの名曲生んだのかもわからんなー(泣) >>190
迷える異教徒に祝福を。
もしつらくて寝れないことがあれば弁護士にメールしてみてください。 70年代も解散せずに活動とはいうもののジョンとヨーコの関係はどうなんの? 変わらないだろ
ビートルズ活動時から、ヨーコと2人で活動してアルバム出してるし
並行してやってたんじゃないかな
70年代後半は、やっぱジョンの隠居で休止だろうけど
最もビートルズ再開の可能性が高かったのは
84年あたりに、MJがビートルズの版権を買おうとして
JとPが協力して取り戻すパターンだね
アメリカデビュー20周年記念で大々的にレトロブームの流れで再活動!
翌年のバンドエイドの大トリでライブ復帰!
だったら最高だったなあ・・・ >>197
生きてたらの仮定の話つながり>>186 実際ライブエイドの時には直前までジュリアンを入れて再結成の噂出てたよね。 1984年のある日
「なんかアフリカ難民を救済する企画があるんだってよ、ジョン」
「なぬ?それだったら重い腰を上げてやらなくもないぜ、ポール」
って感じで、二人が一生懸命ひざ詰めで楽曲を共作しました。
コンペの結果ボブ・ゲルドフ作の「ドゥーゼイノウイッツクリスマス」が選ばれました。 歴史が変わらなくてめでたしめでたし 人類は反宇宙に行かなくて済んだのです
(おしまい) J「平和運動なら昔取った杵柄だ、任せろ」
P「いやカンボジアやってる自分が」
G「いやいや、難民救済なら拙者の出番でござる」
P「ならプロデュースは吾輩が」
A「金の話なら儂がおるぞ」
R(こいつらどこから湧いて出たんだ・・・) ただジョンは、ボブ・ゲルドフと上手く意気投合したかどうか疑問w
USAフォーアフリカにも、なんだかんだ皮肉言って噛みついてたかもなあ
ビートルズの版権の事で、MJには良い感情持ってなかっただろうし ライブエイドで、皮肉たっぷりに「Money」歌って欲しかったw ジョンの射殺もなかっただろうな
それだけが残念だな >>205
いや、あそこで死んでなかったらボウイみたくなってたよ 80年に復帰して、もしシングルが1位になってたら
ジョンはイギリスに帰るつもりだったんだよね
ミミ叔母さんも高齢だし、家族でいつでも会えるように近くに引っ越したいと・・・
イギリスに帰っていたら事件は起きてなかった プログレやったりグラムやったり
サザンロックやったりパンクやったりしてたんじゃね?
なんか笑えるな >>208
富田勲とのコラボは規定路線だよ。もし生きてたら。
(富田先生自身がラジオで語っておられた、直接のオファーがあったと。)
ジョンが次にトミタとやりたがったちゅーことは、ルーツ回帰ではなく
プログレ→アンビエント?路線まっしぐらで何か壮大にやらかした可能性は大w
(それが壮大になったか粗大になったかは、イフの世界)
でもイーノやフリップとも組んだんじゃないかな? その感じでいうと。 いや、ジョンは音楽的にそこまで好奇心は無い
基本的に「ロックだけがリアルで他はどうでもよかった」って人だから
清志郎や内田裕也がロック以外に興味持ったか?
それと同じ ヨーコがいるからそこまで保守的にはならなかったと思うんだけどなあ >>210
いや、そういった印象論じゃなくて
現に死の直前に「ジョンレノンが富田勲にオファーしていた」
という事実に基づく推論だよ。 本文の趣旨を理解しろw >>210
まービートルズ時代に”9”のようなミュージックコンクレート作品含め
音楽的にあらゆる可能性を追求してたのが、メンバー中でもむしろジョンレノンだったろ?
好奇心がない、なんてことありえねぇよw 逆。
ソロ期(70年代)にはその気配がなかっただけで、
本来気まぐれ屋だから、封印してたプログレ・サイケ的な昔の音楽性に
80年頃に再度気が乗った、としても不思議でもなんでもないと思う。 だから、それはプログレじゃなくて、
ヨーコ経由で知ったジョンケージの影響だろって、
「〜は過大評価」スレでも訂正してただろ。
何で、そうプログレに関連付けたがる?
プログレに金でも貰ってるのか? プログレッシヴという単語の意味で受け取れよ
相当コンプレックスあるんだなお前 プログレくん、相変わらずだな
ジャンルを指すような使い方じゃん、>208以降の流れはどう見ても サイケ路線もビートルズ期にやり尽くして、ソロでは逆に
余分なものを極限まで削ぎ取った境地に達した
ロックの初期衝動に戻ったカバーアルバムを残して隠居し
復帰作では「メリーゴーランドからはもう降りた あとは勝手に回ってくれ」と歌って生涯を終えた
なんか、決まってたかのような人生だな まあ当時馬鹿にされまくったからなあ
さぞやうらみつらみもあるんだろうよ>>216には もしもビートルズが西暦700年代にも活動していたら
さっぱりわからない。
情報が少なすぎ。
ブリテン島の8世紀は野蛮すぎ。 ハードロックやサザンロックの影響でヘヴィなロックアルバムを製作
次作でプログレの要素を3分間のポップソングに纏めたようなアルバムをリリース
パンクブームの裏でレゲエやミニマム音楽製作するなど迷走期
80年代直前、商業音楽時代到来を予見したポールの提案でAORやダンスミュージックの要素をもつシンセポップに転向(ほぼ全曲ポール作) ミルク&ハニーのクォリティの低さを見るとジョンの才能も枯れ始めていたんじゃ…と思わせる 70年代末期、ジョンはSFやオカルトブームにどっぷりだったらしいねw
MTVも、もしかしたら面白がって長編MVとか作ってたかもしれない
80年代に入ると、日本が好景気でバブルに一直線だったから
もしかしたら日本に移住してたかも 70年代後半まで続いて
ビートルズのディスコサウンドなんてのも聴いてみたかった ポールの「グットナイト・トゥナイト」がそれだったんだろうなあ
ジョンは、テクノやトランスまで行きそうだけどw >>224
そうして'80年ジョンの暗殺でThe Endとなる 70年代もビートルズが活動してたら暗殺も無かったかもよ 続けて低迷期なんかあったら嫌だから、良い時期に解散したと思う きっとウィングス以下だったと思うよ。
足を引っ張り合って ジョンとジョージが新たなコンビになったんじゃないかな
それまではジョージがそのレベルになかったが、後期は対等にやれたと思う
ポールと違って、ジョンとジョージはポールと違って精神世界でも通じ合い、音楽以外でも価値観や考え方が似てるから
レノンマッカートニー以上の、メッセージ性に富んだ深みのあるコンビになったかもしれない
ただ、そうするとポールが嫉妬してあれこれジョージに嫌がらせしたりして、結局4人では長く続かないだろうな ジョンとジョージがやっても、大してヒット作は作れて無かったよw
2人とも、ポールほどのサービス精神も無いし仕事人間でもないし
ライブだってやりたくなかった人だからね
ビートルズ時代から、ジョンはジョージは子分程度にしか見てない キャンディーズより先に後楽園球場つかったかもしれん…
蔵前国技館もな 圧倒的にださくなってただろうから解散は賢明だったな。 グラムに入れ込んでみんな化粧するも1人だけ抵抗して解散 完全に一体感が無くなり演奏がかみ合わない
楽器でド突き漫才をやりだす
ライブの途中で帰る人続出 ロックの最盛期は80年代後半、70年代は発展途上の出来損ない [無断転載禁止]©2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/hrhm/1472063731/l50 >>1
曲作り、アルバム作りの為にますます麻薬に依存!
早死にしたのでは? 33 解散後のジョージやジョンのコンサート見ればわかる
この二人はライブでの自分の能力の限界を知ってライブから足を洗った
この二人に限って言えばライブは無理
ただポールだけは違うけどな だからライブ全盛時代の70年代でウイングスでブレイクできた
本当? ジョン レノン、そんなにライヴでダメだったの?
トロントやニューヨークのライヴ、そんなにダメだった? イマジンやスターティングオーバー、maybe amazedやband on the run
があの4人で演奏されていたらと思うと >>245
>>246
ジョージの1974年全米ツアーは酷い・・・。 自分たちのソロをバックバンドとともに(リンゴだけ出ずっぱり)数曲づつやり、最後に「さあ
お待ちかね。4人(+Yoko)で演奏」のコーナーで、やはりバックバンド+豪華ゲストで誤魔化
しつつメドレーで3曲やって、歓声の中、逃げるように退場、というイメージ >>246
自分が歌うだけならいいんだけど、バントだから他メンバーのバックもやんないといけない訳で、例えばグッナイト・トゥナイトのバッキングはジョンとジョージにはムリ。 >>250
つうか演奏するに値しない曲としてそもそも却下。 ビートルズ年表
1960頃 シルヴァー・ビートルズ発足
1962年 ビートルズ、メジャーデビュー
1970年 ヨーコ、リンダが加わりゴールデン・ビートルズに改名
1980年 ジョンが倒れブロンズ・ビートルズに改名
1998年 リンダ夭逝
2001年 ジョージが逝きアイアン・ビートルズに改名
2018年 ヨーコが ビートルズが解散した後はその方向性には草も生えとらんやろ。
(・ω・) ビートルズっぽいって注目された曲はあっても軽音楽界を牽引するムーブメントにはなっとらん。
'70年代に持ち越さんでキリがええ、言い変えると'60年代軽音楽はビートルズに始まり終わったんやろ。 68,69年あたりで既に旧世代感が出てる
解散して正解 ワントゥワン1回こっきりでライブから逃げたジョンが一番ダサい
ジョージはなんだかんだいって貧弱な声帯を潰してまでライブツアーを敢行したから
限界まで挑戦した意味ではジョンよりエライ
ダブファン出して翌年日本からツアーをやる計画あったと死後でたがなんか嘘っぽい というかジョンはライブにはあまり興味や関心がなさそう
スタジオライブみたいな作品作りに没頭するタイプ
スティーリーダンのような ジョンの場合は、ジョン&ヨーコとセットになったりして音楽活動以外にも染めたり
米国政府と永住権巡って対立したりと音楽一筋というタイプじゃないな。なによりジョンが複雑怪奇なんで
実際ソロで音楽にどっぷりつかっていた時期って断片的というかコマ切れで、イマジンを制作した時期と
エルトン、二ルソンや旧友ポールも呼んでセッションを繰り返してた時期ぐらいだろうな
決してスティーリーダンのようなやるべき方向性がガチっとしてたわけでなく
生きながらえていたら、ライブは苦手だから回避し、チャリティイベントなんかでのゲスト出演で収め
日本に例えるとTV中心のタレント活動に近いことをやってそう
一方で創作力は枯れていく一方で、ヒット性の乏しいロックンロールばっかりになっていたかもな
まあ明るさが覆っているダブルファンタジーは、ジョン流の毒は薄くなっているが決して嫌いじゃない スティーリーダンは
(・ω・) 力道ルー山ナンバー♪歌っとったバンドやの。 >>258私小説的というかさ完全にパーソナルな作品ばかりだもんな あの4人の演奏力では70年代はキツイだろう
ソロになってそれぞれバックに別のミュージシャン使えたんだから
かえってよかったんじゃないか
だからビートルズではなく
それぞれのソロアルバムから曲を集めればいいアルバムになる 1976年11月2日、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターの4人に《5人目のビートルズ》ジョージ・マーティンがLAの「ダブレン・スタジオ」に集まり、5曲の新作を録音、その事実を示すテープが発掘されたというのだ。
ギャリー・ジメットというニューヨークのキュレーターが最近になってブツをGET、オークションに出品した。
テープのラベルには4人の名前と5曲のタイトルが記されている。
1.HAPPY FEELING 2.BACK HOME 3.ROCKIN ONCE AGAIN 4.PEOPLE OF THE THIRD WORLD 5.LITTLE GIRL
>ほんとであって欲しかった >>261
ポールがウィングスでそれなりのことをやってかなり成功を収めたから
再結成が条件だが、70年代でもトップアクターとして通用したかも知れない
ストーンズやツェッペリンのように別にステージを走り回らなくても
名曲三昧で観客を熱狂させるのが、ビートルズの強みだからな
ただジョンとポールがまたハモってシャウトしあうなんて想像つかないな
もうやっていることが違い過ぎるからな
ジョンはアンタそんなに再結成、再結成いつと言うなら、今夜あそこでやるウィングスを見に行ってこいよ!
言ってたからな、やる気はなかったな 日本的にいうとものまね王座の審査員したり御本人さん登場!みたいになったりしてる絵が浮かぶ