“ポールとビートルズを混同している人間などいない”がポール・ファン
から言われているようだが。少なくとも今のポールのコンサートの売りが
“元ビートルズ、ほとんどの楽曲を作ったレノン=マッカートニーの2人の
うちの1人がそれを再現する”ことにあるのは明らかで、であるからこそ
往年の、もう高齢のビートルズ・ファンが駆けつけたりする。>>519>>521
ようではない人も大勢いるだろう。仮に今、まだポールの声が劣化していな
くて、誰かからチケットが回ってきたとする。「僕行けなくなったので
Mother Maryさん、今度の日本武道館行きませんか?」と言われたとする。
私が真っ先に連想するのは“ビートルズの曲がポールの声で生で聴ける♪”
ってことだ。たしかにビートルズ4人揃ってるわけではないが、それでも
“ポールがビートルズを生で歌うというライブはビートルズ・コンサートに
限りなく近い”という期待感で一杯になる。

 私自身がポールとビートルズとを混同している張本人だったと言ってもいい
。少なくとも70年代、Wings存続時代に私はWingsにビートルズを重ねていた。
“Wingsの曲はビートルズの新曲”くらいの意識はあった。だからWingsを追
っかけていたし、熱狂もあった。ジョンやジョージのソロへも同様だ。しか
し、中でもWingsへはそうだったと思う。
 この混同から私が完全に醒めて行ったのが,考えてみればここ1年のことで
はないかと思う。自分でかつてのThe Beatles magicとは何だったか考え、
またジョンのインタビューからジョンという人の特異なセンスについて思いが
到り、そこで初めてビートルズと個々のメンバーの関係について考えが整理
されていった。醒めることが初めて可能になった。

 たしかに“どこかが違う”“何かが違う”は自然に聴きとる。しかし明瞭
な違いが提示されていかない限り、混同は私の場合避けられないものと
してあった。昨年一時期、私はAKB48をもビートルズと混同し、再来だと
思いこんだりもしていた。明瞭に、鮮やかに提示されることは大事なこと
で、それがないと色んな同一視や混同は、少なくとも私の場合は避けられな
かったしこれからもそれは起こりうるだろう。