アルバム「FLOWERS IN THE DIRT」について語るスレ2
フーを凄いバンドだと思ったから、僕とポールはその影響を受けた
ポールは”最もヘビーな音楽を”作ろうとしてヘルター・スケルターを書いた。ありゃ傑作だった
僕はクイック・ワンの物語性に影響されて適当に作った鼻歌をただ繋げて構成をパクって
アレンジはポールとジョージにお任せさ。それがハピネス・イズ・ア・ウォームガンだ
あの頃はあんな思いつきだけでレコードが出来て楽でよかったよw 「ジョージも『マイ・スイート・ロード』裁判ではご苦労さんだったよな。
オレの『カム・トゥゲザー』みたいに、あっさりとパクリを認めてりゃ、
『ヤ・ヤ』をレコーディングするくらいで済んだのにバカなヤツだぜ。」
(1980年11月 ジョン・レノン プレイボーイ誌インタビューより) 「レノン=マッカートニーのクレジットは少年時代にポールと交わした友情の証さ。
だから僕は最初のソロシングル『平和を我等に』さえレノン=マッカートニーで出した。
まあ、あれは『ヘイ・ジュード』の後半に歌詞をつけただけなんだけど。」
(1980年11月 ジョン・レノン プレイボーイ誌インタビューより)