ビートルズがライヴ・バンドとして駄目だったのはその通りだけど、
あえて弁護するなら当時はまだPAというものがなかったらしく、ただアンプの出力のみに頼っていた。
そのアンプも60年代当時は貧弱なものだし、空港の滑走路で計測されるような高デジベル・レベルの観衆の「悲鳴」のために、メンバーが自分達の演奏している音をまともに確認できなかったという事情がある。
そんなことだからライヴ演奏の上達は望めないし、アレンジを工夫したりして聴かせようとしても、そもそもファンが彼らの姿だけを目当てに会場に来て悲鳴を上げるだけだから焼け石に水という、アイドルならではの苦闘があった。
それで結局メンバー達も半ばあきらめ状態になって、「曲を聴きたければレコードを買って、ライヴには僕らの顔を見に来ればいい」という開き直りの発言をしたり、
演奏時間を短くしてアンコールもなしにしたのも、そういうビートルマニア狂騒から早く逃れてホテルに帰るためで、淡々と仕事をこなしているだけの状態が続き、ついにはジョンが「ヘルプ」という曲を作るまでにいたる。
演奏曲についても、マネージャーのブライアン・エプスタインの商売戦略上、レコードで発表した曲のみに限られていたから、
ハンブルグ時代のように好きなオールディーズを思いつくままに演奏するようなこともできず、ライヴそのものに興味をなくしてツアーも止めた。
そんなわけでジョンの「ミュージシャンとしてのビートルズはハンブルグで終わっていた」という発言につながる。
ま、言い訳は言い訳、泣き言は泣き言かもしれないけど。